【大喜利】【投稿~9/7】 ロボットの住む世界で流行ってる罰ゲームとは?

イスラム教とキリスト教で信仰されているアッラーとゴッドは、同じ神だと本で読みました。なのに二つの宗教は教義が違います(豚を食べてはいけないとか1日5回メッカに向かってお祈りしろとか)。コーランも聖書も同じ神の発言録なのに、言ってることが全然違うのはなぜなのでしょうか?
 信者の人たちはこのことをどう解釈しているのでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • >「神の発言録」を「憲法九条」と例えると
    ><コーラン>という解釈、<聖書>という解釈があります。

    例えがよく分かりません。
    コーランと聖書の元になった「神の発言録」とは何ですか?旧約聖書のことですか?
    旧約聖書をどう解釈すれば「豚肉食べて良い」派と「豚肉食べちゃいけない」派に分かれるのでしょうか?
    コーランは預言者ムハンマドを通じて神が託宣した言葉そのもので「豚肉食べるな」とはっきり書いてあるのですから、「豚肉食べて良い」なんて解釈の余地は無いと思います。

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/09/12 22:53
  • >そらあんた、神様だから。

    神様は全知全能・唯一絶対の存在のはずなのに
    言うことが矛盾してるのはおかしくないですか?

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/09/12 23:12

A 回答 (20件中1~10件)

宗教というのは、実は土着信仰やその民族の文化によって容易に変化するものなのです。

たとえば、キリスト教でも大きな分かれ目としてカソリック・プロテスタント・ギリシャ正教(ロシア正教)に分かれますが、それぞれの地域の文化に合わせて「教え」を選んでいるからです。またカソリックの総本山はイタリアのバチカンですが、イタリアはマリア信仰が厚くまた昔の土着の神様(日本でいえばお地蔵さんみないなもの)が祭ってあったところを、聖人の名前に変えて祭っていたりします。これはイタリアだけの風習です。
 アメリカもキリスト教の国ですが、同じ宗派でも白人の通う教会と黒人の通う教会ではミサの形式が全然違います。白人は祈りや説教を大切にするのに、黒人は讃美歌を歌って踊って神を賛美するからです。

このように、宗教というのは人種とか文化とかによって変化するものなのです。


>神様は全知全能・唯一絶対の存在のはずなのに,言うことが矛盾してるのはおかしくないですか?

おかしいですが、エホバ(ユダヤ・キリスト・イスラムの唯一神)の言葉は「預言者」という人間を通じて広められる、と考えられています。これがある意味「唯一神」である神と人間の文化の変化のすり合わせの発明と言えるのかもしれません。

イスラム教は「最後の預言者」といわれるムハンマドが記したコーランを信じる人々です。ムハンマドはアラブの人で、キリスト教では実践しにくい砂漠の過酷な地域で神を崇拝する方法を記したため、アラブ地域に瞬く間に広まっていきました。地域的にはキリスト教もあまり普及しておらず、ユダヤ教はユダヤ人だけのものですから、当時のアラブ地域で標準語だったアラビア語で記したコーランはブームとなって広がったのでしょう。

そのコーランにおいては、キリスト教を広めたイエス・キリストも「預言者」であったと書かれています。もちろん、モーゼも預言者ですが「神(エホバ、アラビア語ではアッラーフ)から最後に預言を受けたムハンマド」を信じるから、キリスト教やユダヤ教の神と同じながら、教えがちがってくるのです。

日本人の考え方では「同じ神が預言しているのに、同じ神を崇めるはずのキリスト教とイスラム教が戦争するのは、神が全知全能ではないからだ」と考えますが、それは私たちが多神教の世界に生きているからです。

一神教を信じる人たちは「神との契約は1回で絶対」なのです。それも「神に選ばれて」教徒になる、というメンタリティーはユダヤ教から同じなので、キリスト教徒でもイスラム教徒でも「神が私を教徒に選んでくれた。ありがたや、ありがたや」と考えるので、選ばれてその宗派にはいったら「ほかの教えがあろうが、神の言葉が矛盾していようがどうでもいい」ということなのです。

日本でも、新興宗教に嵌ると、矛盾があっても洗脳がなかなか解けませんから、宗教というのはそういうものなのでしょう。

もう一つ「宗教」について書いておかなければならないのは、宗教は政治と容易にむすびつく、ということです。
日本でも比叡山の焼き討ちなどがあるように、民衆の信仰を集める宗教は政治に対立することが簡単なため、多くの国で逆に宗教を政治に取り込む努力がなされています。

アメリカですら、宣誓は聖書の上において行いますし、イギリスに至っては国王の離婚を認めなかったために、イギリス国教会という国家宗教を作ってしまっています。

日本の場合、多神教で政治と宗教が一つになる時代はせいぜい飛鳥時代ぐらいだったため、宗教と政治を切り離してみていますが、イランなどは神制共和政であり、国家の最高指導者が宗教指導者(今はハメネイ氏)になっています。

