土曜の昼、学校帰りの昼メシの思い出

1. ヒトは 時間的な存在である。

2. 時間的なるものには 限りがある。《限りのないナゾなるもの》に向き合い人は おそれをいだく。相対的で有限な経験世界のうちに生きる存在であることの自覚である。

3. このきよらかなオソレにもとづき 知恵を持つ。境地としての知恵のほかに 理性(知性)なるハタラキをも発達させる。

4. やがて 知恵のもとの自由意志は かしこくもか おろかにもか オソレにも逆らい 知性をおのれの都合よいように用いるようになった。

4-1. 時間的・相対的な生は その生きることにとって よしあしが生じる。

4-2. 自由意志の自由度は よしあし・正負という両面にわたっているのだった。

5. そしてさらにこの知性は 意志にも君臨しようとするまでに到る。それだけの発展性は備えていたらしい。《知はチカラなり》。

6. その頃には 《無限というナゾなるもの》は すでに知性が観念としてあたまの中におさめてしまっていた。《観念の神》すなわち《神などはいない。人間が想像し創造したのだ》という《思考》が神となった。

7. のちにこの神――つまり人びとのあたまの中にあるだけの観念の神――は死んだとわざわざ宣言する人間が現われるほどだった。初めから死んでいるのに。

8. さてここで突然 この理性が 性欲をめぐって ヘビなる情欲として《観念の性欲》の世界をこしらえてしまった。のではないか? サドやマゾッホらあらゆる想像力を動員して《きよらかな畏れ》に挑戦してみた。

9. 風呂に井戸を掘るたら何たらいう人間は この《オソレ――この上なくつつましやかなひとなる存在のいだく畏れ――》 これをアーラヤ識かどうかは知らないが 深層の心理の中にだけ閉じ込めてしまった。かくて このヰルスに感染したときには 神は ムイシキであるとなった。しかも 《へび=悪魔》と背中合わせにあたかも一体であるような神である。

10. 以上は 以下の仮説のあらましです。これを問いますので ご教授ください。


      *


◆ 《へび》の問題


§ 1 世界の民俗に見る《へび》の生活文化的・社会的な意味

次の文献によって わたしなりの分類をします。

▲ 蛇( serpent )=『女性のための神話および秘義の百科事典』の一項目 
Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM …

