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五公五民などは、どういう意味ですか。また、○公○民などといった言葉は、ありますか。できれば、その意味もお願いします。よろしくお願いします。

A 回答 (3件)

間違えないでいただきたいのは生産量が基準ではありません。


江戸時代の年貢は、現代風に言えば所得税ではなく、固定資産税でした。田、畑、屋敷になっている土地に対して年貢が課せられました。それらの土地の評価値を「高(たか)」といいます。高の四割を年貢に課した場合が「四公六民」です。
本来は高と実際の生産量は等しかったのでしょうが、幕末頃には生産量のほうがかなり上回っていました。ですから四公六民といっても生産量に対する税率は20%か、それ以下だったようです。

私が生まれた所は村高250石、納めた年貢が200石、税率(当時は免といいます)は実に80%という”酷税”の村でした。しかし実際の生産量は控え目にみても1200石程度はあり、税率は15%程度だったと推定されています。これは高の数値が近隣の村の半分程度と異常なほど低いためなのですが、その数値が決まった江戸初期にはほとんど米がとれない”本当の貧乏村”だったのかもしれません。
よく「農民は高い年貢と小作料に苦労した」などといわれますが、年貢と小作料は同時には払いません。農民(小作農)は小作料のみ地主に納め、年貢は小作料の中から地主が納めました。
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こんにちは。



>>五公五民などは、どういう意味ですか。

年貢の徴収で、50%は年貢として徴収され、50%が生産者のものになることです。

>>○公○民などといった言葉は、ありますか。

「四公六民」があります。

これは、上記と同じく40%が年貢として徴収され、60%が生産者のものとなることです。

戦国時代や江戸時代を通じて、多くの藩は「四公六民」が一般的でした。
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五割を年貢として払い(公のもの)、残り五割が手元に残る(民のもの)、という意味です。

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