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世の中って生まれた時から周りの人に恵まれていたり、顔がよかったり不平等じゃないですか、なのになぜ、自分自身以外のことについては平等なのですか?恵まれている人と恵まれていない人を段階別にわけて、それぞれの世界を作って別々に過ごした方が幸せだと思いませんか?自分より恵まれている人がいるからこそ自己嫌悪が生まれてしまいますよね。毎日毎日自分より恵まれている人を見て辛くなります。

A 回答 (19件中1~10件)

毎日毎日恵まれている人を見るのが嫌なら。


恵まれていない人に近づいて。見て過ごしたらいかがでしょうか?
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成功している人の多くは、恵まれない環境などをものともせず、努力したり、その経験や環境をポジティブに活かしたりして乗り越え、成功しているのです。


逆に成功できない人は、自分が努力しない、努力できない言い訳を自分で思い込んだ不平等や恵まれていない環境を言い訳にして、努力せず怠け、不満ばかり言い続けているから、成功のチャンスを遠ざけているのです。
毎日毎日、すべきことが、・・毎日毎日、自分の世界を変えるために努力する人と、・・毎日毎日、自分より恵まれている人を眺めているだけの人とでは、自ずと未来は変わります。
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そう思うか、思わないかは両親にどう育てられてきたかで決まってくるのだと思います。

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周りの人に恵まれていたり、顔がよかったり、経済力がある家に生まれたり、高学歴家庭に生まれたり、そうでない人と比べて随分な大幅な不平等が生まれている社会です。


格差社会と格差継承と格差固定化が生まれていて確実に存在しています。
災難に見舞われても片方は助かり片方は大変な困難に見舞われる。
不平等な社会です。
片方は生きやすく、片方は困難だらけ。
格差ハラスメント、学歴ハラスメント、経済力ハラスメント、モラルハラスメント、多くのハラスメントが生まれています。
格差上位者は無視無関心を決め込むのが大変上手く都合が悪くなると黙る手段を使い、格差下位を見捨て、棄てます。
格差基準にカーストを作ると何が生まれるか。
さらなる差別の拡大と固定が生まれます。
こうしたことより格差上位者が悪質さを含むこと事が証明できますね。
格差問題を声を上げて提起する格差上位者が少ないことからも分かります。
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この世界は不平等だから、平等にできるところはそうしようという目標です。


自分より恵まれていない人だけを見ていれば、優越感に浸る事もできます。
慈善活動をしている人は、楽しそうですよね。

人は自分の気持ち次第で世界の見え方が変わるのは、誰でも同じかもしれません。
何か楽しくなる事があればいいですね。
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何故に平等に拘るのか



わからんですよ

他人と自分を比べてツラくなるなら
比べなきゃよくないかなぁ~

平等とか不平等とかって
どうでもよくない?
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恵まれてる(ように見える)人が居るから、じゃなくて、他人と自分を比べるから自己嫌悪(笑)?とやらを感じるのでは


私は他人様と比べてるヒマ無いなぁ=そんな事考えてる間に何かしろよ、です
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No.4です。


神智学とか人智学を学ばれた方なら、「大師」という存在をご存じだと思います。
何千、何万回も転生輪廻を繰り返して、「この世」で魂を成長させた方は、いわゆる不老不死となる可能性があります。
地球上には、そういう方たちが住まわれる地域がいくつかあるそうです。

イエスも布教に入る前には、チベットでそういう人から学んだといわれていますね。

「目がまだ見ず、耳がまだ聞かず、人の心に思い浮かびもしなかったことを、神は御自分を愛する者たちのために備えられた。」(「コリント人への第一の手紙」2・9)
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不老不死が手に入るほど恵まれている人はいないですよ。


