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1. 次の文句をどう解釈するかを問います。哲学を逸脱するところがあるかと思
いますが。

2. ▲ (パウロ:コリント後書 2:15-16 ) ~~~~~~~~~~~~~~~
15: ・・・救いの道をたどる者にとっても、滅びの道をたどる者にとっても、わ
たしたちはキリストによって神に献げられる良い香りです。
 
16: 滅びる者には死から死に至らせる香りであり、救われる者には命から命に至
らせる香りです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
3. かなり特殊な神学ものかと思いますが 次のように問いますので よろしくど
うぞ。


4. 《救われる者には命から命に到らせる香りである》のは分かるとして 《滅び
る者には死から死に到らせる〈良い香り〉である》というのは どういうことか?
 
5. ちなみに いづれの場合にも《キリストを知るという知識の〈良い〉香り》
( 2:14 )であるようです。同じ《香り》であるようです。

6. 《滅びる者》あるいは《死から死に到らせる》というのは どうも 十字架上
のキリスト・イエスから目を離す人びとを言っているのではないか?

7. その意味は 神をではなく 無い神を心に抱く人びとのことではないか?

8. 《滅びる》とは 《有る神が滅びる》という言葉による表現上だけの問題で
あって そのように別様に(言わば十字架から目を背けて背中越しに)キリストを
見る人びとは いわゆる無神論の信仰を抱く者として その信仰によって救われる。
こう言っているのだろうか?

9. したがって《死》も ただ表現上の問題であって 十字架上から目を背ける
ことを言うのみではないか? 

10. ただ もし多少とも《死》とかかわりがあるとしたなら それはそのよう
に目を背けたあと 神(有る神)も無い神もいづれも抱かなくなった場合 そうす
ると きわめて相対主義的な顔も目鼻も何もないのっぺらぼうの思想(生活態度)
によって生きることになる。これが 《死》だろうか?

11. 《良い香り》が そのような生活において慣性ないし惰性によってのみ生
きるというその慣性の法則の中にしかないような心 その心のくせを死に至らしめ
たことになる。

12. いわゆる独我論は この良き香りによって(あるいは 酔って)みづから
をみづからが殺したその結果である。のではないか? つまりそれが《死》の事例
か?


13. 重ねて言ってやや特殊な主題ですが 哲学として問います。ご見解をお寄
せください。

A 回答 (9件)

知識の香り=救われる者と滅ぼされる者とを分別する香り。


救世主であるキリストについての知識を得て、受け入れるか反対するかの二択になる。集めないものは散らしてる。で、無神論者も反対者に分類される。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 知識の香り=救われる者と滅ぼされる者とを分別する香り。
☆ たしかに すなおに読めば そういう区分を言っているので
しょう。

ただし もしそうだとすれば その一方の《ほろびに到る者》を
そのまま文字通りにみとめたことになります。

すくわれない者がいる・・・これでよろしいですか?



★ 救世主であるキリストについての知識を得て、受け入れるか
反対するかの二択になる。
☆ 同じく《すなおに読めば》そう言っています。

けれども キリスト・イエスが救い主であることを ちょっと分
からない・こばむからと言って もうほろびの道へ追いやるので
すか?

何のために イエス・キリストが現われたのか?

そんな者は知らん と言った場合でも《キリストを否定した〈無
い神〉》を――普遍神のひとつのかたちとして――受け取ってい
る・・・のではないか?




★ 集めないものは散らしてる。
☆ 集めない者というのは――いま上でこころみた解釈の筋では
―― この神(有る神)も無い神も わしゃ知らんと言ってすま
している人間のことなのでは?


★ で、無神論者も反対者に分類される。
☆ 無神論者は 無い神を自分の神にえらんだ。ゆえに キリス
トのみなもとである普遍神のもとにある。のでは?

《反対者》というの 多少とも神にかかわっているのでは?

どっちつかず。あるいは どっちでもないと堂々と述べる思想。
――これは なかなか厄介なんぢゃないですかね?

お礼日時:2020/09/27 21:32

今世での 死も、


審判よりの 破滅も、
何方にしろ。


其の、

身を、心を、
奉じた 後の、
話で。


いい変えれば、

救われた 後の、
話し、
其処の 差に、
意味はない。


元より、

救われ みめに、
齎されるのだから、
其の 芳香も、
同じ。


さて、

逆に 汝に、
聞こうか?

