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 若い人ほど死ぬことを恐れ、歳を取るほど満足したから?かどうか分かりませんが

 怖いと思う人が少ないそうですが何故なのでしょうか?


 個人的にはカウントダウンに入っている方が恐ろしと思うのですが
 
 いわゆる「お迎え」っていうものがあるので、宗教的な要因もあるのでしょうか?

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A 回答 (14件中1~10件)

Q/怖いと思う人が少ないそうですが何故なのでしょうか?宗教的な要因もあるのでしょうか?



A/日本の場合はそうかもしれませんね。
宗教観や倫理観の問題ですね。人が生きる意味は、人によって様々ですが、一つ共通に言えることがあるとすれば、苦しむことを嫌うということです。その逆に楽をしたいという感情もあるでしょう。そして、遺伝的には、次の性を残すことが目的です。

この苦楽と子孫のいずれかが満たされていくと、死を恐れる感情は徐々に抑えられるはずです。

もっと、分かりやすく言えば、親は子供が出来れば、子が死ぬなら自分の命を捧げる覚悟をするケースもあります。人生の目標が親であり、親として子供を育て上げることに目標があるなら、その人の人生は、満たされたことになり、少なくとも一つの大きな未練はなくなります。それは、死しても自分の子孫が残るということで果たされるからです。

苦と楽というのは、子供の頃に死を恐れることにも影響します。苦しみには仏教では四苦八苦というものがあり、生老病死に生きる上で必ず1度は味わうであろう、愛する人と別れる苦しみ、恨んでいる人や憎しみを抱くような相手と会う苦しみ、求めるものを欲する苦しみ(それが手に入らない苦しみ)、精神的な苦しみの4つを加えた8つの苦しみがあるのです。

死ぬ苦しみが、怖いのは年老いても実際には同じですが、子供の場合は、精神的な苦しみが少なく、憎しみを抱くことも普通に育てられていれば少ないはずです。さらに、愛する人が近くにいることも多く、別れる機会も少ないはずです。それに対して、漠然として理解できないのが死の苦しみです。

生きる苦しみは、病気をしたとき、人生において一人立ちをしたとき、生活を自分で設計したとき、子供が生まれ家族が出来たときと順番に、大きくなります。それらは、全てが苦しみではありませんが、生きていることの苦が、死の苦に勝っていけば、自分から死を選ぶようにもなります。

人の喜びや悲しみ、苦しみや、楽しみは人によって様々ありますが、その人にとってほぼ苦と楽は正反対の価値です。楽が10なら苦は-10なのです。ただ、人は慣れる生き物です。そのため、最初は楽が10でも次に同じ楽を味わっても、9に感じます。苦も不条理でなければ同じことですが、楽しか味わっていない人は、それを理解できないため、苦が緩和される前に、諦めてしまい社会に苦ばかりがあるように感じるようになります。
生まれたときから、一定の楽を味わえば、たいていの場合、年齢があがるにつれて、死は怖くなくなるでしょう。
何故なら、死に対する苦しみより、社会の苦しみの方が現実的で、恐ろしいからです。


最初から、死に直面するような社会に産まれ、育っていくと死を重んじるようになり、恐れるまではいかないでしょうが、死の価値を誇大に見るようになります。まあ、よい方向で教育されれば、最後まで生き抜いて、死の苦しみが少ない社会を目指すかもしれません。悪い方向で教育されれば、テロリズムに走り、自分の死を選ぶときに、多くの敵を一緒に巻き込むでしょう。

人の喜びは、価値のある物を手に入れたとき、人に評価されたとき、そしてそれらを合わせて自分の好きなことを好きなだけ出来るときなどに生まれます。死に対する感情は、その教育と幼児期からの育ちによってある程度は決まります。ある方法での死を喜びと錯覚させるように教えられれば、死は恐怖ではなくなるでしょう。
また、社会が苦しみの固まりだと感じれば、死は怖くなります。そして、一番よい死の苦しみを和らげる方法は、目標の幸せを手にして、幸せを一定程度勝ち取ることです。苦をある程度受け入れ生きることが、死を安らかに迎える方法かもしれません。
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死は、誰にでも同じ喪失をもたらすのではない。


