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大学でキリスト教の学問を学ぶことは、別にキリスト教信者になれという意味ではないとしたら、キリスト教を学ぶ理由はどのような意味があるのですか?

A 回答 (7件)

2000年続いた宗教で、過去には多方面に極めて大きな影響力を持っていたのだから、キリスト教は文化や人間の物の考え方に多大な影響を与えています。

キリスト教を完全に無視して、歴史や哲学や文学、芸術、また他の関連した宗教(イスラム教もその一つ)を理解することはできないわけで、キリスト教の研究は他の学問の理解を助けます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2019/12/21 15:46

はじめまして。

カトリックの信者のものです。

ミッション系のスクールには必ず、宗教の時間が設けられていますね。

世界史に大きな影響を与えてきたキリストの教を学ぶことに意義を見出だしたり、哲学や科学などの諸学を深く学び得るために必要、など色々意見があるかと思います。それも理にかなった意見ではあります。

でも、そうした意見は仮にキリスト教が世界で最もマイノリティな宗教だとしたら、意義を失ってしまうものになってしまいます。

私はそういう立場とは違った考えです。

キリスト教に限らず、長きに渡り大切にされてきた宗教的な思想、教えには、生きる意味、人生の目的、命の価値の根源を追及し、蓄積してきた深い知恵に富んでいます。それは、先人達が命がけで守り、伝えてきた大切な宝物です。

私たちはなぜ学び、なぜ生き、存在しているか、一人一人、自分が納得する形で、その存在価値に気付けないなら、その人の人生にとってあらゆる学び、あらゆる活動は、意味と目的を見失ってしまうことになります。

こうした宗教的な学びの大切な意義は、学生一人一人の生きる意味、人生の価値を見出だすための機会として、ミッション系の学校が学園の理念として大切にしてきているものなのだと思います。

信者の拡大というのは、その結果の一つに過ぎず、まずは学生の人生を豊かなものにするのが第一の目的であると思います。

人生には順風なときもあれば、そうではないときもたくさんあります。迷いが生じたときに、ふとその授業で出来事を思い出してみると良いかもしれません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2019/12/23 10:37

キリスト教を学ぶ理由はどのような意味があるのですか?


 ↑
どんな文化も、その根底には宗教があります。
キリスト教を学ぶのは、欧米を初めとする
キリスト教文化を
理解する、という意味があります。

神は己に似せて人間を創った。
己に似せるぐらいだから、神は人間を
愛しているに違いない、
人間は神に模した特別な存在である。
なぜ特別な存在として創ったのだ?

こういう考えかたから、人間の生きる意味
は何なんだ、とか
総ての動植物は人間のためにある、とか
という思想が生まれてきたのです。

その反面、もはや神は死んだ、だから
人間は自分で生きる意味を創らねばならぬ、
とする考えも出てきます。

こうした考えは日本にも影響を及ぼして
いるわけです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2019/12/22 09:29

学問を学ぶ理由は、「その内容を理解するため」というのが高校までの学問です。

それを「勉強」と言います
「勉強」には本来学ぶ意味はありません。「強いて」「勉める」ということです。
先生が言ったことの内容を理解するように「強いて勉める」のです。

でも大学は、本来「研究」する場です「本質を究める場です」
キリスト教の本質を究めるには、客観的立場に立つ必要があります、あらゆる角度から見つめるわけです。
それが、大学の学びです。そこで学んだ事が、次の学びとなり、最終的に「専攻」となるわけです。
また逆に、自分の「専攻」に活かすために学ぶのです。
それは、繰り返すようですが、単に「内容を理解する」だけではありません。
そうした大学の学びに気が付けば「キリスト教を学ぶ意味」が理解できると思います
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2019/12/21 23:43

皆さんが答えておられるとおりなのですが、


「大学でキリスト教の学問を学ぶこと」という言葉が少し気になります。
大学でキリスト教について教えておられる先生にはキリスト教徒が多く、
哲学、歴史学、文化人類学などの観点から客観的にキリスト教を扱う講座
というのは、めったにないように思うのです。
キリスト教は世界中に浸透し、多くの人の考え方の背景になっていますから、
入信するわけではなく、一歩離れた立場からキリスト教を学ぶというのは
とても大切なこと(信者でない人にとって特に!)と思うのですが、
大学でそれが可能かどうかとなると、大いに疑問です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
以前行ってた大学でそうしたカリキュラムをやってました。
昔を思い出してふと気になりました。

お礼日時:2019/12/21 22:35

キリスト教徒の人たちは仏教を宗教ではなく哲学だとおっしゃることがあります。

では,その浄土真宗をご質問者は少しでもご存じですか。信者でなくとも生きていく方法が教行信証や歎異抄からはなんとなくわかりますよ。イスラム教も同じです。コーランを読む必要はありません。阿刀田高氏の『コーランを知っていますか』を読めばいろんなことがわかります。では,高校の漢文はとってませんか?漢文で論語が使われます。あれもコーランに通じるものがあります。というのも,その時代の歴史背景が似ているからです。とかいったことを,一種の教養として身につけておくと,生きていくときになにかと便利ですよ。だからキリスト教も同じです。だってさ,キリスト教とユダヤ教とイスラム教はどれも一神教。つまり同じ神様の元に生き方を考えているわけだし・・・とかいうのも面白いでしょ? 神様の話ってのは,僕ら無宗教の人間にとっては,生き方なんです。水を求めた争いをおさめるにはどうしたらいいか,他人と争うときにどうしたらいいか・・とかね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2019/12/21 17:44

欧米のものの考え方や価値観、社会の背景、人生観、歴史、文化、芸術などを理解するための「基盤」を知ることができます。



日本の文化を理解する上で、仏教や神道、日本神話や古典(古事記、日本書紀など)、「詫び、寂び」の心、武士道、自然観、無常観などを知る必要があるのと同じようなことです。宗教を信じることとは別な次元の話です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2019/12/21 16:00

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