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イスラム教とキリスト教で信仰されているアッラーとゴッドは、同じ神だと本で読みました。なのに二つの宗教は教義が違います(豚を食べてはいけないとか1日5回メッカに向かってお祈りしろとか)。コーランも聖書も同じ神の発言録なのに、言ってることが全然違うのはなぜなのでしょうか?
 信者の人たちはこのことをどう解釈しているのでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • >「神の発言録」を「憲法九条」と例えると
    ><コーラン>という解釈、<聖書>という解釈があります。

    例えがよく分かりません。
    コーランと聖書の元になった「神の発言録」とは何ですか?旧約聖書のことですか?
    旧約聖書をどう解釈すれば「豚肉食べて良い」派と「豚肉食べちゃいけない」派に分かれるのでしょうか?
    コーランは預言者ムハンマドを通じて神が託宣した言葉そのもので「豚肉食べるな」とはっきり書いてあるのですから、「豚肉食べて良い」なんて解釈の余地は無いと思います。

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/09/12 22:53
  • >そらあんた、神様だから。

    神様は全知全能・唯一絶対の存在のはずなのに
    言うことが矛盾してるのはおかしくないですか?

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/09/12 23:12

A 回答 (20件中11~20件)

私の母親は関東の出で味噌汁の塩気が濃かった。

家内は九州の出で味噌汁の塩気が薄かった。同じ味噌汁なのにはじめのうちは家内の味噌汁は間抜けで、こんなもの味噌汁じゃないと文句言ってた。んで、数年後久しぶりに母親が味噌汁作ってくれたのでそれを飲んで、塩っぱくて飲めたものではなかった。

あんた、理屈で神さまのこと考えているんだね。神さまって理屈を捏ねくり回すためにおわしますのではないんだよ。神さまって何のために居ますのかトコトン考えてみな。
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>例えがよく分かりません。



 地頭が良くない方、
最近の話題に疎い方には
理解出来なか今も知れませんね

>コーランと聖書の元になった「神の発言録」とは何ですか?
>旧約聖書のことですか?

 アナタが、書いた事でしょう
「神の発言録」てコーランと聖書の元とも書いてあるし

>旧約聖書をどう解釈すれば「豚肉食べて良い」派と
>「豚肉食べちゃいけない」派に分かれるのでしょうか?

 具体的に「食べてはイケナイ」と書いてあるのか
読んでいませんが 憲法9条にも
「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」と
あるけど自衛の為に戦いますよね?

 憲法はスローガンですので
旧約聖書を解釈した人も「スローガン的」に捉えたのでしょう

>コーランは預言者ムハンマドを通じて神が託宣した
>言葉そのもので「豚肉食べるな」とはっきり書いてあるのですから、
>「豚肉食べて良い」なんて解釈の余地は無いと思います。

 それをうまく解釈するのですよ
「豚肉」を食べたいので それが、人間というモノです
たぶん、アナタは悪く言うと、
「自分の意見をけして曲げない」
「柔軟性がないつまならい人間」なのでしょうね

 そもそも、神(宗教)という存在を
信じる事自体がナンセンスなんですけどね
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自分は、どの神様も同じだと思います。


ただ、人は神様を現実世界で見たことがないので、地域や人種や国で解釈が異なるのではないのかと思います。
宗教を利用し、人心をコントロールしているシステムが良くないだけです。
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『イスラム教とキリスト教で信仰されているアッラーとゴッドは、同じ神だと本で読みました。