○ (ヘビの民俗・その意味するものの分類) ~~~~

 (α) 水の神⇒ 生活・生命を象徴:知恵そして善なる神::直毘魂

 (β) 水の神⇒ 河ならびに嵐として治水防風雨をしのぐ
           あらぶる者:悪魔::荒魂

 (γ) 脱皮して再生する習性⇒ 不老不死を象徴。

 (δ) 前項より 子孫繁栄のための生殖力を象徴。

 (ε) ゆえに エロスを象徴。

 ~~~~~~~~~~~    


§ 2 (ε)の《へび=エロス》なる民俗は 《要らない》。

併せて (β)の――自然現象の部分を問わないかたちでの・つまりは抽象概念となったところの・心理作用としてのごとくの――《へび=悪魔》説 これも要らない。

または 信仰なる主観としては キリスト・イエスの十字架上の死とその復活によって克服された。ゆえに要らないという一見解。

この偏見で議論をとおしますので お見知りおきのほどをお願いします。

§ 3 エロスが 人の生きることにともなうことと それをヘビに見立てることとは別だと見ます。その比喩からの通念は 要らないということ。

言いかえると 民俗の一説としてはそんなもんだと受け止めればよいのですが その心のうわべに心理作用および集団的な共同心理として咲いたあだ花が ついに 二十世紀になっても今度は《無意識》なる概念として・そしてさらには医学として科学であろうと見なされてオモテ舞台に登場してしまった。

こういう見方を持ちます。

この場合のムイシキは 

    
 (ζ) エロスをめぐるイド=エス(《 it ;あれ・それ》)
       =リビドー(《欲しいまま・我がまま》):ムイシキ

のことです。

§ 4 ムイシキの逆襲(?)

リビドーを抑圧すると――つまりは 自分はそんなヘビなどのことは知らないと決めて自分自身に対して隠してしまうと―― 人はそのムイシキの逆襲に遭うことになるそうな。

その得体の知れないムイシキの作用〔だと見立てたもの〕に抗しきれなくて振るった暴力(いぢめ・虐待等)にほかの人が遭う。その被害をこうむる。そのとき受けた心的外傷は すなわちトラウマとなって 永遠に消えることはなく そこから人は完治することはないと説く。

すなわち その意味や次元にまで還元されたと言いますか そう見ることにおいて人間としての料簡が狭められてしまった。と考えます。

§ 5 ムイシキとは 亡霊なり。

ムイシキなる仮説の登場はひとえに ヘビは エロスをめぐる性衝動の部分をつかさどる悪魔であり・人間の抗しがたい力としての悪霊であるという俗説から来ていると見ました。
 
その迷信が 現代においても猛威を振るっているようだと見るものです。すなわち エワとアダムのその昔からの亡霊であると。

§ 6 聖書におけるヘビの克服物語

イエス・キリストが 第二のアダムとして 敵対していたヘビに勝利をもたらしたという物語が あります。つまり 虚構です。虚構ですが もともと ヘビは悪魔なりという見方が 虚構です。

いちおう理屈をつければ こうです。

悪魔は 死の制作者であって 自分みづからは すでに死んでいるので 死は怖くない。

朽ちるべき身体を持つ人間にとっては 《へび=生命。善なる神》という俗説にしたがって その死が死ぬという・つまりは永遠に生きるという〔気休めとしてでも〕希望を持ち得るけれども 悪魔なるヘビは この死が死ななくなったという完全なる死の状態にある。そして その冥界へと人びとをさそう。

イエスなる人間をもさそった。仲間に入れと。ところが ついにこの人間は 死地に就くところまでヘビを嫌った。ほかのナゾの何ものかに従順であった。ヘビなる悪魔などは 屁でもないと。
 
ますます怒った悪魔は ついに実際にそれまでに部下に持った人間たちをしてイエスを死地に追いやり見世物にまでして磔を実行せしめた。
 
ところが 死は怖くないアクマも けっきょくその死の世界にまでイエスという人間が自分の仲間となってくれたことに・そのことの思いに一瞬でも心を移してしまうと その身も死なる魂も すでに溶けてしまった。

§ 7 聖書の関係個所を引きます。

▲(創世記3:14-15) ~~~~
 主なる神は、蛇に向かって言われた。

  「このようなことをしたお前は
  あらゆる家畜、あらゆる野の獣の中で
  呪われるものとなった。

  お前は、生涯這いまわり、塵を食らう。

  お前と女、お前の子孫と女の子孫の間に
  わたしは敵意を置く。

  彼はお前の頭を砕き
  お前は彼のかかとを砕く。」
 ~~~~~~~~~~~~~

☆ この部分すなわち

▲ ~~~~~~~
 彼(=エワの子孫)はお前(=ヘビ)の頭を砕き
 お前は彼のかかとを砕く。
~~~~~~~~~

という箇所が のちのイエス(エワの子孫として)とヘビの闘いだと言われます。

§ 8 モーセにおける蛇との闘いの事例

▲ (民数記 21:6-9 /《青銅の蛇》) ~~~~
〔☆ 民がせっかく奴隷状態にあったエジプトから脱出してきたというのに そのことを荒れ野をさ迷うあいだに悔い始め奴隷状態を懐かしがったので〕主は炎の蛇を民に向かって送られた。蛇は民をかみ、イスラエルの民の中から多くの死者が出た。

民はモーセのもとに来て言った。

 「わたしたちは主とあなたを非難して、罪を犯しました。主に祈って、
  わたしたちから蛇を取り除いてください。」

モーセは民のために主に祈った。
主はモーセに言われた。

 「あなたは炎の蛇を造り、旗竿の先に掲げよ。蛇にかまれた者がそれ
  を見上げれば、命を得る。」

モーセは青銅で一つの蛇を造り、旗竿の先に掲げた。蛇が人をかんでも、その人が青銅の蛇を仰ぐと、命を得た。
~~~~~~~~

