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五摂家・宮家などには諸太夫という四位・五位くらいの官位をもった人達がいたそうですが、彼らは公家だったのでしょうか?
宮家ならまだ分かりますが、臣下である摂家の家人なのに官位を叙されていたのは何故でしょうか?

どなたかご教授頂けると幸甚です。

A 回答 (2件)

諸大夫は堂上公家ではありませんが、それに次ぐ地位で堂上公家に準じ、宮家・公家・寺社などに所属する諸大夫と、朝廷に直属する諸大夫がいました。

またこの諸大夫の下に侍といわれる階層があり、寺には諸大夫の上に坊官という階層がありました。
これらの諸大夫・侍は朝廷に直属しているものはもちろんですが、宮家、公家、寺社などに所属しているものも官位・官職を持っているのが普通でした。
というのはこれらの諸大夫、侍は名目上とはいえ朝廷の官職をもった地下官人となっていたのが普通でしたし、また平安時代から高級な官僚(大臣クラス)の家宰については朝廷の官僚をかねているのが普通で、藤原道長の家宰が国司になったり、国司の任期が切れて家宰に戻ったりという例もあります。
なお、諸大夫は従三位まで昇任できました。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。
諸太夫でも三位につけたのですね。

お礼日時:2005/08/05 14:40

旗本は将軍家の家人ですが、官位を叙されていました。


基本的には天皇と皇族以外は全部臣下ですから、問題はありません。
法的には律令制が生きているわけです。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。
旗本の場合と同様なのですね。

お礼日時:2005/08/05 14:25

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