』 多くの場合、本を読んで知るとか教えてもらって知るとかが、普通の『知り方』です。 宗教や信仰の場合でも同様のことがいえます。 親や周囲の人や神父、牧師、指導者などから教えてもらって、『こういうことなんだ』と知っていくのが普通です。 他人がどのような信仰や規律を大事にしているかを知る機会はあまりないのが普通です。 キリスト教にも、ローマカトリック、ギリシャ正教、たくさんのプロテスタント、英国国教会がありますが、その信徒でも他の人がどう信仰しているのか、どんなタブーや規律を大事にしているかはそれほど知らないでしょう。何かの事情があって、違う教えがあるとわかっても、『変なやり方』と思うだけか、『異端・邪教』のように感じてしまうかではないかと思います。キリスト教系統なら聖書は同じようなものとは言え、信徒が聖書を隅々まで読むことは珍しいでしょう。グーテンベルグの印刷が普及するまで、聖書を読むことは聖職者限定で許されることで、一般人はそのようなことは許されなかったそうです。コーランは原則として翻訳されませんから、言語圏の異なる一般人は読むことも出来ないでしょう。コーランと聖書の記載内容を云々するということは、まずないと思います。キリスト教の聖書に申命記もあり、第14章8節には《また豚、これは、ひずめが分れているけれども、反芻しないから、汚れたものである。その肉を食べてはならない。またその死体に触れてはならない》と書かれています。https://ja.wikisource.org/wiki/%E7%94%B3%E5%91%B …  キリスト教の聖書に使徒行伝(使徒言行録)もあり、その15章23-29節に《聖霊とわたしたちは、次の必要な事柄以外、一切あなたがたに、重荷を負わせないことを決めました。すなわち、偶像に献げられたものと、血と、絞め殺した動物の肉と、みだらな行いとを避けることです。以上を慎めばよいのです。》とあり、申命記の大半の律法をやらなくてイイと言っています。申命記の律法は守るのが難しいという理由らしいです。 仏教でも戒律は気にしなくてイイ、経典の勉強も無用、修行もいらない、念仏称名でイイとか、信仰の気持ちだけで救われると説くようなものです。
でも、一般の信者にとっては、そうした経緯や状況はドウデモよいというか、普通は知らないです。 自分が親や周囲の人、宗教指導者や牧師、神父などからたまたま聴いたことの中で、自分で覚えていることだけを大事にしていて、聞いても忘れたことや聖書、コーラン、そのた経典や解説書に書いてあることを調べて、相違がないか、間違ってないか、矛盾はないかなどは考えないのだと思います。

宗教ではないけれど、学校でならった理科社会国語英語などでも、自分の覚えている範囲で思っていて、他人の理解している内容と異なっていても、さほど気にしてないのが普通だと思います。
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1. 旧約聖書のエレミヤ書31:31以降には《新しい契約》が書かれています。

その中では:

   ( a ) 神はもう人びとの罪をおぼえない。忘れる。(ひとはゆるされる)
   ( b ) 神を知れといって人が人におしえることはなくなる。(オシへはなくなる)

 2. そしてこの記事は そっくりそのまま新約聖書のへブル書8章に掲げられ確認されています。
   つまりは――その聖書記者の見るところでは―― イエス・キリストの現われたことによって エレミヤ書の預言が成就したと言います。

   ▲ ヘブライ人への手紙 8章
    http://www.bible.or.jp/read/titlechapter.html

 3. つまりは キリスト・イエスの指し示した神としては 旧約におけるアブラハムやモーセの神は その神がみづから自己を揚棄しました。
   みづからを開き いと高きところなる普遍神に揚げ ふるき自己を棄てた。

 4. となると この普遍神から見ると 世界のいろんな名の神とその信仰は 次のように図示され得ます。

  ○ (神とわれなる関係としての信仰は すべて《梵我一如》類型で捉えられる) ~~~~~

  A. ブラフマニズム:梵我一如
   梵:ブラフマン・・・・・マクロコスモス。神
   我:アートマン・・・・・ミクロコスモス。霊我

  B. ゴータマ・ブッダ:無梵無我一如(=無神論)
   無梵:空(シューニャター)・ゼロ
   無我:アン‐アートマン;ニルワーナ

  C. ブディズム:仏仏一如(=有神論)
   仏:アミターバ・ブッダ(阿弥陀如来)
      / マハーワイローチャナ(大日如来)
   仏:タターガタ・ガルバ(如来蔵)・ブッダター(仏性)

  D. クリスチアニズム:霊霊一如
   霊:神・聖霊
   霊:《神の宮なるわれ》

  E. (プラトン?):霊霊一如
   霊:宇宙霊魂(プシュケー・コスムー) / 世界霊魂(アニマ・ムンディ)
   霊:《われ》

  F. 《もののあはれを知る》
   霊:かみ(自然および超自然)
   霊:われ(自然本性)

  G. ユダヤイズム:霊霊一如
   霊:ヤハヱ―;(エローホ=神)
   霊:われ

  H. イスラーム:霊霊一如
   霊:アッラーフ(イラーハ=神)
   霊:われ

 5. 質問者のおっしゃるように 神が神であるなら――普遍神しかないはずであって―― 前項の《 G 》も《 H 》も同じひとつの神であるはずです。名前が違ってもです。エローホ=イラーハというように 神という言葉は どちらかが訛っているだけで まったく同じなのですが。

