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伊達政宗が最大の勢力を誇ったのは小田原参陣前だと思うのですが、その時に伊達領と国境を接していた大名は誰がいたのでしょうか?知っている方お教えください。おねがいします。

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A 回答 (3件)

一応領土の分る地図を添付しました。


越後・上杉景勝
山形・最上義明
常陸・佐竹義重
福島浜通・相馬
宮城北部・葛西・大崎
専門家じゃないんで(^0^)多分そうだと・・・。
「伊達政宗が最大の勢力を誇った時」の回答画像1
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この回答へのお礼

地図ありがとうございます。
とてもわかりやすかったです。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/05/07 02:03

調べ終えたので、ザックリとした回答



1589年秋頃の勢力情勢から

北:南部家・及び北奥羽諸家・田鎖・久慈・和賀・阿曽家・遠野安曽沼家・斯波家
(葛西・大崎は政治的にはほぼ臣従状態)

東:最上家およびその親族筋の羽州諸家・上杉家

南:佐竹家・小野崎家・白河(川?)結城家・那須家・大田原家

ちょっと北西では、小野寺家が大きいかな・・・

以上、ザックリとした回答でした
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この回答へのお礼

再度の回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/05/07 02:08

仔細は、最盛期と考えられる『摺上原の戦い』(1589)を参照するのが望ましいとは思う



ちなみに、大名という概念から東北・北関東の諸豪族を思慮するのは適切ではない
特に東北地方は大名というほどの封建領主は少ないし、仮にいるにしても、極めて緩やかな同盟体に過ぎない・・・
まぁ仔細な話ではあるが・・・

仔細は下の回答者を参照されるのが適切であろうが、一応回答しておく

伊達家の支配は諸氏が創造するような中央集権的なものではない。
血縁・政略的な伊達家の反映は、晴宗によって基盤整備されているのだが、極めて緩やかな同盟体に過ぎない脆弱さも指摘できる。
その意味では、伊達家は内部に危険分子が内在していたし、幾度かの危機的状況に至っている。
したがって、地図上には指摘できない伊達家の危険性を指摘できることを付言しておく

聞かれていないが、小生は伊達正宗が大嫌いである。
最上義光に比較して政治家としては劣るとしか思えないし、彼の評価は晴宗公の基盤と犠牲によってしか成立しえない七光りの典型例としか思えないのである
と同時に、伊達家の史実捏造の多くが政宗の時代であることも原因であるが・・・
業績に比例するだけ史実を改竄するのは”世の習わし”とは言え、大恩ある義兄義光に対して・・

以下割愛


以上
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この回答へのお礼

>仔細は下の回答者を参照されるのが適切

それなら回答しなくてもいいのでは。

他の人が伊達政宗が嫌いかどうかなんて興味ありません。

役に立たない回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/05/07 02:07

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