§ 9 イエスは 《青銅のヘビ》か

▲ (ヨハネ福音 3:14-16 ) ~~~~

そして、モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子(=イエス)も上げられねばならない。

それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである。

神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。

独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。

~~~~~~~

§ 10 いったい どういうこと?

もし性欲も大自然への畏れも ヒラメキをも含めて感性だとすれば この感性とそして理性との あらそい なのであろうか?

感性は 間違い得るし あやまちを侵す。ただし そのこと自体にウソ・イツハリがない。

理性は おれは あやまち得ないと言い張る。ウソをもほんとうのことだと――つまりおのれの心をもだまし得て――丸め込む。
 
ただし このような問い求めをおこない説明をあたえるのは 理性でありそれを用いる志向性としての意志である。

質問者からの補足コメント

  • ☆ この質問が問うところの趣旨説明は 旧統一教会すなわち家庭連合の《原理》を批判するものです。

    ① 人間の堕落が 《天使と人との不倫》によってもたらされたと説く・つまりは 《罪の根が淫行にある》と説く仮説(*)を 人間性にとってあり得ない謬説だと言おうとしています。

    * 堕落論 https://ffwpu.family/library/divineprinciple/fall

    ② 《へび》ないしサタン・悪魔といったものは 善とそのマイナス状態である悪とについて分かりやすく説明するために脚色された物語に過ぎない。哲学ではなく 文学である。

    ③ 虚構を前提にして・文字どおりの表現内容をとうぜん虚構として しかもそこに経験現実との切り結びするところを見て取って あらたな主観真実を得ようとする広義の哲学ではある。

    ④ フィクションを実体視することほど 人間の堕落はない。

      補足日時:2022/10/05 04:32

A 回答 (4件)

おまえスマートフォン無いからパソコンで⬇読んでから質問しろ先生おまえは高卒ではないから赦してやる

「《へび》は サタンであり悪魔か」の回答画像3
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

▲ (太宰治 『誰』) ~~~
1 たいへん危いところである。イエスは其の苦悩の果に、自己を見失い、不安のあまり無智文盲の弟子たちに向い「私は誰です」という異状な質問を発しているのである。

 ☆ 一人の盲人の目を見えるようにしたあとである。
  《異状》に見えても 意味のある質問だったとも。

2 無智文盲の弟子たちの答一つに頼ろうとしているのである。

 ☆ 人間イエスとして 互いに対等である。弱いところ
  がある。神の子キリストとして すでに意図を持ち
  そのために質問をしている。


3 けれども、ペテロは信じていた。愚直に信じていた。

 ☆ そういう人柄の人間として見て取って イエスキリ
  ストがえらんだ。


4 イエスが神の子である事を信じていた。だから平気で答えた。イエスは、弟子に教えられ、いよいよ深く御自身の宿命を知った。

 ☆ 人と人のヨコの関係(人間イエスの側面)と神と人
  とのタテの関係(神キリストの側面)とがある。
~~~

▼ (マルコ福音 8:31-33 ) ~~~
5 それから、人の子(=イエスキリスト)は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、また殺され、そして三日の後によみがえるべきことを、彼らに教えはじめ、しかもあからさまに、この事を話された。