どんなに恵まれいても最後は老いて死ぬのだとしたら、その嫌さ
加減と比べれば誤差じゃないでしょうか。

「う~ん、それほどの条件に恵まれていたら、きっと人生も充実
 してただろう。もう今すぐ死んでも悔いはないという感じ?」

と聞かれたら、誰もがフザケルナ!と怒り、永遠と愚痴を零すも
のじゃないでしょうかね。

しかも過去にそれらから逃れた人が一人も居ないはずです。

例えば、

「どんなに恵まれていても最後は老いて死んじゃうなんて、哀し
 いと思いませんか? どう生きて行けば人生は豊かになるんで
 しょうか?」

と言う質問は的を得ていますよね。

しかし、

「そんなの俺が聞きたいよ。」

「いやいや俺の方が聞きたい。聞いてくれ・・・これまで他人に
 褒められ、恵まれていると言われ、その気になって・・・」

「ちょっとまて、俺の方が言いたい。
 生きてて何にも良いことが無かった。
 これで終わるのかと思うと・・・」

「それは私の事だよ・・・私なんてね・・・」

と大騒ぎになると思いますよ。

言っても仕方ないので、仕方ないと思って黙ってる人がほとんど
じゃないでしょうか。

問題なのはどんなに社会で栄達し、人々に好かれていても、

「そんなに俺を大事に思うなら、不老不死を俺にくれよ!」

と頼んでも、

「それが出来るなら自分に使ってるし・・・無理」

「じゃあ、これに何の意味があるんだよ?
 俺は、もしかしたら人類一の貢献者かもしれないよ?
 それでもだめなの?」

「う~ん、サメは長生きだと聞いたことあるけど。
 人類はどうなんかな・・・
 そうだ不老不死を発見して広めたらどうかな?
 みんな君を人類一の貢献者だと認めるはずだ。」

まあ無理だという事です。
いずれは命を返すわけです。
簡単に言えば期間限定のレンタルなんです。
なので私は不老不死を貰えない栄達というのはどうでもいいかな
あと思っています。あるなら別ですが。

ここで、

「う・・・、苦しい。
 まじか・・・俺の寿命はこの数分しか残ってなかったんか。
 そんな時間を今のやりとりに費やした。
 誰か俺に同情してくれ・・・」

「・・・おい、頑張れ。えっとまってね、今慰めの言葉を・・・」

「もう遅い。もう彼は聞いてないよ。
 俺たちもこうなるかもしれない。そう言う事でしかないよ。」

というやり取りも想像してみましょう。

例えば私が今この瞬間、体調を崩し急死するかもしれません。
そんなとき、皆さんが思うのは、

「良かった俺じゃなくて。
 やばいねえ。気を付けよう。」

ではないでしょうか。

ボールを力いっぱい空に向けて投げても、いずれは落下してくる
のと同じですよね。最後は皆さん死体になります。

「うそだろ。あんなに輝いて充実していた奴が・・・
 どんどん輝いて遠くへ行ってしまうと思っていた。
 いまも、そんな想像しかできない。
 でも、最後は土に換える?
 つまり、誰もが勢いよく落下してくるって事か。」

という事です。
つまり喜びの頂点から凄い勢いで辛い状況をこれでもかと経験し、
最後は死体に近い状態になり、死体になります。
そうでなければゲームの様にスパッと消えてなくなるはずです。
徐々に変化するのが自然である以上、頂点から徐々に落下していき、
他の人々が同情する事が増えていき、最後は死体になる。
途中の状態はすべて経験するのですから、少しイケメンだった程度
は誤差じゃないでしょうかね。

「私は美人だった。彼氏も出来た。幸せな結婚もした。
 だけど低血圧で朝がとにかくつらい。
 どこかで幸せになってやるって思ってた。
 みんながうらやむ社会的なポジションにあると思う。
 だけど、どうなん?
 この辛さ。これが無い人に比べたら不幸なんじゃ?」

こんな事を思うのが現実なんじゃないでしょうかね。 

身体的な苦痛が生まれつきある人がいます。
これについて不公平だという話があります。
しかし何十年も生きていれば最後はみんな仲良く病院のベッドで寝
ており、身体的な苦痛が増していく中でうなってるんでは無いでし
ょうかね。

