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初めて利用します。宗教カテゴリが見当たらなかったのでここで質問します。

以下のような2chコピペを最近知りました。これって本当にあるのでしょうか?
事実だとしたら、2ch以外で何か出典となる本はあるでしょうか?

==== 以下、コピペ ====

835 おさかなくわえた名無しさん sage New! 2007/11/21(水) 13:35:20 ID:jtdHrUTs
 バチカンの「日本だけ例外ルール」って結構あるんだな。知らんかった。

 大昔、宣教師に

 「デウスさまを拝まないと地獄に落ちるだか?
  おらの爺様や婆様も地獄にいるだか?ならおらも地獄に行く。
  自分だけ助かるだなんて、そんたら不孝なことはできねぇ」

 とかなんとか拒むんで、バチカンも困った挙句に「特例ルール」ができたと聞いた。
 日本に来ると教義に疑問を持ってキリスト教を捨てる人間が続出するもんで
 「宣教師の墓場」と恐れられたのも原因のひとつなのかな。

教えて!goo グレード

A 回答 (6件)

ちょっ



〔何しろ宣教師が布教に来た当初から、

宣教師「イエス様を信じれば天国に行けます。信じないなら地獄行きです」

農民「おらの死んだ両親はイエス様を知らなかっただよ。今頃地獄だべか」

宣教師「そうです、でもおまいは信じれば天国へ行けるから信じなさい」

農民「親を置いておらだけ天国には行けないだよ。イエス様やめるだ」

宣教師「ちょ、待っ!!!」

(慌てて法王に「親も救える設定にしていいすか」と問い合わせレター)

みたいな経緯があって、初っぱなから教義がねじれたらしいよ。〕


という話と似たような話は聞いたことがある。

日本史を書いた(イエズス会だった思うが)フロイスは、ギリシャの大学かどっかの哲学の時間でバリバリに他の人たちを論はしたので、自分はとっても優秀な人だと思っていたそうです。

議論して負けたことが無い、どんな論法を使っても 黒を白にしてしまえる 凄腕の詭弁家 ちがった論者だと自負していたらしいです。

ところが、日本にきて「え?」って思った。
まず茶店で働く女の子が暇なとき本を読んでいるのをみて ぎょぎょぎょぎょ ってしたらしいです。

ヨーロッパじゃありえない光景。
仕事中に本を読んでいたからじゃない、ウエイトレスの階級なのに、字が読めるということが信じられなかった。
ヨーロッパでは金持ちの娘しか文字が読めない。
キリスト教は「勉強などせんでいい 聖書だけ読んでいればいい」って図書館を閉鎖しちゃったんです。
だから多くの市民は文盲で無学。
簡単に言葉でねじ伏せることができた。

日本は中国大陸から入った儒教の思想があるので、年上および祖先は敬うのが人の美徳だとしていた。
だから、それを許さなかったキリスト教に対して、猛反発をしたわけです。
「じっちゃん ばっちゃんがいたからオラが生まれてこれたんだ。 それなのに祖先の存在は価値がなく、神様がおめーさをこさえたと言われても、ぜんぜん納得できん おまえだって かーちゃんのまたの間から生まれたんだべさ。かーちゃんが又に力入れてふんばってくれたから おまえさはこの世の生まれたんだべさ それともイエスさんが又の力入れて俺を生んだとでも思っているのけ」とはフロイスには言わなかったが、別な言葉で祖先を敬うこと美徳を説教されたフロイス。


「なんと 誰にも議論で負けたことが無いのに、ふつーの平民に自分は論で負けた」と驚いた。

儒教の思想が間違えているとフロイスは論じることができなかった。

これ 有名な話です。

フロイスは、僧侶から取り込もうとしたので失敗した。
僧侶にものの見事に倫理で負かされてしまった。
僧侶じゃなくて 7歳以下の子供に「お前を作ったのは俺の神様だっぺ これほんと」って言いくるめればよかったのに、間違えて知識層の僧侶を仲間にしようとしてしまい、倫理で倒されてしまいました。

