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恋愛は娯楽ですか?
「好きです」という告白言葉に最近違和感を覚えます。
どうせそのあと別れるカップルがほとんどで、性欲を差し引いた上での誠実で純粋な「好き」という感情は育っていない段階でなぜ「好きです」と断言するのでしょうか?
私にとって「好き」とは「あなたと生涯一緒にいたい」です。だから告白時の言葉はせいぜい「あなたに(性的に)惹かれています」止まりだと思うのですが……逆に、好きと断言できるケースはとても少ない気がします。一時の感情で盛り上がって冷めてきて別れて「あの頃は若くて楽しかった」とか感傷に浸って、恋愛は結局娯楽に過ぎないとでも言うような捉え方をしているように思えます。
不確実な「好き」は本当に「好き」と言えるのでしょうか? また「もう何ヵ月も付き合ってます~」とか「今彼」とかそういう言葉も変な感じです。一生の付き合いなのに何ヵ月程度で「よくここまで来た」みたいな雰囲気。「元彼が居るのが当たり前、恋愛は繰り返すもの」とでも言いたげな口調。

性欲が構成成分のほとんどを占める所詮「恋愛ごっこ」を多くの人が「恋愛」と定義付けて楽しんでいますよね。それって気持ち悪くないですか? 最近のドラマや恋愛作品もそういう描写が多く見えます。性欲=恋愛感情ではないはずです。

どう思いますか?

A 回答 (12件中1~10件)

若い恋愛は自己満エゴイストだから。


そのエゴを堪らなくぶつけたくなるのが恋愛です。
性欲だろうがなかろうが
本人が恋愛だといえば恋愛ですよ。
言い方変えれば色恋沙汰。
気持ち悪くないです。
あなたの周りには多くいるのかもしれませんけど
あなたが純愛だけを追い求めている
それもまたエゴイストなのだと思います。
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この回答へのお礼

おお、簡潔で分かりやすくそしてなかなか的を射ている……。
まあ人間何かしらのエゴイストなのですよね、それがあまりにも良識や人道から外れていると特に目立つだけで。
気持ち悪いと感じるのも、深く考える故の少数派かもしれません。
回答ありがとうございます。

お礼日時:2021/11/01 23:26

>なんでも異性という理由だけで友愛が恋愛に変わるのがなんかやっぱ性欲だよなぁと思ってしまいます。



それは私も謎に思いました。
なぜ異性で恋愛対象になった相手だけ「永遠」とかって
思えてしまうんだろうって。
たとえば片想いであっても、その人が長年自分の心の支えに
なってくれたり、励みになってくれたり、希望の光に
なってくれたりした場合、その人と生まれ変わっても
会いたいと思うほど好きだったとします。
でももしその人が同性だったとしても、同じ感情が
生まれるのかなぁ・・・って。
その源が性欲だとしたら、一時的のような気がするのです。

でも性欲だとしても、それはプロローグに過ぎない
のではないかな?とも思います。
なんでもそうですけど、きっかけとか最初の動機とかで
ある世界に入ったとしても、その後の物語をどう描くかは
自分次第だと思うんです。男女が最初性欲で結ばれたとしても
その後、ずっとそのままというわけではありませんよね。
関わっていくうちにお互いの人間性も浮き彫りになるし、
最初とは違った愛情が生まれたり。世間でもおしどり夫婦と
言われる人たちや長年苦労を共にし、
人間的に尊敬しあう男女もいます。
その人たちが若いうちではなく、必ず歳を取ってから
出会ったのか?というとそうでもありません。
結局、良い恋愛ができるかどうかは、年齢でなく、
元々持ってるその人の資質かと思います。
たとえば好きな人ができて、勉強や仕事が疎かになったり、
周囲に迷惑かけたり、信頼を失うようでは残念な結果かと
思います。そうでなく、好きな人ができたから今よりもっと
頑張ろう、自分自身、成長していこうと思えるのが
良い恋愛なのではないかなと思います。

