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§ 0. 神話を入り組ませていますが その趣旨を採っていただければと思います。

日本人の思想(生活態度)は オホタタネコを市民の代表とし 市民からの推挙を受けて立った崇神ミマキイリヒコイニヱをムラヲサ(市長)としたミワ(三輪)市政に始まると思います。(紀元300年ごろ 奈良・三輪山付近)。


§1 シントウの原形またその確立
――《ネコ‐ヒコ》連関 あるいは《イリなる歴史知性》の誕生――

三輪山に祀ったオホモノヌシなる神が 聖霊となって イクタマヨリヒメに生ませたのが オホタタネコだと言います。ある時 疫病が出て困り ムラヲサは このオホタタネコを探し求めたそうです。祟りという認識でしたから 祀れば 平らかになるだろうというものでした。(この同じ系譜のスサノヲやオホクニヌシの記述には 薬草を求め医療に熱心であったともあります)。

けれども 《ネコ》は 根子で大地の子であり 《ヒコ・ヒメ》は 日子(彦)・日女(姫)で太陽の子です。これは 一人の人における身体(=ネコ)と精神(=ヒコ)とに当てはまるでしょうし あるいは 市民政府として 市民一般(=ネコ)と市長および公務員(=ヒコ)とに やはり当てはめて捉えてもよいと思います。つまり 社会形態としても そのように共同自治のかたちが確立し始めたと考えられます。
 
つまり この《ネコ‐ヒコ》連関は 基本的に一人の人間において 《身体‐精神》の総合なる存在を表わし また かれ(かのじょ)が 社会的にも《市民(わたくし)‐公民(おほやけ)》の両要素の連関から成る存在であると主張します。
 
そしてそのような内容をもって 《イリ(入り)》なる歴史知性の誕生を見たと捉えます。
 
崇神(いわゆる天皇としては 第十代ですが)ミマキイリヒコイニヱのミコトの名にある《イリ》であり《ヒコ》のことです。そういう歴史知性であり これは 人の自然本性(=《ネコ(S)‐ヒコ(A)》連関)にもとづく姿でそのまま世界に《入り》したというその自己還帰のことです。

自己到来が そのまま自己形成です。《世界-内-存在》とも言います。市民のほうは その代表として あたかも概念として 《オホタタネコ》(⇒スサノヲ)が当たります。



§2 歴史知性の以前――《ヨリ》なる歴史知性=原始心性――
 
《オホタタネコ‐ミマキイリヒコ》連関の社会の以前では イクタマヨリヒメというように《ヨリ(憑依)》の知性だったわけです。アニミスムないしシャーマニスム(たとえば 卑弥呼を想え。これは《鬼道をよくした》と言います)であり 世界の何ごとにも寄り憑くというべき歴史知性以前の知性です。原始心性とも言います。これも シントウの原始的なかたちだろうと思われます。その《何ごと》は 《かみ》と呼ばれたのですから。

人は 《イリ歴史知性》の自覚のもとに ものごとに対して 《ヨリ原始心性》としての寄り憑くことが少なくなった。このように 歴史的な(――つまり 農耕のように 種蒔きから実のりまで時間の経過を人も共に生きるそのような時間的な・相対的な――)自然本性に自己が到来するなら 人間の生活は そしてさらには人類の社会と歴史は すでにふつうに――現代人と同じように――営まれていくと言えます。(そこでは 潜在能力が ただちに現われようとして待機している状態にまで来たと言えるでしょう)。



§3 《イリ》歴史知性からさらに《ヨセ》なる超歴史知性の出現

イリなる歴史知性に基づきつつも まだ 昔のヨリ(憑依)なる原始的知性の状態にある人びとは 残っていました。これを導こうとして 自らの力のもとに かれらを《ヨセル(寄せる)》ということを行なう人間が出ました。
 
