ショボ短歌会

先に、
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11395879.html?order …

で質問があり回答しましたが、理解されないまま有耶無耶になっています。質問者の理解力の問題ですが、他の回答もピント外れなものが多く、何を誤っているかを明確にし諸賢のご意見を伺いたいと思います。このままでは、質問者も根本的な誤りが理解できないままにゴミ溜めに入れ、いつものように思い付いた時に持ちだし同様の質問を繰り返すだけと考えます。質問は次の通りです。

このところいくつかの同じような質問があって、眺めているうちに妙なことを思いついてしまいました。

1)公園を散歩する
2)公園で散歩する
 どちらもフツーに使うでしょう。
 日本語教育のジャンルでは有名な話のようです。
https://search.yahoo.co.jp/search?p=%E5%85%AC%E5

3)公園の散歩をする
4)公園での散歩をする
 どちらも無理気味です。特殊な文脈をもってくればなんとかなるかもしれません。
「公園(で)の散歩」を日課にしているくらいならアリでしょうか。

 さて、本題はこのあとです。
5)公園を掃除する
6)公園で掃除(を)する
7)公園の掃除をする
 6)だけはなぜか「を」があってもなくてもいい気がします。理由は不明です。

「散歩」だと「の」に異和感があるのに、「掃除」だと自然なのはわかりますが、なぜなのでしょうか。
 1)と2)はほとんど同じ意味に思えます。
 でも、5)よ6)は相当違う気がします。どう考えればよいのでしょうか。//

まず、質問に回答しましょう。
1.
6)公園で掃除(を)する
だけはなぜか「を」があってもなくてもいい気がします。理由は不明です。

これは、掃除という名詞が動的な内容を表しており名詞としてそのまま使用すれば「掃除【を】する」になり、この動的な内容を捉え直して、<サ変動詞>「する」を使用し「掃除する」という<サ変複合動詞>としても使用できるということです。

2.
1)公園を散歩する
2)公園で散歩する

1)と2)はほとんど同じ意味に思えます。
 でも、5)と6)は相当違う気がします。どう考えればよいのでしょうか。

これは同じ意味ではありません。格助詞「を」と「で」は意義が異なり、話者による対象の捉え方が異なるので意味が異なります。格助詞「を」は動的な対象認識を表すもので、動作の目的を表し、「散歩する」という行動の目的として対象である「公園」を捉え表現しています。

格助詞「で」は対象を手段・方法として捉えており、「散歩する」手段・方法として「公園」を捉え表現しています。では、

5)公園を掃除する
6)公園で掃除(を)する

の場合、何が異なるかといえば、「散歩する」は自動詞で、対象に作用するため、その対象を「を」で表し、自動詞の場合とは対象との関係が異なります。自動詞である「散歩する」の場合は「を」の目的であれ、「で」の手段・方法であれ対象自体であることに変わりはありません。

しかし、他動詞である「公園で掃除(を)する」の場合、手段としての「公園」で何を「掃除する」のかの他動の作用の対象が明示されていないため曖昧性が残ります。「公園で自転車を掃除する」のか、「公園で公園の中の池を掃除する」のかが曖昧である点が、「5)と6)は相当違う気がします」という原因で、自動詞と他動詞の相違ということです。英語で言えばSVOとSVOOの構文の相違ということになります。この点は、先の最初の回答者の指摘の通りです。

3.
「散歩」だと「の」に異和感があるのに、「掃除」だと自然なのはわかりますが、なぜなのでしょうか。

これは、

公園の散歩をする。
公園の掃除をする。

の相違ということでしょう。これも、自動詞と他動詞の相違で、「公園の椅子を掃除する」のように対象が不明な感がするためです。

以上ですが、一番のポイントは格助詞「を」と「で」の意義が理解されていない点です。上記の通りそれぞれ意義が異なり、意味が異なる点が理解されていません。質問者は、

>の格助詞「で」は手段・方法を表わし、
 ですか。当方は「場所」を表わすと思っていました。
 イヤハヤ。

とコメントしていますが、これでは、

★ 公園に散歩する。

の「に」と何が異なるのか説明できません。

辞書の解釈を挙げ「で」は場所を表すと反論していますが、

★ 自転車で行く。

の「で」が場所など表す訳がないのは自明です。「公園で散歩する」の場合、場所を表すのは当然ながら「公園」であるに過ぎません。他の回答者は、

>『「公園」は場所』だからこそ、
「公園で」というのは、《「で」が(公園という)場所を表わす》

と意味不明な回答をされています。これは、語の意義と文での意味を混同し、格助詞が何を表すかが理解できていない混乱に過ぎません。また、

>この「で」が場所だとはひとことも言っていない。
字を書くという動作のおもむくところ(この場合は着点としての「場面・状況」)を、そこ(=ペン)と指定している。

これは、格助詞「に」が着点を表すなどと言い張るのと同じ混乱で、未だこの点が理解できていないのではと危惧されます。

このように、格助詞の意義を正しく理解しないと混乱を招くばかりで、「に」「を」「で」の意義の相違をきちんと理解しないといつまでたっても寝言の繰り返しにしかならないと考えます。■

A 回答 (2件)

相変わらずの、お山の大将俺一人気分、だけは伝わりました。

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この回答へのお礼

コメントをありがとうございます。

いつものフィ-リングだけは残念です。

論理的な思考、理解をいただけるよう精進を期待しております。■

お礼日時:2021/04/08 15:39

質問に対する回答にはなりませんが、難しい言葉使ってるから理解することが難しくなってるのではないでしょうか…


質問したいこともほかの文に埋もれていて私には理解し難いので明確に記してほしいです。
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この回答へのお礼

早速の応答をありがとうございます。

>私には理解し難いので明確に記してほしいです。

ポイントは、格助詞「を」「で」「の」の意義の相違とは何か、「で」と「に」の相違は何かにあります。■

お礼日時:2021/04/05 12:27

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