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当時、満州へ開拓なり徴兵なりで行ってた人は、なぜわざわざそんな遠くまで行く必要があったのですか?

A 回答 (5件)

貧しかったからです。



いまでも途上国の貧しい人が
外国に出稼ぎに行きますよね。

それと同じです。

満州の場合は、国策として、つまり
国家が奨励して、それで東北などの
貧しい農民の二男三男などが
行ったのです。
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昭和東北大飢饉・世界大恐慌の影響で農家が食えなくなったのです。

特に養蚕農家が酷かった。繭値の暴落で多額の借金を負ってしまった。そこで困窮する農民の救済策として分村移民が行われた。半分が村に残って、半分が満蒙開拓団として新天地で活路を開くという政策です。わざわざそんな遠くというが、もう日本には未開の土地はありません。樺太は、寒すぎて営農できません。明治維新で堕胎が禁止された影響で、江戸時代の3000万人の人口は、7000万人にもなっていました。だから明治時代から、地球の反対側にまで移民が行われたのです。満州に何も特別な意味はありません。海外移民自体が国策みたいなものだったのです。日本にいて食えるのなら、それに越したことはない。
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色々のケースが有るので、一派ひとからげには申せんませんが、


開拓団農民として渡った人の過半数の人は、貧乏、貧困から、
抜け出したいが為に移住した、小作農の方々です。

ヨーロッパからアメリカ大陸に移住した人々と同じ図式です。

人類が農耕で定住生活をするようになってから、農民は搾取される
側の代表なのです。
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満州開拓移民の募集には、『王道楽土』や『五族協和』などのスローガンで喧伝したキャンペーンが大々的に行われ、満州に行けば一旗あげられるという日本政府の嘘に騙された多くの人が満州に渡ったのです。

 徴兵で行った人は強制的なものゆえ仕方がないでしょう。
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民間人は満州で一旗揚げるべく単身大陸に渡り商売するためや貧乏人が満州で開拓しじぶんの土地を買うため。


兵隊は命令により満州やインドシナなど東南へ派遣された。
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