すでにその原形が 卑弥呼(ヒメのミコトの ヒとミとコで 中国の史書に載ったか)のシャーマニスムでした。アニミスムの親分というような性格の心性です。しかも こんどは すでに歴史知性に芽生えたあとの《ヨセル》です。これは すでに イリ歴史知性を その知性の能力にものを言わせてアマガケルところのスーパー歴史知性です。たぶん 観念(イデア)の帝国を すでにいの一番に思い描くのでしょう。
 
神功皇后オキナガタラシヒメのときに この《ヨセ》の記事はあるのですが その後も かのじょの系譜に見られるという意味で この《ヨセ》なる超歴史知性を 広くアマテラス族と呼びます。《タラシ》でもいいはずです。アマテラスのほうが 一般性があります。正確には 崇神ミマキイリヒコも アマテラス族ですから やはり それとは区別するなら スーパーアマテラスと呼ぶといいでしょう。



§4 《イリ歴史知性》を基礎として 《ヨリ原始心性》および《ヨセなる超歴史知性》とが 共存する

アマテラス(天照らす)というのは その言葉どおりに もともとは ヒコ(日子)と同じであろうと考えます。人間の精神であり 理性の光であり 社会的な役割としての公民です。崇神イリヒコなるアマテラスの系譜には のちにタラシ系統(スーパーアマテラス)から出た雄略ワカタケルによって 謀略に遭い殺されたイチノベノオシハのミコがいます。その双子のオホケ・ヲケは 命からがら逃げて あとで 身分を明かし名乗り出るといった歴史があります。そのあと 市長となったとき(顕宗ヲケ=弟そして仁賢オホケ=兄の順序でなったとき) 父の仇の雄略ワカタケルの陵墓から ほんの少し土をけづって 復讐に代えたという逸話があります。
 
つまりふつうのイリヒコ系アマテラスと ヨセ=タラシ系のスーパーアマテラスとのちがいを 見たいという主観(えこひいき)です。

したがってというほどに 後者の《ヨセなる超歴史知性》は けっきょく そのヒコ=アマテラスなる指導者の地位を 専門化させ――それはそれは もともと秀才でもありましたが 人一倍も二倍も勉強し努力しました その結果――社会から単独分立し もともとの市民政府ではなく その上に社会的な第二階を築き そこを 自分たちの住み処としてしまいました。市民たちは 国譲りをして かれらに好きなようにさせたのでした。



§5 では 何が問題か
 
ですから ここから オホタタネコの父親とも言われる神(霊)なるオホモノヌシは けっきょく 第二階に住むスーパーアマテラス族のための神となったかも知れません。(あるいは 三輪山に 元のまま あがめられているとも思われます)。また もともと やはり市民たちの宮であった伊勢神宮(その前身の外宮)も かれらのための制度となりました。(この伊勢神宮については むしろ崇神ミマキイリヒコの時代の制度発足として記事があったりしますが どうでしょう)。

このいわゆる二階建ての国家の問題は 天武オホシアマ天皇の――六七二年(壬申)の乱を経ての――改革によって 一定の収拾を見ました。市民が主役であるという考えをできるだけ採り入れようとしました。(八色の姓。万葉集の過半数は 無名の作者です)。国家という二階建ての形態は その後も残ったわけです。

ちなみに すでに崇神イリヒコのときに あたかもスーパー歴史知性による《ヨセ》としての統治ではないかと思わせる記事があります。やまとから日本の四方八方の各地に《四道将軍》を派遣して 王の徳による感化を及ぼそうとしたと書いてあります。つまり 服属させたわけです。
 
やはりえこひいきして言えば これほど素晴らしい《イリなる歴史知性》を自覚した人びとが ほかの隣人に伝えてやりたいと思ってやったことでしょう。それほど奇異なことではないように思います。《宣教という愚かな手段》(パウロ)のことです。
 
かくて社会は 平屋建てではなくなり スサノヲ市民圏( Susanowoschaft )とそしてアマテラス公民圏( Amaterasutum )との二階建て形態が いくらかの期間――世界史においても――つづいております。