人所謂神は、
其程にも 無能か?
馬鹿者か?

個人の 所業と、
社会の 未達さの、
因果性も 判らぬ、
程に。


如何なんだ、

個人の 業だけ、
見て、
そうさせた 社会所以は、
判らず 放置か?
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


★ ~~~
身を、心を、
奉じた 後の、
話で。


いい変えれば、

身を、心を、
奉じた 後の、
話で。


いい変えれば、

救われた 後の、
話し、、
~~~
☆ 意味が採れません。
★ 救われた 
☆ とは どういうことでしょう? なぜそう言えるんですか?

いまは――この文章は―― すくわれるかどうかを問題としている
のですよ。


★ ~~~
元より、

救われ みめに、
齎されるのだから、
其の 芳香も、
同じ。
~~~
☆ 《みめに》が分からない。


★ ~~~
人所謂神は、
其程にも 無能か?
馬鹿者か?

個人の 所業と、
社会の 未達さの、
因果性も 判らぬ、
程に。
~~~
★ 人所謂神
☆ なる概念は 特殊である。定義が必要です。

★ 未達
☆ の問題は 《考える》ないし人知のおよぶ領域の問題である。

ところが 神を受け容れるにしろ拒むにしろ そういった《信じ
る》の問題では 《未達》以前にすでに――先験的に=超越論的
に―― 既達なのです。


ただ この既達であるのにこれからは離れる場合がある。それを
ここでは 独我論と呼んでみた。これについては 神もバカを演
じているわけには行かない。

この独我論は あくまで個人の心の問題であるので 外からの影
響は 基本的にかかわっていない。すなわち:
★ 社会所以
☆ は ここでは扱わない。

お礼日時:2020/09/28 09:37

☆ 意味が採れません。


★ 救われた 
☆ とは どういうことでしょう? 

人所謂神に まみえ、
信じ 奉じた、
其の 時点で、
既に 救われている。


いまは――この文章は―― すくわれるかどうかを問題としている
のですよ。

もし 本当に、
身も、心も、全ても、
既に 奉じているなら、
既に 救われている。


其れが、

其の 教えだろ?
そして 事実、
救われてるだろ?


★ ~~~
元より、

救われ みめに、
齎されるのだから、
其の 芳香も、
同じ。
~~~
☆ 《みめに》が分からない。


見目、

文脈より 読解し、
転じて 「報い、」かな?


又は、

御姿、ご意志、ご威光、
等。


元は、

恐らくは 「見目 麗しく、」の、
見目だよね。


まぁ、

現代に おける、
口伝解釈に付いては、
エキスパートの 方に、
聞いてね。


★ ~~~
人所謂神は、
其程にも 無能か?
馬鹿者か?