 6. ということは ユダヤイズムやイスラームは なおまだ民族宗教や多民族をたばねたムスリム仲間の一宗教にとどまっている。イスラームの神も 外への開かれ方がまだ中途半端なのでしょう。

 7. 大ざっぱで愛嬌のような議論をしますと ヤハヱー信仰の始まったアブラハムからイエスまでは――ヤハヱ―神が自己揚棄するのに――二千年かかりました。
 キリスト・イエスのあと クリスチアニズムなるオシへ(宗教)から人びとが自由になるのに ざっと二千年です。
 ムハンマドが出てからいままで千四百年。
 ユダヤイズムはどうなるか分かりませんが イスラームの変化はもう少しかかるのでしょうか。あるいは そういうことにはならないのでしょうか。

 8. なお《神の発言》というのは ヒラメキなどを仮りに人間のことばに翻訳するとそうなるといったかたちで言わば補助線として表現したものです。神の心としての正解そのものではありません。
 ということは その人間が自分の責任で表現していると考えられます。
 多様性はよいことなのでしょう。
 中で 互いに矛盾することは 互いに自由に批評しあって行くのが のぞましい。
 というよりも オシへにはいっさいこだわることのない信仰のあり方を実現すべきでしょう。
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位置づけとしては


受け皿が多様であることは
動的な世の中に付随する混沌による
社会的な必要性に対する懐の深さにつながる

という結果になっているんだと思います。
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ユダヤ教が抜けていますが、ユダヤ教も旧約聖書のレビ記により、豚は食べてはいけません。

(イスラム教よりユダヤ教の方が禁食の種類は多いようです)
キリスト教の場合は、パウロにより禁食が撤廃されました。
したがって、キリスト教の場合は、教義により旧約聖書の禁食を解除した事になります。
イエス・キリストがそのような事を発言した事は無いようなので、神がそのような発言をしたわけではないようですね。
キリスト教の場合は、新約聖書があるので、旧約聖書とは神との契約内容が違います。
ユダヤ教とイスラム教でどの程度の違いがあるのかわかりませんが、基本的にはイスラム教も旧約聖書は認めています。
ただ、ムハンマドが啓示を受けたコーランがあるので、そちらの方が優先になります。
何故違いがあるのかと言えば、啓示を受けた人間が違うし、啓示を受けた時期も違いますからね。
イスラム教の立場としては、ユダヤ教とかキリスト教は、人が解釈をゆがめていると言う事のようです。(公式見解として、そのような発言があるわけでは無いです)
ユダヤ教やキリスト教がどう考えているかはわからないです。
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神の言葉を受けた者が、それぞれの解釈の違いによって伝えてしまった事が要因、と解説されているのを何かで見ました。


判りやすく簡単に言えば、伝言ゲームで一人の人が言った事を3人の人が聞き、3人それぞれのラインに伝えていった時に
最後になった人の所で、その最後になったそれぞれのラインの3人が答えた時に意味が重ならないのと同じ。
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>コーランも聖書も同じ神の発言録なのに、言ってることが全然違うのはなぜなのでしょうか?



 そらあんた、神様だから。


 > 信者の人たちはこのことをどう解釈しているのでしょうか?

 解釈してない。神様の言葉を聞いたヒトの言うことを信じているだけ。
この回答への補足あり
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>コーランも聖書も同じ神の発言録なのに、


>言ってることが全然違うのはなぜなのでしょうか?

 例え話です

 現在 日本では、「集団的自衛権」の解釈で
揉めていますよね?

「神の発言録」を「憲法九条」と例えると
<コーラン>という解釈、<聖書>という解釈があります。

 集団的自衛権は、
憲法九条と照らし合わせて合憲、違憲という
全く逆の解釈になりますよね?

  解釈の仕方で同じ
「神の発言録」(憲法九条)でも
別の結果になったのでした。
この回答への補足あり
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