《わたしは無宗教です》というように 現代の日本人は もう崇神ミマキイリヒコの社会を忘れているのだと思います。無宗教であっても イリ歴史知性のことを忘れなければ いいわけですが この社会は 神話としては スサノヲのイヅモの国でのスガの宮のことだと考えられます。これは のちに子孫のオホクニヌシの代になって アマテラス国から 服属の要求を受け かれは非戦論であったので 国譲りをしています。主戦論も非戦論も 人間の弱さから出ると考えたからです。
 
アマテラス公民天国という事態は 伝統ではありません。わたしたちは 何が何でも自分たちが一番だというスーパー歴史知性に対して 好きなようにさせたのだと考えます。長すぎました。そばが延びてしまいました。そういう情況にあると考えます。



§6 補遺

その昔 スーパーアマテラスなる人間類型は それはそれは 努力の人でした。指導者を目指すのですから しかも同時に 謙虚です。少なくとも表向きは 謙虚のかたまりです。人間的になり ますます人間的になり もうこれ以上は人間的になれないというほどの人間になったとき 周りを見渡すと だれも この謙虚と見識の深さに重きを置いていないと気づく。勝手にやっていることだというわけです。そして自分自身も この《徳》の高さは けっきょく相対的なものであって みなが どんぐりの背比べであると覚ります。
 
ここから ふつうの《イリ歴史知性》に立ち戻ればよかったのですが そうではなく 既存の秩序は守らねばならぬと考え 既得権益については失いたくないという方向へ向かいました。うんぬんかんぬん。


☆ 添削とご見解をどうぞ。

質問者からの補足コメント

  • 神武イハレヒコは 大八島の南ツクシのさらに南の果て・ヒムカから東上しました。

    継体ヲホドは 大八島のではないですが ヤマトから見たら関の北・つまり関の越(こし)になる三国から出ました。

    そういう対照があるでしょうね。歴史じょう画期となる二人のオホキミなのでしょう。

    No.6の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2021/10/22 05:06

A 回答 (6件)

継体はよく大和に返り咲けたものです。


垂仁帝時に北陸羽作に飛ばした皇統と
応神帝時に越後に飛ばした皇統が
よく続行していたと
テレビのない時代に
消息をきちんと把握して
呼び戻すこと出来たものです。連絡監視は続いていたのかなあ。

無事に宮中に返り咲けたと感心。

雄略は後継を清寧だけにして、逆らう兄弟抵抗勢力抹殺しても
その追及遁れて履中系の顕宗・仁賢・武烈終わっても
地方から呼び寄せ可能とは驚きね。

その意味で皇室永遠。

天武は天智の弘文史抹消。実は天武元年=弘文元年

神武~推古間は3が二つ並ぶと縁起いいので
無理に33代しかないとして
都合の悪い帝は数代いなかったことにして
代数減らし、天武も40という位置に置けば切れよしで
同じことにして歴史改竄ですかね。

この間の人選に消えた帝の哀れを思う。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

★ 継体はよく大和に返り咲けたものです。
☆ そのとおりです。ヤマト一帯からよくぞ最終的に受け容れられたかという。また 後継者がなかった・死んだという情況から ひとりを限定してよくぞ擁立したという。


★ 垂仁帝時に北陸羽作に飛ばした皇統と
応神帝時に越後に飛ばした皇統が
よく続行していたと
☆ 近江あるいは高島あたりとも関係があるとかないとか。


★ テレビのない時代に
消息をきちんと把握して
呼び戻すこと出来たものです。連絡監視は続いていたのかなあ。
☆ という意味でも 初めからの謀ではなかったかと。


★ 無事に宮中に返り咲けたと感心。
☆ ですから これは ユヅリアヒの精神を発揮したミワのイリ系の人びとのほうの問題(消去的ながらチカラ)だったかと。


★ 雄略は後継を清寧だけにして、逆らう兄弟抵抗勢力抹殺しても
その追及遁れて履中系の顕宗・仁賢・武烈終わっても
地方から呼び寄せ可能とは驚きね。
☆ なにしろ百年の計ですから 慎重の上に慎重に。