死によって失われるものの大きさは、若い時の方が大きい。
生きる事によって成し遂げられるものの大きさは、老いるに
つれて余命も能力も減る=死によって失われるものが小さく
なるのだ。
生きていても何もできないのなら、死んでも惜しくないと思い
至るのも当然である。
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「若い人ほど死ぬことを恐れ、歳を取るほど怖いと思う人が少ない」ということが、どのようなデータなのかを調べる必要があると思います。


ここに40歳代、50歳代、60歳代、70歳代の全国の男女792名を2003年10月24日~11月5日に調査した結果が掲載されています。
http://group.dai-ichi-life.co.jp/dlri/ldi/report …
39歳までの人は調査の対象になっていません。は84.5%が既婚者です。
この調査の若い人は40~59歳で、家族のいる人です。
この調査では、
「死ぬことが恐い」と思う、どちらかと言えばそう思う人が合計で、
40~49歳 54,5%
50~59歳 49.2%
60~69歳 34.7%
70~79歳 30.0%
となっています。 
死ぬことを怖いと思う人は、歳をとっている方が多いです。
子供などの家族を抱えている場合に、40歳代、50歳代が死を怖いと思うかもしれません。
70歳代で「残された家族が経済的に困るのではないか」「残された家族が精神的に立ち直れるか」を心配している人は明らかに少ないです。
 
どんな最期が理想だと思うかへの回答では、「心筋梗塞などで、ある日突然死ぬ」が64.6%、死期が近いとしたら不安や心配なことは何かへの回答では、「病気が悪化するにつれ、痛みや苦しみがあるのではないか」が56.2%です。
日本の状況では死亡年齢は70歳以上が多く、死亡状況を実際に見聞きして知っているのは60歳以上で、60歳以下は葬儀に参列することがあっても、死亡や死に至る病床の実際の状況は知らず、知らないから想像だけで、死に至る苦痛などを不安を感じることが多いのかもしれません。
 
死の恐れの意識を被説明変数とする重回帰分析の結果は、
男:(1)病気が悪化するにつれ、痛みや苦しみがあるのではないか、(2)自分が死ぬと、自分はどうなるのか、どこへ行くのか、(3)残された家族が経済的に困るのではないか
女:(1)自分が死ぬと、自分はどうなるのか、どこへ行くのか、(2)家族や親友と別れなければならない、(3)残された家族が精神的に立ち直れるか
だそうです。
女の「自分が死ぬと、自分はどうなるのか、どこへ行くのか」という不安がなんなのか、私にはよくわかりません。「死後どうなるか分からないのは不安だ」という人、ややそう思う人は、男女合計で27.8%しかいませんから、死を恐れる女の中ではずいぶんと大きな要素になっているようです。 こういう理由なら、年齢にかかわらず死を恐れそうな気がします。
その他の重回帰分析の結果は、40~59歳までの人の方が死を恐れる結果になる原因になっていると思います。
 
日本の高齢者では、死の恐怖は、死そのものよりも、死ぬ際の苦しみの想起で引き起こされているとの調査もあるそうですから、死亡前に苦しむことはないと安心できれば、死を恐れる人はさらに少なくなるでしょう。
 
39歳までのもっと若い人や独身者がどの程度死を恐れているのか、40歳以上の人よりも、死を恐れる人が多いのか、少ないのかは、データも、分析結果も見当たらないので、わかりません。
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簡単だよ。


まだ死にたくない。
こういう負の感情が減少し、死がより現実に近くなるからだ。
すなわち死は、そもそも恐れる必要がない。
最終的にはそうなり、往生できる。
ちなみに、死に直面する自身を愛する者がいないほど、死は怖くないだろうな。
愛する者がいると言うならば、失うものがあるからだ。
死を恐れるならば、それは誰かが君を愛している証拠だ。
こういうありがたい話をすると、頑張って生きていきたいと思うだろう。
しかしそのようなゴルゴムの野望は仮面ライダーたる私がくじく。
君の場合は、愛された事がないから、愛を知るまでは死にきれないと考えるのだよ。
それは主に、君のオチンポを受け入れてくれる女性の存在を指す。
しかしだ、そんなお姉さまがいなくても君は愛されてこの世に迎え入れられた。
それに気が付けばいつ死んでもいいとなる。
失うものがあっても、なを、死を望むのだ。
このようなゴルゴムの論理は、君が生きる事に逆らっているからだよ。
実は死にたいが、それが怖いんだろ。
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   50代半ですが40代までは死と言う事は殆んど考えませんでしたが50代に入って病気をしたり