そうした者同士で、

「お前は恵まれている。くう・・・いたた、だってだな・・・
 若い時は恵まれてて俺が欲しいものを何でも持ってたのに・・」

「うるせえ・・・話しかけるな。きつう・・・
 そういうならお前の健全な内臓を俺にくれよ。
 いやいや、お前のもがたがたか・・・」

となるのが分かっている中で、
しかもそうなりそうな人がいっぱいいて、
今まさにそこに向けて覚悟を決めている集団に向けて、
その様な話をすれば、

優しい人は、

「いずれみんなこうなるんだから。
 ちょっとは楽しんでおきなさい。
 まあ、あとでダメだったと私に苦情を言いに来ても、
 多分私はいないけどね。ごめんね。」

と言うでしょうし、

「ちきしょう。悔しい。
 よし、若くてピチピチ(死語)の奴らには無駄な苦悩を増やし、
 若さを楽しむ時間を無くしてやりたい。
 そうすれば相対的に俺は幸福な人生だったと言えるはず。
 (究極の後付け)
 若い時にもっと楽しんでおけばよかったと言わせてやる。」

と意地悪に考えて、あなたの怒りが収まらない様に色々と煽る人も
いると思いますよ。

初期条件で恵まれている人もいますが、最後の方は差異はないわけ
ですよ。

「ちぇ・・・いいなあ」

と数秒でけりを付けた子供と、

「世の中が公平だと言って大人たちは綺麗ごとを言って嘘をついた。
 俺の五十年を返せ・・・大人は誰か責任を取ってくれ。」

と数十年間も引っ張った人もいるでしょう。

鏡を見て、

「なんだこの年より、マジ俺?」

と驚き、

「なんだよなんだよ。何もいい事もなくこうなるのかよ?
 ひでえよ。苦労した分何かあると信じて生きて来たのに。」

となりませんかね。

こんな人生の最後に、

「xxさん。朗報です。
 最近の画期的な形成技術で、
 イケメンに変身することが出来るんです。
 如何ですか? 試してみませんか?
 人生が変わりますよ。きっと。」

「先生、それもういいですから。
 確かに若い時ずっとそう言ってきましたよ。
 でも今の俺はもうお迎えが来そうなんです。
 一年でも長生きしたいんです。
 そっちを研究してくださいよ。」

「う~ん。そっちかあ。
 そっちは、あと二十年くらい時間をください。
 あとは何でしたっけ?
 あなたの恵まれている人論、思い出せないなあ。
 頭がイイとかでしたっけ?
 ご家族が裕福とかもありましたよね。
 これは貴方の生命保険とかで何とかなるかもしれません。」

「先生、もう許してください。反省しています。
 だから・・・お願いします。」

「まあ、冗談です。とはいえ出来ない物は出来ません。」

私は思うに、
全ての人類は、
加齢に伴って精神的に成長すること以外、
自分には何も残らないのでは?

自分の考えが幼い子供と変わらないまま、
肉体や外見が老いていけば、
生まれや育ちがどんなに恵まれていても地獄だと思いますよ。
そして自分の成長に関して、誰かに何とかしてもらえることはなく、
殆どの人は後悔し、納得できないと言って死んじゃう事が殆どでは
ないでしょうか。

こんな人達(全人類)相手に「不公平だ」と言うのならば、
もっと別の内容にすべきだと思いますよ。


以上、ご参考になれば。
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恵まれている人と恵まれていない人を


段階別にわけて、それぞれの世界を作って
別々に過ごした方が幸せだと思いませんか?
 ↑
幸せかも知れませんが、実現不可能
ですね。
そんなこと。



自分より恵まれている人がいるからこそ
自己嫌悪が生まれてしまいますよね。
 ↑
それは人によります。

自己嫌悪に潰される人もいるでしょうが、
頑張る動機にする人もおります。
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