★ その意味で皇室永遠。
☆ まぁ 失敗の場合には さらに皇統譜の人間を作り上げるでしょうね。


★ 天武は天智の弘文史抹消。実は天武元年=弘文元年
☆ ううーん。そこんところは わたしはよわいです。あまり調べていません。

ただ 天武にしても 間一髪の隙をすり抜けて生き延び よくぞ天智側に勝ったと思われます。



★ 神武~推古間は3が二つ並ぶと縁起いいので
無理に33代しかないとして
都合の悪い帝は数代いなかったことにして
代数減らし、天武も40という位置に置けば切れよしで
同じことにして歴史改竄ですかね。
☆ まぁ それは愛嬌でしょう。

★ この間の人選に消えた帝の哀れを思う。
☆ でも 分からないでしょう? 明確に分かるのですか?


ちなみに 欠史八代には ネコヒコという名がいくつか登場します。

ひとは 《ネコ‐ヒコ》連関なる存在であるという人間観を打ち立てる余地がすでにあったようですね。

人間の非実在説とは別に 思想としての歴史的経過がしのばれます。

お礼日時:2021/10/20 12:52

>双子のオホケ・ヲケ



残念ながら
双子ではありません。
齢が1つ違い。

>ワカクサカベ2人説といえば、応神天皇皇女にも同名者がいるので
この皇女を当てる学者いますが、これではさらに齢が離れて、
ブラサンにはもっと望みの薄い説になるから、不採用でしょうな。

仁徳天皇皇女説の場合、古事記に
履中天皇の異母妹ということで
異名紹介にワカクサカベノミコと明記。

つまり異母妹と異母兄の結婚という形で履中天皇の后となり、
市辺押磐皇子を実母早世だったので、多分、以後の養育も引き受けたと思います。

そして
自分の娘を市辺の嫁にしたが、市辺は安康が殺し、娘は安康が奪う。
この安康を眉輪王が討つ。

ところが眉輪王は雄略が殺す。そして雄略は眉輪王討伐の際に王をかばった罪で円を殺して円の娘を妃にする。

こんな残忍な王の所に再婚ですか。

神様も罪なめぐりあわせ結婚させますね。

求婚歌は本物かな。

もしかしたら、雄略帝のお目付け役に裏で送り込む人いなかったかな。
政略結婚という推理できないかな。

ワカクサカベ皇女が嫁に行き、雄略帝即位は
仁徳帝崩御から40年後。

これでは子供は無理でしょうね。

参考までに
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この回答へのお礼

☆☆ >双子のオホケ・ヲケ

★ 残念ながら
双子ではありません。
齢が1つ違い。
☆ 日本書紀ですね。ただ 古事記では確か双子だと思ってしらべてみると 見つかりません。ウェブの検索で双子という記事が見つかりますが 出典がさだかではありません。

双子だと ひとりを里子に出すとすれば そうしていないので 双子ではないと思われます。従いますが かすかに保留もしておきます。



☆☆ >ワカクサカベとクサカノハタビ 別人説
★ 仁徳天皇皇女説の場合、古事記に
履中天皇の異母妹ということで
異名紹介にワカクサカベノミコと明記。
☆ ですから トンデモ仮説です。《思ひ妻 あはれ》がかすかな根拠です。

★ こんな残忍な王(☆ 雄略)の所に再婚ですか。
☆ それは 別人の場合です。

★ 神様も罪なめぐりあわせ結婚させますね。
☆ まさに神――オホモノヌシ=ヒトコトヌシ――の采配です。大悪天皇とうわさされた人間を さらになお遠くへ追いやることを避けた。ワカクサカベがつなぎ留めた。


★ 求婚歌は本物かな。
☆ 本物でなく誰かのうたを拝借したとしても その表現を活かしたと考えられます。


★ もしかしたら、雄略帝のお目付け役に裏で送り込む人いなかったかな。
政略結婚という推理できないかな。
☆ ワカクサカベは 清濁併せ吞んだのです。その役回りを引き受けたのです。オホタタネコと同じ精神です。