 ☆ これを言うために 《異状な質問を発した》。

6 すると、ペテロはイエスをわきへ引き寄せて、いさめはじめたので、イエスは振り返って、弟子たちを見ながら、ペテロをしかって言われた、
 「サタンよ、引きさがれ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」。
~~~

☆ すなわち――これは 太宰の話に似ている(!?)―― 《サタン》は 誇張をふくんで分かりやすく(また 人間の側面としては 多少の怒りを込め)えらんだ言葉だ。

イエスが自分は《苦しみを受け・・・捨てられ・・・殺され》ると予言したので ペテロは かなしみ そうはさせないと言っただけである。これは 人間どうしのヨコの関係では もっともなこと。

ただし 神と人間とのタテの関係(=信仰)では 神〔のはかりごと〕にさからうことになる。らしい。

・・・

☆ つまり 太宰の作品を読むために――読み解くために―― この質問のような問い求めは 必要。

お礼日時:2022/10/06 03:23

知恵の木は


コカの木で
コカインを接種したことで
神の怒りに触れ、楽園を追放されたという説有。

どう思いますか。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


★ ~~~
知恵の木は
コカの木で
コカインを接種したことで
~~~
☆ 局所麻酔薬または精神刺激薬という。

そうですね。原文は 《善と悪を知る木から採ってたべるな》です。

興奮剤によって 精神が覚めてくるとしても ものごとの良し悪しを知ることについては 同じではないか・・・と見られます。

そうだとすると コカインを服用したから特別の作用があらわれたとも言い難い。のではないでしょうか。

だとすると 神がそのコカの木を特定して禁じたとは必ずしも思われない。とは考えるのですが どうですかねぇ。

お礼日時:2022/10/09 02:32

https://lyricjp.com/ats/a0013c2/l005a17h

ここでは女の子ですが、
イブも女の子ですね。

あのー、
一つ思うのですが、
もう少し質問文を
簡潔明瞭に
纏められませんか。
長すぎて読むのに疲れ、
回答を
纏める前に
去りたくなる気分の人がいないか心配。
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この回答へのお礼

★ もう少し質問文を
簡潔明瞭に
纏められませんか。
☆ なにごとも初めは むつかしい。

それだから〔としても〕 《ご教授ください》。

こなれた言葉であらわすことが出来るように。


★ 長すぎて読むのに疲れ、
回答を
纏める前に
去りたくなる気分の人がいないか心配。
☆ 心配はしません。その心配以前に 思考や推論のあやまりなきを期するのに 精一杯です。

いっしょに汗かいて!


▲ ♪ 愛は尊いわー
誰でも一度だけ 経験するのよ ♪

お礼日時:2022/10/06 02:33

そこで一つ問題。



蛇がアダムとイブに食べさせた知恵の実とは
一体何の木の実だったのでしょう。
これを食べなかったら
人類の未来は
まだ別の経路を
辿ったのでしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


★ 蛇がアダムとイブに食べさせた
☆ そそのかした》かも知れないが エワは辞すんの意志で善と悪を知る木から採って食べた。

アダムも エワにさそわれて同じように自分の意志行為としておこなった。

★ 蛇がアダムとイブに食べさせた知恵の実とは
一体何の木の実だったのでしょう。
☆ ですから 分かりやすいように比喩をとおして物語として描き それとして(文学・虚構として)おのおのの主観真実を引き出そう(または 主観真実にうったえよう)としている。


★ これを食べなかったら
人類の未来は
まだ別の経路を
辿ったのでしょうか。
☆ いえ。そうではないと考えます。

なぜなら 上にもしるしたように 食べたのは 人間のそれぞれの自由意志によっている だから この自由意志が もともとヒトにそなわっていた(神がそれをあたえた)と考えられるから。


神がそうした(つまり その木の実を食べることを初めから神は知っていて ヒトを造った・つまり 神が自由意志をあたえた)とすれば 神は 或る種の味方で 罪作りである。

自由意志の自由度に プラスとマイナスの側面がある。これによって――マイナスの部分のほうが 悪貨が良貨を駆逐するかのように まさって―― イヂメや戦争という人殺しやがあたかも絶えないような人間世界になることを知っていたとしたら。

お礼日時:2022/10/06 02:26

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