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再洗礼派とは。<幼児洗礼を否定し、成人の信仰告白に基づく成人洗礼を認めるのがその教理的特徴の一つである。>そうですね。 
質問1.再洗礼とは、成人になって、「自覚して」洗礼を受ける(受けるべし)ということですか?
質問2.再洗礼派は迫害を受けたそうですが、この再洗礼そのものが理由なのですか? あるいは、(再洗礼そのものではなく)、他派から見たら異端な・過激な信仰(行為)のせいですか?

A 回答 (1件)

いろいろの実態が混じっているので、なんとも言えないのが事実なのでしょうが、


「洗礼」を受けるということではないのかもしれません。
https://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstre …
   ~~~~~   P8/20   ~~~~~
再洗礼派は、キリスト教の真髄を《弟子たる道》ととらえる。彼らの考えでは、キリスト者であるかどうかの試金石は弟子たる生き方であった。
《弟子たる道》とは一人一人の信仰者、及び信仰者の群れ全体の変革であり、そのことによりキリストの教えと模範に従う生き方へ変えられることを意味する概念である。
再洗礼派にとって、キリスト教とは生き方の根本的変革であり、内的経験(悔い改め)は振舞、行動の新しさによって証明されねぽならなかった。
彼らは新生、聖潔、愛というものを教理的解釈あるいは主観的経験だとするキリスト教的解釈を理解できない。彼らの合言葉は信仰ではなく、《従うこと》であった。
キリスト教の象徴の中で最も重要な洗礼は、したがって、キリストに従うための完全な献身を意味した。真の教会は真にキリストに従う者によって構成されるべきものであった。
それゆえ、キリスト教が何であるか理解をすることも、それに基づく僑仰の決断もできない幼児に洗礼を施すことは、考えられないことであった。
スイス兄弟団の一人マンツによれば、「洗礼とは古き人を脱ぎ捨て、新しき人を着ることに他ならない」。
   ~~~~~   P11/20   ~~~~~~
洗礼派は教会を《共同体》と呼ぶ。つまり、真の教会はキリストにある兄弟としての関係、交わりであって、制度的大衆教会ではないと彼らは考える。
だから兄弟は互いに愛しあい、仕えあうべきであると彼らは教えていた。
これは単なる敬虜な気持の表現なのではなく、むしろ、他者の必要に応えるために実際に自分の持物、財産を役立てることであった。
   ~~~~~~~~~~~~~~
初期には、私有財産を否定し、貨幣制度も否定し、絶対平等を主張し、家に鍵を掛けることも禁じる、というようなことも行ったために、既存の社会制度、慣習を重視する人や教会、政権からは、カルトと見えたらしいです。 (1534年から35年にかけて北ドイツの都市ミュンスターでおこった千年王国(Chiliasmus)の実現と称された再洗礼派権力の樹立と神政支配)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%8E …
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%BC …
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございます。
質問1に関しては<キリスト教が何であるか理解をすることも、それに基づく僑仰の決断もできない幼児に洗礼を施すことは、考えられないことであった。>なのですね。
私には、分かる気がします。
質問2に関しては<初期には、私有財産を否定し、貨幣制度も否定し、絶対平等を主張し、家に鍵を掛けることも禁じる、というようなことも行ったために、既存の社会制度、慣習を重視する人や教会、政権からは、カルトと見えたらしいです。>なのですね。
私には、理想的な共産社会と見えます。しかし現実的には自己利益に走りやすい我々(少なくとも私)には困難でしょうね。

お礼日時:2020/09/07 12:26

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