★ ~~~
ワカクサカベ皇女が嫁に行き、雄略帝即位は
仁徳帝崩御から40年後。

これでは子供は無理でしょうね。
~~~
☆ それは クサカノハタビとしての事績です。

お礼日時:2021/10/20 04:21

日下の幡ビ2人はいません。



しぶといですね。
どうぞご自由に。言論自由。でも採りません。

角川文庫古事記は本屋に行けばあるかもしれぬが、これは熱意に任す。

旧版武田、新版中村で一長一短あり。

まあ後者の方がいいとは思う。

その他は研鑚積むかどうか、後は誠意とやる気で
切り抜けるべきかは研究者個々の課題。

履中と初婚、雄略と再婚というのが定説。継体に結ぶ説は多くが不採用にするでしょう。(* ´艸`)クスクス

憲法と冠位はそれぞれの専門家に当られたし。

タケル問題は過去にたくさん辛酸なめています。

中にはものすごい論争相手がいて、不運が人一人亡くなることもあり、
神罰かと思った次第。この相手はすい臓がんで早世。

稲荷山鉄剣と古事記角川版持たぬと
反論書いても多分意味ないでしょう。



まあほかにもいろいろあります。

だから、本当に誠意・熱意で対決されるなら、頑張ってください。

掲示板程度で収める気はない。
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この回答へのお礼

★ ~~~
日下の幡ビ2人はいません。

しぶといですね。
どうぞご自由に。言論自由。でも採りません。
~~~
☆ まぁ 愛嬌がまじっていると言うと 敗北宣言になりますので言いませんが あの歌の《・・・思い妻 あはれ》という言葉は ワカクサカベが おばあちゃんでは 出て来ないと思えます。



★ ~~~
角川文庫古事記は本屋に行けばあるかもしれぬが、これは熱意に任す。

旧版武田、新版中村で一長一短あり。

まあ後者の方がいいとは思う。

その他は研鑚積むかどうか、後は誠意とやる気で
切り抜けるべきかは研究者個々の課題。
~~~
☆ 一般的な学習のすすめでしたら いいんですが いまは特定の問題点にしぼってのお話です。それについては こういった漠然とした指示としての対応は 好きくないですね。

つまり ずばり批判点を挙げれば済むことです。それをしないというのは 論証に手こずっていると推し測られます。



★ 履中と初婚、雄略と再婚というのが定説。継体に結ぶ説は多くが不採用にするでしょう。(* ´艸`)クスクス
☆ わたしの仮説は ほとんどみな トンデモ説です。定説にいどむものです。



★ 掲示板程度で収める気はない。
☆ たしかに たとえば聖徳太子の批判が 二言三言で済むわけがありません。ですが 論点をめぐって主要な問題点を挙げて その趣旨をつたえることは 出来るはずです。もしすでに論証がしっかりしたものであるならば。

お礼日時:2021/10/19 20:14

★ タケル


☆ 鉄剣銘に なぜルがあるのか。お答えはなかった。

これについて専門的になり過ぎ。
あなた以外にも
沢山の抵抗勢力あり。
まとめて攻略のため、ご自分でもかなりご研鑚を積まれることを
お勧めしますというか、
前にもこれをめぐってものすごい論争を行った経験あり。

江戸時代の本居宣長を含め、
長い長い論争で、掲示板程度にとどめて済む問題にならず。

ブラサンの誠意もあるので、
どうるするか考案中。

偽系図というのは阿部氏の系図を詳しく調べてみたいという意思の発動を行うかどうかです。

ルをなくすのは当然したいが、今は学界を先頭に多くの世界を敵に
回しているので
ブラサンだけに済まぬ。

だから時間ほしい。あなたもご自分であちこち飛び回ってやる気あるならどうぞにしておく。
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この回答へのお礼

★★ タケル
☆☆ 鉄剣銘に なぜルがあるのか。お答えはなかった。

★ 前にもこれをめぐってものすごい論争を行った経験あり。
☆ ですから 両説並記が 研究者としての姿勢だと思います。わたしは その基本を述べたあとは タケルの表記で行きますが。



★ 江戸時代の本居宣長を含め、
長い長い論争で、掲示板程度にとどめて済む問題にならず。
☆ 学問としては 定説をいちおう重んじるはずです。そして 両説並記という一種の定説もあり得ます。


★ ブラサンの誠意もあるので、
どうるするか考案中。
☆ はい。


★ ~~~
ルをなくすのは当然したいが、今は学界を先頭に多くの世界を敵に
回しているので
ブラサンだけに済まぬ。

だから時間ほしい。
~~~
☆ 理論や学説が相い対立することは よくあります。また そうでないと気持ち悪いでしょう。