ところで
>好きという感情を出さないと愛情は育ちません。。
というのは、何も言葉で好き好きというのでなく、
お母さんが大事な子供に接するとき、
ツンケンしたり、そっけなかったり、
何も自分のこと考えてくれないというような態度を
取ったりしませんよね。親子の愛情は無償の愛とも
言われてますが、恋人や夫婦ははじめは他人です。
そこで好きという感情というのがあるかないかで
対応の仕方や振る舞いが変わってくると思うんです。
夫婦でも相手を嫌ってたら日常生活は冷たいものになりますし、
無関心度も高まって、あっちはあっち、こっちはこっち
という味気ない仲になってしまいます。
なので相手を好きだと自然にその人の事が気になったり
時には心配したり、自分に出来ることはないかと考えてみたり
喜んでもらえたら嬉しいなと思ってみたり・・・
好きという感情は自分も人もハッピーにしますね。
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個人の内面で定義した概念を他人に当てはめて疑問視したり批判したりは全く無意味でとんちんかんな行為なんですよ。



質問者様の定義する「好き」は世間一般で使われる「好き」とは意味が違うのでそれを以てあれこれ言ってもダメです。

それと他人の内心について根拠無く穿って見るのも意味がないです。

恋愛についてあれこれ語る前に倫理や論理の基礎の基礎の基礎くらい身につけましょう。
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この回答へのお礼

まあこれが世界の正義で正解で絶対とは言ってませんよ、質問文が少々悪かったですかね? あなた様の回答はとりま「好きは一般的に軽い言葉でお前はバカ」という主張で合ってますかね。
根拠がないと言えばそれはそうでしょう、私は学者じゃないし人の心をデータ化するなんて難しいですからね。でも生きていて人と接したり様々な経験、考えを吸収していくと「なんとなく」分かるようなものもありますよね? 私の質問はそういう内容です。

倫理や論理の基礎の~ってとこは煽りとしか思えませんね、あなたにはそれがあると思えませんが? なにか痛いところでも突かれたのですか?

お礼日時:2021/11/02 09:42

昔は質問者さんが言ってるような男性は


遊び人で、気をつけなさい、近寄らないように
というタイプだったのですよ。笑
真面目で誠実な人、責任感のある人を選んで
というように。今はそんな人が少ないってことなのかな?
恋愛感情は十人十色なので、どれが正解とか
ないですね。男性の場合と女性の感性は元々
違うものですし、年月を経て変わるものです。
段々と深い絆を作れなかったのは育てることが
できない間柄だったとも言えます。
そういうカップルは別れますね。

好きという感情を出さないと
愛情は育ちません。。
あまり出し惜しみしていると
相手は愛情があるのか、ないのか
わからなくなって迷います。
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この回答へのお礼

出し惜しみというか、友達として好きとかは全然分かりますが、なんでも異性という理由だけで友愛が恋愛に変わるのがなんかやっぱ性欲だよなぁと思ってしまいます。男女の性差も多少あるにしろ「お互いが一人の人間」という前提で尊重し合えば気にならないレベルのものだと思います。仮に違う感性があるとしたらそれは「男女の差」と考えるより「個人差」と考える方が男女気にせず済むと思います。

ここぞというとき、この人が良いとお互いに思えるときだけ、少しの賭けと共に好きを出します。処女厨ではありませんが、恋愛で失敗したり感情を一緒くたにする人は自分の時もそういうことをやり得ると思います。慎重過ぎるくらいでも私は良いと思います。30歳くらいまでは運命の人を待ち続けてもいいかなぁと。それで出会えれば、人が変わったように好き好き言いますよw

お礼日時:2021/11/02 09:36

いうても


大正処女御伽噺とか
わたしの幸せな結婚とか
ぼくやばとか
好きな子がめがねとか
安城さんとか
キュンキュンくる漫画が大好きです。

ただまぁいま数字稼げるのが
発情期マックスの安っぽいモノなのかもしれませんね。
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この回答へのお礼

正解です。その先はどうでもいいのでしょうね。
私としては歳を取っても性欲が減退しても
目移りすることなくいつまでも愛し合えるだけの
理由が複数ある本当の両想いじゃなきゃ嫌です。

お礼日時:2021/11/02 09:20

なるほど、好きですという言葉の重みもそうですけが、要は弄んでポイする誠意や思いやりのなさが一番ダメなのですよね。


みんなが愛する人と一緒になれたら嫉妬やいざこざは起きませんし、可愛さ余って憎さ百倍という言葉もあります。哲学的に考えれば、愛って憎しみがついて回るもの、人の業なのではないでしょうか。
北斗の拳のサウザーが、「愛ゆえに人は苦しまねばならぬ!! 愛ゆえに人は悲しまねばならぬ!! こんなに苦しいのなら悲しいのなら・・・愛などいらぬ!!」という台詞を思い出します。
道徳と恋愛を天秤にかける場合ら、恋愛をダメにして道徳をとれる人が何%いるかというと、少数派なように思えます。
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この回答へのお礼