個人の 所業と、
社会の 未達さの、
因果性も 判らぬ、
程に。
~~~
★ 人所謂神
☆ なる概念は 特殊である。定義が必要です。


「所謂(いわゆる)、」

此 日本語だから、
ね、

調べれば 判る、
範囲だよ。


★ 未達
☆ の問題は 《考える》ないし人知のおよぶ領域の問題である。


そうとも いえないがね。


しかし、

社会は 抑も、
此の場合、
人族の 其れだからね、

君の 其の、
言い分に 擬えようとも、
成り立つだろ?


〉先験的に=超越論的


あのね、

幾ら 当時、
先鋭的でも、

社会も、英智も、
今と なっては、
当時よりは 進んでるだろ?


同時は、

例え 魔法たりとも、
実現できなかった 事ですらも。


一方、

今では 当たり前に、
様々、
眼前に あるよね?


スマホなんか、

当時に しては、
人所謂神の 御業か、
魔法 其のものだよ。


即ち、

普遍能レベルが 抑も、
違うのじゃない?


となれば、

当時は 一部の、
天才しか 得られない、
英智ですら。


今では、

普遍な 義務教育程度でしか、
ないもの迄 あるだろ?


更には、

其の上に 構築された、
もの等と 来た、
ひには、
当時を 凌駕し得る、

違うかね?


あのね、

名声に 惑わされ、
真に 受けては、
いけないよ、
中身を 見ないとね。


もっといおう、

もし 全知全能なら、
生誕の 瞬間、
全能性を 駆使し、

人所謂神は、
何故 人族を、
救わなかった?


仮に、

生誕直後で なくとも、
何故 結果、
救いきれなかった?


当時、

私の 元に、
あがって きていた、
Reportには、
どうしようも なかった旨、
記されていたと 思うよ、


どうしようもなく、

救わんと 欲すものが、
自身の 威光で、
(※注:威光|適切な 日本語が、ないかも?)
消えていく、

言葉を、行動を、論理性を、其の他を、
何をも、

丁寧に、丁寧に、
尽くせば、尽くす程、
消えゆく、

罪を 重ねる、
其の 様々を、
止め 消える、

しかも バタバタと、
此の 不条理たるや、

枉げるしか、謀るしか、
なかった。


確か、

そんな 旨かな?

よく 見ても、
覚えても ないから、
間違いも あるだろうけど、

書かれて あったような、
記憶… だがね。


まぁ、

抑も 辺境域の、
一種族向けでしかない 派遣者の、
其の身に 起こった、
些末な 事故、

根源たる 骨子、
破滅、パージ裁定、
等は 免れ得たのだから、

口頭での 報告説明と、
斜め読みでの 確認だけで、
十分、

そうは よくも、
目も 通さなかったがね。


全知全能?

嘘だよ。



〉神もバカを演じているわけには行かない。

だよね。


★ 社会所以
☆ は ここでは扱わない。


あのね、

裁定に 関し、
他からの圧力や、
本人に ゆわれなき、
仕業、
逃れ得ない 柵み、
等は、
無関係とは いえないだろ?


そして、

其れは 社会由来だろ?
社会由来を 加味せず、
正しい 裁定が、
叶うか?


例えばだ、

何とも 加害者が、
横暴の 限りを、
尽くしても、
無罪の 場合がある。


其れは、

被害者も、公益も、
他の 何も、
損なわれない場合で。


尚かつ、

全員の 同意が、
取れめいる、
合法範囲な場合だ。


但し、

其の 全ての、
社会が、
そう なると、
迄は、

今は いわない、
未だ 未確認だ。


加えて、

被害者の ない、
罪も、
人族の 内で、
とうやら 規定されてるしね。


詰まりは、

社会次第では、
罪も、罰も、
なくなる。


どうかね、

罪も、罰も、
なく、

尚 裁定は、
どうなる?


勝手気ままに、

無視して いい、
事柄かね?
「社会とは、」を。


いやはや、

何とも 身勝手だね、
相変わらずの 傲慢さだね、


例えば、

回答内容の 芯で、
あろうとも、

構わず 無視すれば、
意味は ねじ曲がり、
正答は 正答で、
なくなる。


詰まり、

其の 姿勢では、
貫けば、
正答は 得られない事も、
あるだろうに、

お構いなし、
とはね。


本当に、

知る気は あるのかな?
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この回答へのお礼

★ ~~~
もし 本当に、
身も、心も、全ても、
既に 奉じているなら、
既に 救われている。


其れが、

其の 教えだろ?
そして 事実、
救われてるだろ?
~~~
☆ ブー。

▲ ( 2:15 ) キリストによって神に献げられる良い香り
☆ である《わたしたち》は すでにすくわれています。キリストを信
じたからです。

★ 身も、心も、全ても、既に 奉じている
☆ という人間の知性や努力によってではないわけです。


★ ~~~
元より、

救われ みめ(見目)に、
齎されるのだから、
其の 芳香も、
同じ。
~~~
☆ この《香り》は ひとを滅びに到らせるか生命に(すくいに)到ら
せるかどちらかの《キリストの香り》だと言われている。そして 先ほ
どの《わたしたち》のことである。



★ 人所謂神
☆ なる概念は 特殊である。定義が必要です。キリストのこと
を言うのであれば 《人間(イエス)にして同時に神〔の子であ
りみづからも神〕(キリスト)である》存在のことを言っている? 
だとしたら そういう言い方は しない。







☆☆ ~~~~
ところが 神を受け容れるにしろ拒むにしろ そういった《信じ
る》の問題では 《未達》以前にすでに――先験的に=超越論的
に―― 既達なのです。


ただ この既達であるのにこれからは離れる場合がある。それを
ここでは 独我論と呼んでみた。これについては 神もバカを演
じているわけには行かない。

この独我論は あくまで個人の心の問題であるので 外からの影
響は 基本的にかかわっていない。すなわち:
★ 社会所以
☆ は ここでは扱わない。
~~~~~

お礼日時:2020/09/28 12:37

〉キリストを信じたからです。


〉身も、心も、全ても、既に 奉じている

ぶ〜
戯けてるつもり?