ワカクサカベの年寄り説にいちど屈服しましたよ わたしは。

でもあとで クサカノハタビとは 別人だという見方を持ちました。それで 仮説としては こっちを採っています。これも 両説併存でいいぢゃないですか。

お礼日時:2021/10/19 14:29

市民という言葉は不適切。


一度そこで系譜が途切れて、全く別系統を入れる余裕を与える言葉である。
イザナギの子で
海を治めたスサノヲと山を治めた大山津見の孫娘のカップルの
子孫が大直根子。この名に敢えてひねくり回した解釈いらぬ。
ただの個人名と割り切ることである。
市民などとして、誰でもいいみたいな印象を与えるから話がややこしくなり、しまいに一般市民から適当にDNAを採取して
皇族に祭り上げてはどうかとかいう愚かな考えをもって
世の中を混乱化するものまでであるのである。

今後は市民という用語など不適切でかつ不敬に当たるとわきまえて
スサノヲ・大直根子も一人の人間かつ神様扱いで
言葉による文章を組むことを
お願いしたい。

癖というなら、大変悪い癖であり、かつ永く日本統治を
行ってきた施政者たちに
大変不敬と思う。

その意味でのイメージチェンジを要求したい。
出雲族という一つの種族であり、
これがあればこそ、今の皇室あり。
この功績顕彰の意味で、市民と一般とか
ただのそこらへんの無名人と変わりなく、
ただ運がよかっただけで
今の皇室日本があったのかではすまぬと思う。
その意味で極めて不敬である。


もうこの邊で市民という言葉

さらに聖徳太子に対してもボンクラとか

そういう不敬用語の使用から
卒業を要求したい。

中にはそういう言葉を聴いたり読み、眼にするだけで
不快感を抱き、
怒りを覚える者も
いると感じる。

怒りたくなる。

だから、やめたほうがいいと思う。

同時にタケルは熊襲タケル・出雲タケルとかいう卑賊級の者への酋長という意味で

皇族はタケでこれは武将・大将を指し、
とりわけ日本武尊は皇太子だったものに熊襲タケルが贈ったものである。

それがなければ、ヤマトオグナ・ヲウスなどの名で終わったかもしれぬ。

イソタケのミコトもみな同様。

だから、そういうあらゆる面で

イメージチェンジをしたほうが
ブラサンイメージも

今後のグレードアップにつながると思う。

今後のよりよい向上を期待したい。

ワケタケルも誤り。ワカタケでルは不要。

稲荷山鉄剣などという低級史料に惑わされることなかれ。
刻まれている系譜も
偽系譜で
反って混乱を招くだけである。

意識の中からそっくり消した方がいい。

どうせ稲荷山一族がタケル呼ばわりされて
天皇もタケルでなくては不公平とかいいたいのか、
その意味で
あれは謀反人の遺物である。

そんなものに価値ない。贋作に惑わされることなかれ!!!!!
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