良い台詞ですねw 恋は人を狂わすダメにするなど言いますが、まあ確かにそれだけ強い想いというのは間違ってないですね。運命の人ならお互いが強く惹かれ合い、告白の頃にはとっくに両想いであると考えているので、敵が居る人は特に大変だろうということを忘れていました。
小学生の頃、私が少し惹かれていた男の子に対し他の女の子も好きだと言っていて、すんなり諦めたことがあります。まあなんというかその程度だったんだと思いますが、譲らないのが普通ですよね。w

お礼日時:2021/11/02 09:18

おっしゃる通り、子供の話は極端かもしれません。

ただし、子供の好き〜思春期の好き〜大人の好き その境も重みも決まりはなく曖昧だと思っています。たとえば、思春期の初恋で自分でもその感情が良くわからずに好きです、と言ってしまったり、家族のように一緒にいて楽しいから思い込みで好きです、と言ってしまうのも悪いことか?と若気の至りを糾弾するほど悪いとも思えません。
好きです=愛している=結婚し添い遂げる
とあるべきというのはある意味宗教的な思い込みや理想論で、誰も彼もに押し付けるべきものではないのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

そうですね、良い大人でさえ下半身に振り回されるような世の中です。人それぞれと言えばそれまでですが、その“若気の至り”がなかなかどうして許せないのです(人によってはいくつになっても若気の至りをやめられない人もいますね)。
余談ですが、知人男が一人の女性から華の大学四年間を奪い、簡単にポイして乗り換えたのを見ていました。なんなら「いつでも戻れる、アイツは俺のことまだ好きだから」とバカにしてキープしていたのも。
「好きじゃなくなった」と簡単に人をゴミのように捨てられるのが恋愛だというなら、やっぱりやるせないです。恋を巡るイザコザや事件も、“若気の至り”さえなけれぼ起こらないようなこともたくさんあるはずです。自分は関係ないけど、胸が痛みますし腹も立つのです。恋愛は究極の対人関係です、恋人は実家家族より一緒に居る時間が長くなるでしょう。恋愛というカテゴライズにするだけで、不誠実になっても許されるというのはいただけないと思いませんか。

と、まあそういう私の押し付けです。宗教的かぁ、しかしそれだけ強く想える相手が居るって、本当に幸せなんですよ……。

お礼日時:2021/11/02 00:00

<<私にとって「好き」とは「あなたと生涯一緒にいたい」です。

だから告白時の言葉はせいぜい「あなたに(性的に)惹かれています」止まりだと思うのですが……>>

個人の見解なのですから、それ以外の意見をいってもあまり意味がないのですが、質問者さんの「愛」の定義を知りたくなりました。

おそらく、永遠に近い「愛」情が継続する状態で、無限の奉仕の精神とかでも主張されるような気がします。

方向性はなんとなく理解できるのですが、結婚の誓いで、「病める時も、健やかなる時も、富める時も、貧しき時も、○○として愛し、敬い、慈しむ事を誓いますか?」とやりますが、別に愛の永遠を誓っている訳ではないですよね。

たぶん、「好き」については、その瞬間の感情を表現している言葉なのですから、「好き」と「いつまでも好き」とは、同じようで違うと思います。

「好き」 → <この瞬間は他の何も考えられないぐらい大切です。>

「ずっと好き」 → <いつまでも大切にしたいと思いづづけると思います。>

といった感じかな?と想像します。

その方向で「性欲」を検討してみると、 性的な欲望は、どこまで行ってもその場限りの行為と切り離すことが難しいです。具体的には男性は射精を一区切りとする行為ですし、女性は絶頂と射精による受胎への願望が基本だと思います。もちろん、何回も行為を繰り返しますし、その継続中は性欲が続いているといえるのですが、新婚や、性交の感動が続いている時であっても、欲望には波というか、快感を極めた後は、潮が引くように衰退期があるように思えます。

