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No.4ベストアンサー
- 回答日時:
田租ですよね?収穫の3~5%しか課されませんので、もともとは国家自体の運営費とはされずに、今でいう地方自治財源として扱われますよね。
具体的には出挙という「種もみ」貸し付けの、種もみとして使われたり、中央との連絡などの経費に充てられたりしていたようです。
ですから、もともとは中央に運ぶことを前提としていませんでした。
ただ、時代がくだるにしたがい、この制度もほころびが見えてくるんですね。
実は集まった田租は、国衙の正倉という場所に集積されて、まずは地方自治財源にあて、残りは倉に残してゆきます。そして、その倉が満杯になったら、NO,2さんがご指摘されておられる不動穀という扱いになり、正倉に鑰(かぎ)をかけて封印して、そのかぎの管理は中央官庁(太政官)にて管理されます。なぜそのようなことをするのかと言えば、飢饉などの危機管理体制下、太政官の命令のもと、不動穀を放出する救済措置を取るためなんです。
少し話が長くなりそうなので端折りますが、実態として不動穀という制度に問題点が表れながら、その厳しい規定が緩和されます。そうこうしているうちに、政府は「不動穀がある程度自由に使えるならば…」と考え始め、不動穀を山積される国内問題の財源にしようと考え始めます。
ここで初めて、正税は中央に運ばれるんですね。
このような経緯の中で、中央に運ばれる米自体の性格にも変貌が見られ、田租であったものが、庸物として扱われ始めます。そうなるとどの様に運んだのか?は想像がつくと思います。
ちなみに最初から庸として扱われる米も存在していたのですが、今回の回答では、「租の運搬」ということだったので、上記のような回答になってしまいました。
最後にまとめます
・租は基本的に中央には運ばない
・中央に運ばれる米の中には庸物という性格を帯びて運ばれるものもあった
・後年には政府の財政が逼迫する中、危機管理のために集積された租が中央に運ばれるケースもあった。
一応、これらが知識のアウトラインになるのではないかと思い、お話させていただきました。
もちろん、上記が全てではありません。その他にも様々なバージョンが存在するのですが、とりあえず今回はこのへんで<m(__)m>
No.5
- 回答日時:
NO2です。
追記をさせてください。租の納めておく倉(正倉)は律令制初期には郡衙に設置され、その後管理運営が旧国に移ると国衙に設置されるようになります。ですから初期については里(郷)から集められた租は、郡衙にある正倉に運ばれたことになります。郡の範囲はそれほど広くなく、現在の郡もしくは大き目の市の範囲と同じ程度ですから、一日で往復可能です。
ただし、郡衙だけではなく、郷(里)にも正倉が分置された例がありますので、このような場合農民が直接正倉におさめたこともあると思います。
なお、税を直接取り立てるのは里長の役割りでした。また、正倉には動用倉と不動倉の二種類があり、動用倉は通常の旧国(歴史用語では令制国)の運営財源や非常時の救済費用などに充てる倉を言います。これに対して不動倉は動用倉が満杯になり、使われないまま年月が経った場合、国司の判断で封印した倉を言います。不動倉はあくまでも長期の余剰があった場合の処置で、通常・非常の場合の使用などの目的を持っていません。そのため、倉の開閉のための鑰は中央の太政官が保管する(地方の判断では使用させない)制度で、長期に開閉をしないために、倉の中の穀物が使い物にならなくなり、入れ替えを命じたりしています。不動倉は使用されない・開閉されない(監査を受けない)ために不正があり、郡司達が不動倉の中の穀物(不動穀)を勝手に流用し、返せなくなり、不動倉に放火し(神火と称しています)、証拠隠滅を図ることが頻発します(動用倉でも他の公的な施設でも起こりますし、政争などの原因もあります)。
横道にそれましたが、租は農民(公民)から里長が取り立て、郡衙にある正倉に運んだと考えられます。その場合の運び手は農民と考えられますし、運送方法も運脚の例からも馬などを使用したり、駅から駅への継ぎ立てなどではなく、農民が直接担ぐなどして運送したものだと思います。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%9F%E5%BA%B8% …
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E5%8B%95% …
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%95%E7%94%A8% …
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B3%91%E7%B5%A6
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E7%81%AB
No.3
- 回答日時:
租は米などの穀物ですから、多くの地域ではそれを地方の特産品や金銀などに交換して朝廷に運びます。
全国から朝廷に穀物を運ぶのでは非効率すぎますからね。
では京都で食べられる米は実際にどうしたかと言われると、加賀あたりの米を集め、船で敦賀に運び、賤ヶ岳のあたりまで北国街道を上り(登り)、琵琶湖から水路で京に運びました。
No.2
- 回答日時:
租は基本的には旧国の運営費用、不動穀と言われる非常時の備蓄米、そして律令施行後しばらく経って公出挙の財源として旧国でつかわれました。
ですから、都まで運ばれるわけではありませんでした。また、庸・調の運送については農民全てが運んだわけではなく、選ばれた運脚夫と呼ばれた農民が旧国の役人に率いられて運んでいます。このことから考えると、租についても里長が集めた後、里の農民の中から選ばれた農民が里長などに引率されて、郡衙を経て国衙などに運んだのではないかと思います。一部は郡衙にもある不動倉に直接運び込まれたかもしれませんが。
以上、参考まで。
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