こういうことがあるため、政治をつかさどる人々(王族や民主指導者など)は宗教を利用して民衆を操るため、同じ神でも都合よく教義を選ぶこともあるわけです。

神が全知全能かどうか、神が本当に存在するのかどうかは分かりません。
しかし、人々の大きな流れに、本当に神が介入したこと、はありませんから結局それを選ぶのは「人」であって、人は好き勝手に自分の都合のよいものを選ぶ、ということです。
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なぜなら、神は人が作り出したものであり、人1人1人の思いは違うものだからです。



現に聖書などは長い時の間に何度も違う方の手に渡り、幾度ともなく書き改められた物。
聖書には幾つもの矛盾があるにも関わらず、それを受け取るのも人次第であり、
到底誰にも完全に理解出来るような代物ではございません。

ですから、神は唯一無二の存在なのか、
あるいはイスラム教とキリスト教の信じる神は同じなのか、そうではないのか・・・
これも人により考えが違ってきます。

どの本をお読みになったのかは存じませんが、その本も我々人類が作り出したもの。
それも、ただ1人、あるいは何人かの方々の考えを纏めただけという可能性もあるのです。

神を解くというものは人間の真理を解く事に似ているのかしれませんね。

あぁ、難しい事を考えたら疲れてしまいました。
貴方も程々にして、あまり根を詰めなさらないようお気をつけください。
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神は人に対して言葉を発していないからだと思います。


すなわち、預言者なり、救世主なりが、そう伝えているので、神が同じであっても差異が生じるわけです。
神を信じるかどうかは別の問題です。
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神様は人間がつくったものだからです。


定義も解釈も狭義もまちまちで当たり前。

人間が作った宗教を、ほかの人間が勝手に解釈して、商売(教団設立)をしたり悪事を働く団体が多いですね。
例)
イスラムの教えを曲解して非道なことを繰り返すイスラム国
国内では、理想の国家を作るとか終末理論を持ち出しテロに及んだ、O真理教。
世界平和をうたいながら敵対宗派(仏教団体N)への襲撃を繰り返し盗聴や個人情報漏洩などの大きな事件を繰り返した経済マフィアとの異名を持つS学会。
修行といいながら、暴力、セクハラを繰り返した、H、T、Kなどの事件も有名ですね。
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とどのつまり、100人居たら100通りの解釈が有る。

結局、神さんは自分の中に居る。
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病応与薬です。

簡単なことです。
信者も非信者も理解できません。聞いて理解できると思っているのですか。
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宗教は人が勝手に決めたことだから、


信仰による違いなどどうでも良いのですが、
イノシシを家畜化したのが豚。
つまり「財産である豚」を食べてはいけないというのは、
自分の財産を守る意味があったと思います。
オオカミを家畜化した「犬」を食べないこと同様な気がします。
未だに犬肉を食べる民族もいますが。
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キリスト教だけでも100以上の分派が有る筈です。

ハッキリ言って違う神です。
ある聖職者が「神様はどこにいるのですか?」と聞かれて 自分の頭を指したそうです。
そうです、神の根拠は人の精神にあるのです。極端に言えば一人一人神が違うのです。
同じ日本語を使っていても貴方と私では考えは違いますよねえ。神に対する解釈も違う。
同じお釈迦様の教えでも南無阿弥陀仏と南無妙法蓮華経では考えも行いも全然違います。
ましてイスラム教にはキリスト教に無いマホメットの教えがあります。
旧約聖書と新約聖書が違うように イエスの教えとマホメットの教えは違うのです
宇宙に神なんて在りません。エネルギーと性質の法則があるだけです。
イエスの神とマホメットの神は違う神だと考えて下さい。でないと現実の説明が付きません。
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ブタを食べてはいけない等は、母体となったユダヤ教の教えです。


イスラエル人たちが荒野を流浪していた時期にモーゼを通じて示された教義です。
キリスト教は、イスラエル人限定の教えから、全ての人のための宗教に変化するため、生活を束縛かる細部のルールのほとんどを破棄しています。
イスラム教は、同じようにユダヤ教から派生しましたが、イエス・キリストの出現と、それに関連して記された新約聖書の部分をスルーした結果、ユダヤ教のややこしいルールが残りました。
ユダヤ教を親として生まれた兄弟のような宗教であり、視点の違いから、神に対するイメージも異なったものになりました。
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まず、キリスト教とイスラム教の前にユダヤ教があります。



ユダヤ教とキリスト教も同じ神ですが、当時のイエスキリストは、別にキリスト教を興そうと思っていませんでした。ユダヤ教を改革しようとしていました。

改革ですので、教義も異なります。

そしてイスラム教ですが、イスラム教の思想として、「ユダヤ教、キリスト教は認めるが、神は言い忘れた事があった。私(ムハンマド)の言う事は神の言葉であり今から神の言い残した事を伝える。そして今後はこのような事例は一切生まれない。これが最後の神の言葉だ。」と言うものです。

ここからイスラム教が生まれました。

イスラム教としては、ユダヤ教もキリスト教も容認する立場ですが、それらは未発達な伝承で、イスラム教こそが神の本当に伝えたかったものであると言う立場です。そのため、ユダヤ教ともキリスト教とも教義が異なります。

そして、ユダヤ教徒やキリスト教徒からすれば、勝手に出てきたどこの馬の骨とも分らない新参者が「本物」風情でいるので面白くありませんので対立が起きました。
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