いまだ勝ったことは一回も無い。
今後も無いでしょう。


ただ、こういうことがあったからといって、バチカンは日本だけ祖先も敬っていいよって日本独自の教義を作ったという話は聞いたことが無いです。

ですが、以前は神社仏閣に詣でたら破門 まではいかないが 厳しく足を向けないように信者に言っていたらしいが、最近は修学旅行に参加できず困っている信者のために、まあ 拝まなければいいよ って柔軟な対応に変更したって話は聞いたことがあります。

ですが、正月はもちろん祝わないなど ルールはあるらしいです。
中国でも正月があり太陽の蘇りを祝うのですが、キリスト教は太陽の蘇りを祝うクリスマスをしますが、緯度の違う日本で同じような祝いをすることは禁じています。

同じ太陽信仰なのですが、名前がアマテラス じゃ だめらしいです、 ホルス様でもだめらしいです。
イエシュアでもヨシュアでもだめで、 イエス様 (必ず様をつけること)の復活でござーる って言わないとだめらしいです。
マンセーって叫んではだめ ラーメンもだめ。 エジプトのアメン神の復活でござーるって言わないとだめらしいです。

前 何故アメンって言うのかって話が書かれたものを図書館で読んだことがある。
「違うね アメン神の言うとおり」って意味だね きっと」 って思いました。

真理とは ○○である そのとおり アメン神の言うとおり ってアメン教がエジプトにあって、その名残でアテン教が慣用句として使い、イスラエル人も慣用句として使うようになったのだと思う。

要するにアメンって言うってことはアメン教信者ってわけです。
キリスト教もアメン教なわけで、アメン教をつぶしたアテン教の残党 ユダヤ教とは仲悪い。
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またおもった(?)。



デウスを「信用しないと地獄に落ちる」ならともかく、「拝まないと地獄に落ちる」というのであれば、結局理不尽なのでやっぱり有罪。
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よく、一緒に泥沼に落ち込んだら他人を助けられない。

とか、

自分が上に上がってこそ下に落ち込んだ人にはしごを渡すことができる

 とか言いますよね。




ここでひらめいた(?)

もしデウスうんぬんの話が本当だとしたら、

デウスを拝んで天国(煉獄でもよい)に行ってから地獄に落ちた人を助けようと思ったとしても、そもそもデウスは自分を拝まないから地獄に落としたのであって、当然のごとく絶対権力を持つゼウスはそれを許さないでしょうね。

そうすると、あえて地獄に行って地獄をぶっ壊すか、デウスを殺す方法も考えられます。しかしこれも絶対権力を持っているゼウスなので、できないでしょうね。とすれば、助ける方法はなく、他者を助けるのは諦めるしかないか。
そうすると、違う世界に行って、あるいは創ってそこから攻撃を仕掛けるか?そのためには自分が創造者となるよう力をつけなければならないですね。結局まずは自分を救うしかないか?


もしデウスうんぬんの話が嘘だとしたら、もちろん拝む必要はないわけです。

 どちらにせよ 「拝まない」で結論は出た、ということで。


しかし、「地獄」が必要なものであり、行くべき人が行くと考えるなら話しは別ですね。

しかし、「地獄へ行くと永遠に出られない」のであれば、理不尽であり、不条理なので、「拝まない」が正解でしょうか。

 こうなると、その「地獄」とやらがどのような場所で、どのように定義されているかが問題となってきます。



こんな感じかなあ?
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>「デウスさまを拝まないと地獄に落ちるだか?


  おらの爺様や婆様も地獄にいるだか?ならおらも地獄に行く。
  自分だけ助かるだなんて、そんたら不孝なことはできねぇ」

ワシがしっとるのは日本人ではなくゲルマン人なんだけどな。
土着宗教を信じてるもんをキリスト教徒にしようとすると
キリスト教化前の先祖の扱いに困るのよん。
地獄に行くと言うのも反発があるし天国行くと言ったらキリスト教徒になる意義が減るし
そこで、たしか「煉獄(?)」という微妙に嫌なあの世の概念を発明したらしい。
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>日本に来ると教義に疑問を持ってキリスト教を捨てる人間が続出するもんで



キリスト教をはじめとするアブラハムの宗教は、みな排他的で、選民思想があるでしょう。
われわれの島では、宗教に対して大らかで、あまり排他的でないし、選民思想よりは「みんな一緒に幸せになりたい」人々が多いので、感動してしまうのでしょうな。