★ 市民という言葉は不適切。
☆ 共同体の規模としては 特に規定せず ムラ(市町村)という用語を当てています。

市民――村民ではなく――は 基本として公民との対比において使います。
ワタクシ対オホヤケであり 特殊にスサノヲ対アマテラスの対比も用います。



★ 一度そこで系譜が途切れて、全く別系統を入れる余裕を与える言葉である。
☆ 継体ヲホドあるいは欽明までは 《もっぱらの公民》はいなかったと想定しています。


★ 大直根子。
☆ 古事記では イクタマヨリヒメがオホモノヌシなる聖霊によってみごもって生まれたのが オホタタネコという。


★ ・・・しまいに一般市民から適当にDNAを採取して
皇族に祭り上げ
☆ これは すでに議論しましたよ。【Q:アマテラスとスサノヲは 姉と弟・・・】



★ スサノヲ・大直根子も一人の人間かつ神様扱いで
☆ 神扱いは 縄文人の原始心性によるものでしょう。ふたりは 市民ないし私民として適切だと考えます。


★ 癖
☆ エートスに対応します。人間類型あるいは思想=生活態度ないしナラハシといった幅広い意味合いを持たせます。


★ その意味でのイメージチェンジを要求したい。
☆ 用語は きちんと規定しています。


★ 出雲族という一つの種族であり、
これがあればこそ、今の皇室あり。
☆ 分かりません。皇室はなかったとしても イヅモの人びとはいました。


★ この功績顕彰の意味で、市民と一般とか
ただのそこらへんの無名人と変わりなく、
ただ運がよかっただけで
今の皇室日本があったのかではすまぬと思う。
その意味で極めて不敬である。
☆ 特定の人間を他の人びとと区別して《神性にして侵すべからざる》存在だとするのは 人間性に対する犯罪です。


★ さらに聖徳太子に対してもボンクラとか
☆ わたしの批判に対して反批判をなせばよいだけです。




★ タケル
☆ 鉄剣銘に なぜルがあるのか。お答えはなかった。
★ 偽系譜
☆ なら 論証されたし。
★ あれは謀反人の遺物である。
☆ 証明されたし。定説は 雄略説。

★ ~~~
イメージチェンジをしたほうが
ブラサンイメージも

今後のグレードアップにつながると思う。
~~~
☆ たぶん ふるいゴンドラに乗り換えよとおっしゃっている。

お礼日時:2021/10/19 13:25

日本人の血には中国大陸と朝鮮半島の人間の血が混じっていると言われています。

日本各地で力のある豪族が地方を統制し始め最終的に最強の豪族が日本を統治しました。彼は自らを“神”として後世に言い伝え、これがのちの日本神話のもとになりました。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


★ 日本人の血には中国大陸と朝鮮半島の人間の血が混じっていると言われています。
☆ 半島とのつながりは 一定程度あるようですね。

大陸からの渡来は 少ないでしょうが おそらく政治家や知識人といった人たちであって日本の発展に寄与したのが多くいたでしょう。



★ 日本各地で力のある豪族が地方を統制し始め最終的に最強の豪族が日本を統治しました。
☆ おそらく共同体という場合にも 稲と鉄の渡来で生産力があがった弥生時代にその土地で有力者が出たのでしょう。

その豪族と渡来者とは 婚姻関係をもむすび互いに協力したと思われます。二ギハヤヒとトミのナガスネビコなどの例。



ただし そのような地方ごとのムラヲサの中から 統一第一者が出るのは なかなかむつかしかったようです。

初国知らししすめらみことと呼ばれた崇神イリヒコの場合も まだまだ 地域の指導者だったのではないでしょうか。

その証拠に かれの二百年ほどあとに出た継体ヲホドにしても 統一第一者ではなかった。なぜなら そのように名乗ったところ ツクシのイハヰから物言いが出されたわけですから。そんなことは聞いてないぞと。(磐井の乱)。



★ 彼は自らを“神”として後世に言い伝え、これがのちの日本神話のもとになりました。
☆ この《神》については 二種類の捉え方ができると思います。

もともとの――縄文時代からの――ヨリ原始心性にあって世界の何ごともカミであったというナラハシを受け継いで 上に立つものをカミと呼んだ場合。

そして すでにニ階建ての国の家となったあと そのお二階から 統一的支配者は 神なのだと宣言した場合のそれ。

この後者のことを おっしゃっていると思われます。

お礼日時:2021/10/19 08:18

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