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①ウルトラセブン スペル星人について。
結果論になりますが、大伴昌司はどうして「ひばく星人」と銘を打ったのでしょうか。
大伴昌司がそんな銘を打たなければ、封印されることはなかったと思います。
どうして当時は大伴昌司が設定を勝手に考えいたのですか?
また、それを突っ込む人もどうかしていたのでは?
② スペル星人と大伴昌司について
スペル星人の「ひばく星人」の命名は大伴昌司だそうで・・・でその大伴昌司は1967年に出版した怪獣解剖図鑑が原因で、円谷プロの怒りを買って出入り禁止になった、との事ですけども・・・ その出入り禁止になっていた間の1970年秋にひばく星人事件が起きて、社会問題化するほど叩かれたらしいですが・・・騒動が終わった1973年正月に大伴昌司が亡くなる直前、円谷プロとの和解を希望して円谷英二の本を出版したとの事・・・ これってつまり「ひばく星人」の元凶が大伴昌司である事を本人は無論の事、円谷プロでさえ把握してはいなかったし、結果的に円谷プロに迷惑を掛けた大伴昌司も自覚していなかった、って言う事なのでしょうか? あと仮に大伴昌司が急死していなかった場合、件の事実が発覚したら、一時和解出来たとしても結局は絶縁されてしまっていたのでしょうか?
③もしもウルトラセブンの第12話が欠番にではなかったらスペル星人はガッツ星人やエレキングやキングジョー等並ぶ代表怪獣になったと思いますか?

A 回答 (3件)

当時の円谷プロは、細かい設定を作って発表するという考えがありませんでした。


それを補完した大伴昌司氏の貢献度は大きいし、たった一つの問題で、それまでの貢献をチャラにするのは冷たい対応でしょう。
被爆=良いか悪いかはべつとして、原爆による被爆のイメージが大きな時代でした。
ビキニ環礁での原爆実験のインパクトから、上下に分れた水着をビキニと命名したのと同じ感覚でしょう。

③スペル星人は、人気上位になるほどのキャラクターではないでしょう。騒ぎがなければ、シリーズでも不人気な回として、話題にもならなかったかも。
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この回答へのお礼 お礼日時:2020/09/20 07:55

① 内容的には「被曝」が的外れではなく、当時の認識で「被曝=広島・長崎」という短絡的なイメージしかなかったことが「被爆者に対する侮辱」と捉えられた節がある。



② そこまでの恣意的な動機はなかったと思われる。

③ 話の内容はともかくスペル星人のデザイン自体はそれほどのものではなかったので代表的なものになったかどうかは疑問。
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もう


いい大人なんだからさぁ……。
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