「恋愛」は質問者さんは、持続的で可能ならば永遠を意味するような期待をお持ちのようなのですが、現実にはいくつものステップがある行為かもしれないです。具体的には、「好き」という感情に気づくステップ、次に自分の「好き」を相手と共有しようとするステップ、精神的かつ肉体的な行為を深化させてより結びつきを強くしたいというステップ、最後にふたりの関係を公にして承認されたいというステップといった感じで、いろいろな種類の「好き」が積み重なっていく過程が恋愛なんだと勝手に推測しています。
まず、いくつか断層があるのは、ふたりの個人的な関係が成立して結びつきが強くなるまでと、その関係を社会的に承認されたいと思うところで、切れ目があるような気がします。結婚は社会的な承認願望です。そのためには身長、体重、容姿などや、経済的な安定度、家族関係のトラブルの少ない見込みなど、どうも最初の「好き」とは違うベクトルが働いている気がします。

性的な衝動は、最初から継続しているので、わかりやすいのですが、「ココロ」の<好き>は途中で別のモノに変質している気がする時があります。

質問者さんが、ロマンを愛する人であることは、間違いないので、「性欲=恋愛感情ではないはず」という解釈は好きなのですが、どうも夢をおいかけすぎているような気がします。

実際問題として、「好き」な相手と、「ココロ」の関係として「好き」同士になりたいのは、自動的に「性欲」と連動しますが、社会化する段階においては、他の条件の方がココロや性欲よりも重視されているような気がします。愛さえあればお金はいらないといいますが、そこまで割り切った夫婦は稀であるように感じます。

私の認識では「好き」は比較的短時間の心の動きで、それ以降の恋愛関係については、別の価値観が追加されるので、「ずっと好き」が継続するには、とても夢のない条件を満たす必要がある気がします。

その意味では、性欲に起因した衝動的な「好き」の方が、純粋でわかりやすいような気がします。

いわゆる結婚を前提にしたお付き合いは、たぶん「好き」であるはずなのですが、どうも別の条件が入り込んでいるような気がします。

例えば、他の男の遺伝子を受胎させないようにしたい衝動や、その反対に男の遺伝子を優先的に受け継ぎたいとう衝動などは、どうも「好き」とは違うもののような気がします。

整理が不十分で、思いつくまま述べてしまいましたが、なんとなくいいたいことは伝わると思うので、お許しください。
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この回答へのお礼

興味深く詳細な回答ありがとうございます。
実はあなた様の回答もかなり良い線いってまして、しかしどこか惜しいのですよね……。一生一緒でいられる相手としてはやはり条件を私も唱えています。よく言う「高身長、高学歴、高収入」みたいな。しかしそれらを必ず満たさなければ恋愛感情に繋がらないかと言うとそうでもありません。そして、恋愛感情と性欲は関連がある、という考えは持っています。ただそれはイコールではない、という認識です。現実重視で恋愛を理論化するという意味では誰よりリアリストなのですが、そういう“運命の相手”でなければ恋愛にはならないし付き合いたくもないと考えている辺りは誰よりもロマンチストであるという自負もあります。
ステップはかなり正解に近いかもです。自覚し、共有し、心身を繋ぎ、確かな形にする。これが理想です。ところが正直、社会的に自分達の関係性を認められたいだけで、他人の評価は関係なかったりします。ただ、結婚をすれば“確かな関係性”になれるので、その形が欲しいとは思います。容姿や中身は他人の評価より私自身がその全てを愛せるかどうかで、それ以外の些末なことは二人で解決できればいい二の次です。

私こそ主張を上手くまとめられませんが、私の愛の定義はこんなワガママです。でもワガママだからこそ期待せず高い理想を変えずに生きていきます。機会があるなら自分の信じられる愛しか欲しくないという考えです。

お礼日時:2021/11/01 23:45

「好き」と言っている人達は必ずしも性的欲求で言っているとは思えません。


人生、それも「今」の人生のパートナーとして一緒に居たいのでしょう。
少し韓国ドラマでも見て「純愛」「純心」「純潔」に触れて、癒されて下さい。
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この回答へのお礼

承認欲求や自尊心目的もあるでしょうね。ガキンチョの恋愛ならそっちが主かも。「今」の人生のパートナーなんて、それこそ一過性のものですよね? ということはあなたは「恋愛は娯楽」派なのですね。
韓流ドラマなんてルッキズム大前提の世界でしょう? 純愛もクソもない、てかそれこそクソじゃないですかwww

お礼日時:2021/11/01 22:42

難しく理論的に考え過ぎでは?


動物達がお互いのパートナーを見つけるようにもう少し自分の中の野性的直観というものを信じても良いと思います。
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この回答へのお礼

野性的直感を過信して失敗する人が多いからそんな不確実でなんの役にも立たんものを頼りには出来ないです。

お礼日時:2021/11/01 22:40

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