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江戸時代の呉服屋と酒屋の身分はどのようなものだったのでしょうか?
私の先祖がそれぞれ呉服屋と酒屋だったみたいです、呉服屋の方は今の私の苗字の漢字を一つ誰だかにもらったとか、酒屋の方は藩に酒を献上していたとか。
江戸時代の中での身分はどんなものなのでしょうか?またそれぞれその身分の中でさらに上の方とか下の方とかの目安のようなものがあれば教えていただけませんか?
なにしろ士農工商というざっくりしたことしか学べなかったので。

gooドクター

A 回答 (6件)

江戸時代 豪農や有名な氏族・神主を除くと 


幕府>大名藩主>藩士> 末端の 士農工商 
ほぼ同じで(有価物を大量に献上する人特別優遇)していた

江戸時代、いがいとストレスも無く楽しかったのかも知れませんね
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http://www.umds.ac.jp/kiyou/r/R24-1/167-189.pdf

P175
二人の領主がいて、両方に金を貸したりしていますが

1827年 松平右近将監家 一代限りの苗字帯刀を許す
1861年 松平兵部大輔家 苗字帯刀を許す

つまり 1827年以降 右近の前では 苗字帯刀OKですが、兵部の前では苗字対応OUTだった。

このように全国統一で・・・という説明は無理なんです
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地方地方で違いますので。


近代とそれ以前の大きな違いは

100人いれば100通り

というのが近代以前です。

だれでも選挙で一票というのが近代

大名で福井の松平家が
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%90%E5%9F%8E% …
越前松平家は御三家などの序列とは別格の制外の家とされた。

とか、ちょっとでも差がつくように頑張っています。

熊本藩などは
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%B7%E5%A3%AB

江戸時代中期以降、熊本藩は献金に応じて郷士格を乱発する傾向となり、昇格する格式によって金額まで定められ、藩の収入の一部ともなり「寸志御家人」として制度化された。

同じ業種でも将軍家なり大名家なり、つながりで変わってきます
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士農工商という身分は存在しなかった、と現在では言われてますが、実はちょっと違います。

江戸時代まで士農工商という概念はあり、だからこそ明治政府は「四民平等」というスローガンを作ったのです。「四民平等」は明治の新聞にも載っている言葉で「四民」は士農工商の4つの階級民であることは間違いありません。

この言葉と江戸時代までの身分制度は関係がありますので、もう少し付き合ってください。

元々、士農工商も四民も紀元前1000年ぐらい、中国春秋時代の「書経」の時代の言葉です。ただ、江戸時代まで日本のエリートは四書五経を必ず読み込んでいましたから、五経のひとつである「書経」も読み、士農工商の概念をもって政治を行っていたといえます。

このとき、なぜ江戸時代から見ても3000年近く前の本が参考になったかというと、それは近代化が為される前は「農本主義」だったからです。これは中国でも日本でもヨーロッパでも原則的に同じです。

農本主義というのは、田んぼや畑を耕し食料を土から生産する農民が国の基礎、という考え方です。士(中国では科挙で選ばれた士大夫、日本は武士)はそれを租税として徴税した上で、国の発展に役立てるエリート、工商は「土地から生産したものではないので農民より劣るが、生活に必要なものを生み出す限りは役に立つ人々」とされたのです。

日本の江戸時代の階級制度は在って無いようなものでしたが「農民が偉く、士はその上で政治を司るからもっと偉く、工商は農民より偉くないが必要がある人々」という概念は広く庶民にも浸透していたのです。

ですので、この時代、商売人は「農民よりはちょっと落ちる」格下意識があったといえます。

ところが、江戸時代も中期に入ると、街道が整備されたり市場や為替が整備されて、日本国内は一部近代的な貨幣経済に移行し始めます。建前上は「農本主義」で土から生まれた農産物を最上としながらも、実際にはカネで商品として農産物を扱うようになっていたのです。

また、一旦農産物をカネで買えるようにすると、塩や酒・反物とか鍋とか鍬などと同じ貨幣価値で比べるようになります。そのため、幕府や藩がどれだけ抑えても、華美な風習が後から後から出てくるようになったのです。

また藩のほうも財政を賄うために、地元の名産品のうちお金になるものを頌栄するようになります。赤穂の塩・灘の酒・京都友禅などが日本全国を流通し、藩財政を潤すことになるのです。

こうなると、藩も士農工商とは言っていられません。酒屋でも反物屋でも、藩に金を貸してくれたり、良い商品を作ってくれるところは大切にしなければならなくなったのです。

このよな事情がそれぞれの藩であるのですが、酒を献上していたとなると、かなりのものでしょう。どのくらいの地位があったかというと、欄間が許されていた・門構えが許されていた・名字帯刀が許されていた、かどうかで大体分かります。欄間だけなら、身分的には商人のまま、門構えがあれば「見做し武士階級」・名字帯刀なら「栄誉武士階級」が与えられていて、地元では相当な実力者であったといえます。

藩や地域によって、多少は違いますが、このあたりを調べてみてください。
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士農工商という身分制度は存在しなかったことが


判明しています。

日本では、近代になり江戸時代の身分制度を意味すると捉えられるようになったが、
1990年代ごろから実証的研究が進み誤った認識であることが理解されるようになった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A3%AB%E8%BE%B2% …

ということで、最近の教科書には、この言葉はありません。

これは儒教に基づく思想に過ぎません。
国家に対する貢献度の高い仕事を、並べたものです。
士農工商の士とは、武士のことではなく、科挙の試験に
合格したキャリア官僚のことです。

日本では、武士は政治、農民は、というように
役割分担があっただけです。



”呉服屋と酒屋の身分はどのようなものだったのでしょうか?”
    ↑
どちらが上とか下、というものではありません。
呉服屋なら大店が威張っていたでしょう。
酒屋も同じです。
呉服屋と酒屋なら、やはり規模の大小とか、持っている
資金で決まったのではないですか。
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呉服屋も商社から財閥までいったところが多いですし、お主も・・の越後屋も有名?です。


酒屋も同様です。伊丹、伏見、灘には大稼ぎして、いまだというところが結構あります。
江戸時代の後期は誰が偉いのかはともかく、
商人が武家を動かし、武家が皇族を動かしていたのは誰の目にもあきらかな事実でしょう。
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