あのな〜、

違うか? 何処がだよ?
教えの 事、
何か 解ってるか?

日本語読解力、
何処かに 捨てただろ?
拾って来いよ!!


そして、

ちゃんと 読めよ。


よめばね、

何れだけ デタラメ
垂れてるか 判るからさ。


其れ処か、

質問する気
本気で ある?
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この回答へのお礼

考える(思考の緑野)と信じる(非思考の庭)とを 峻別しなけ
ればならない。

信じるという意志行為は 考える(思考の緑野)や感じる(感性
の原野)を超えている。

《ナゾの何ものかを 無条件に無根拠にてわが心に受け容れる》
――これが 信じるです。思考を超えているのです。



★ 身も、心も、全ても、既に 奉じている
☆ 《奉じる》には こころ(思考の緑野)におけるたとえば概
念認識が介入しています。それは 信じるではないのです。

お礼日時:2020/09/28 15:43

何れも、此も、


成立してないよ?
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この回答へのお礼

理由・根拠を。

お礼日時:2020/09/29 03:33

イエス様が最もお嫌いなのは、憎しみ・恨みなのです。

イエス様は人間の弱さを良くご存知ですから、人間の負の感情も御認めになるのでしょうが。


最初のイエス様は、日本国憲法と酷似しているんですよね。要するに、ユダという軍事の切り札に裏切られて、戦争放棄救世主だったのです?
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この回答へのお礼

ほろびに到る者にとってキリストのよい香り。
(あくまで イエスにしたがうわれわれの観点が出されています)。

ほろびに到るというのは 旧いわれがほろんでのちに あたらしい
人を着る・・・としたら? 

はりつけのイエスを背中越しに見る人びと。これを 《死から死へ
到らせる》と言っている。《無い神》派の信仰に立つのだと。




★ ユダという軍事の切り札
☆ ここがよく分かりません。かれは 会計係でしたよね。

それに 裏切りと言えば ペテロをはじめとして弟子たちみながイ
エスの逮捕のあと 逃げてしまい 裏切りました。ペテロの否認が
起きました。


★ 戦争放棄救世主だったのです?
☆ すみません。理解がゆきとどきませんでした。

お礼日時:2020/09/29 03:50

で、結局ですね。

イエス様死後、十字軍ができちゃったので、前々世紀末辺りではキリスト教黄金期だったわけで、軍の中でも十字軍が最も獰猛だったのですが。

ナチスは別称、鉤十字(軍)なので、理(ことわり)からすれば、自滅の道を歩むのは、自明の理だったわけですが。大日本帝国とイタリア王国まで巻き込んで、三国同盟、別称、枢軸国だったわけですが、挫折劇が最も凄惨だった、太平洋戦争史でした。
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この回答へのお礼

そうですね。

個人の信仰と 組織宗教の問題――外部の人間たちに影響をおよぼす
十字軍をのふくめて――とは まったく別だと見ます。

個人の信仰によって――純粋に?――十字軍に参加したという場合に
も もう信仰という主観真実は それを押し付けるという宗教(オシ
へ)の問題に踏み込んでいます。


ナチス等々は 間接的にいまの問題とかかわりがあるとしたなら や
はりオシへの問題です。オシへをこねくり回したり 自分たちの都合
のためにのみ利用するという問題だと思います。

詳細は はぶきます。(その任にもないと思います)。

お礼日時:2020/09/29 03:57

#6


ユダが会計係ですか。


イスカリオテのユダのことですね。御免なさい。軍事担当という話は私が幼少期辺りに教わった幼稚園での講義でした。私はプロテスタントの幼稚園に通っていたものですから。

確かに、もう一度、調べなおすと、ユダは、会計係で、不正をし、イエスをユダヤ教のお偉いさんにカネでイエスを売ったとされています。


ごめんなさい。
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この回答へのお礼

そういうこと――いつか・どこかで得たと思っている情報――は
まま ありますね。

お礼日時:2020/09/29 04:42

神を宇宙人にしてキリストの実父を探そう。

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この回答へのお礼

ついていけません。

お礼日時:2020/09/29 18:14

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