この島でもキリスト教に帰依する人はいるわけですが、この人たちは「爺様や婆様も地獄にいるだが、俺だけは天国さ行くさ」と考えているのですかね。まあ、そう考えるしかないですけどねぇ。
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なるほど、そんな話もあるんですか。


イギリスが200年にわたって植民地として支配しながら、キリスト教が布教出来なかった、
キリスト教の教義が通用しなかった、インド、はさらに特別ルール、なんでしょうね。
10年ばかり前、アメリカに語学留学を5か国語が話せる、女の子に。
歴史上最も知恵がある人物は誰だと思うかい?と聞いたら。ちょっと考え、自信なさげに、
イエス、キリスト?と答えました。私は、唖然、そして、はっ、としました。
そうなのか、ギリシャ語から派生した英語を学ぶと、言葉自体に神が存在している。
そういう言語になっているのだ。それが、キリカト教信仰の根強さ、なのだ。
西洋人は生まれた時から、キリスト教徒として育てられる(西洋人はヒンズー教徒をそう表現していますが)のだ。と考えさせられたものでした。
日本語には、愛憎、善悪、美醜、というような言葉があり、
愛=憎悪 であり。善=悪であり、美=醜、であり。
同時に、愛×憎悪=感情、思惑 であり。それらは、愛がなければ憎悪はない。というように、
表裏一体、一つの事の両面である。愛とは、憎悪とは、などと一つのものを分割した
形而上学的定義はしない、すれば嘘になる。という(釈迦や老子の?)弁証法思考が、言葉の中に、含まれているのです。
昔の?日本人やインド人に、キリスト教の教義が知恵として通用する訳がないのです。
キリスト教はユダヤ教の分派ですが、旧約聖書は、モーゼの、出エジプト記、から始まっていたと記憶しますが。ユダヤ教の神、霊魂、の思想は、古代エジプトの神、信仰、を自分達の神、信仰、に置き換えたものであることは間違いないと考えられます。
西洋の歴史で唯一?知恵の時代と言えるかもしれない、古代ギリシャ哲学、の時代。
ソクラテスが言う「在るものを在るがままに見る者は、思惑愛好家、ではなく愛知者(哲学者)と呼ぶべき者ではないかね」の、ないものを在ると主張する、思惑愛好家、がユダヤ人、ユダヤ思想、を意図していたかどうかはともかく。ギリシャ時代には、ユダヤ思想は登場しません、(相手にされていない)
ギリシャ哲学とは、プラトンがその知恵を恐れて、デモクリトスの書を買い占め出回らないようにした
。そのデモクリトスはインドに遊学しインドの修行者達と交わり学んでおり。ギリシャ哲学の一方の頂点、とも言える、まるでインドの修行者、仏法者、そのものと見れる。デイオゲネス、が登場しており。
プラトンの哲人政治は、バラモン階級の創設に他ならないこと。など、多分を付けずとも、古代インド哲学の流入、影響、によるものなのです。
マルクスが「形而上学批判」の中で言う、知恵を台無しにした、アリストテレスの形而上学、により。
ギリシャ哲学は哲学は終焉となり。技術、軍事、産業、(知恵の悪用?)のローマ時代となり。
「パンと娯楽」「パンとサーカス」などと言われる、ローマ帝国の繁栄=退廃の末期、「人はパンのみによりて生きるにあらず」のイエスが登場し、ユダヤ思想の復活、となり、やがて南下してきた、まだ文字ももたなかったゲルマン民族に文字と共に広がり、世界宗教となった。という流れになっているようです。
愛を唱えるキリスト教、西洋の歴史は、どうひいき目にみても、憎悪の歴史であり。
キリスト教徒とイスラム教徒、ユダヤ教徒、は同じ神、兄弟宗教でありながら、憎しみ会い、殺し会いを繰り返し、それは現在も続いているのです。
反ユダヤ思想、神の否定、のドイツ哲学、ナチズム、マルキシズム、が葬られ。
世界がユダヤ思想に彩られている現代ですが。アウッビッシュの悲惨、は許されない事であっても。
ユダヤ思想をどう超克するのか、は第2次世界大戦後の人類に残された、宿題、ではないでしょうか。
御質問の、出典となる本は知りません。
意図に反した回答かも知れませんが、哲学カテ、としての回答はこんなものではないでしょうか?。
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