   同世代のタレントさんが亡くなりするのを見聞きすると、死が少し現実みを帯びてきますね
   20代の時は頭ではいつか死ぬと判っていても現実みがなかったですからね。



   この世に生を受けた時、いた人達は、年を取る頃にはもう殆んどこの世には居ない訳ですから
   それを考えるとあまり怖くないというは思いますね、まあ~自然の摂理ですから仕方ないですね。

   死ぬ時の苦痛はあるでしょうが。。どうにも成らない事を悩んでも仕方ないです。

   
   宗教感は個人差だと思います。


   
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抱えている「切実な思い」というのが、多ければ多いほど死は怖いでしょうし、少ないと怖くないのでしょうか?



もちろん、宗教的な要因もあると思います。
「一生に一度は、ここを訪れる」とかね。
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数多くの様々な人の死に際に立ち会い、数えきれないほどの葬式に参列した経験からですが


死は避けようがない、100%確実なものです。
だが、若いうちは100%ということが実感できないものです。
100%確実ということが実感できれば、自然と怖くなくなります。
諦めがつく、ということです。
誰でもいつかは味わう、宗教以前の体験学習的結果みたいなもんです。

地震の予知にしたって、70%などと言っているから不安になるのでしょう。
100%来ると言ってしまえば怖くなくなります。
漠然とした不安を抱えたままではなく、備えをどうするかといった具体的な事に入っていける訳です。
死への対処も同じようなものでしょう。
怖いからできるだけ遠ざけたいという思いから
避けられないから、できるだけの事をしておこう、準備もしておこう・・・といった気持ちになってきます。
死への深い実感が、逆に前向きに生きようとする心をもたらすようです。
自然とそうせざるを得ないといった感じでもありますが・・・
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覚悟。



死を受け入れる強さっつうのかい?
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恐れ、恐怖という感情は未知・不知から来ることが多いものなんです。



同じ一人の人間で、若い時と、歳をとった時とを比較すれば、歳をとった時の方が死、あるいは人生に関する知見は増えるものです。未知・不知が減っただけ、達観できるようになるのではないでしょうか。

他人同士を比較する場合は、個人差が大きいのですから、20代で達観する人もおれば、思索することなく馬齢をかさねて、晩年になって、崖っぷちがせまっていることに気づき、藁をも掴むように、宗教に縋る人も多いです。

宗教に縋ったとしても、死の恐怖を霧消できる程になるには、何十年かの過酷な修行が必要でしょうけど、、、。
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肉体の老化が生への執着を徐々に弱めていきます。



   生殖機能が失われると異性への興味も薄れます。
   体力減少で疲れやすく何かにつけおっくうになります。

精神面でも、いろんな経験や刺激に遭遇しているので、
更なるものに興味がわかないし、気力もありません。

その反面自己のルーツに関心が強まったり、先祖が
おわすと思いたいあの世に対する恐れが薄まっていきます。

と言う次第で、宗教心とは無関係に安らかな気持ちで
お迎えを待つ心境に到達していくのだと思います。
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Q高齢者の方は死ぬのが怖くないのか?

「もしも明日の午前0時に、突然死ぬとしたら、何がしたいか?」
という問いをよく自分にぶつけます。

「女性とたくさん関係を持つ」とか「おいしいものを食べまくる」とか
「気に入らないやつを殴りに行く」とか、
低俗で下世話な欲望がいろいろ浮かぶのですが、
結局いつも最後に出るリアルな答えは
「死への恐怖に耐え切れずに、ただ泣きながらそのときを待つだけだろう」です。

しかし、高齢者(特に平均寿命を大幅に超えた)の方々は、
「明日、いや次の瞬間に自分は死ぬかもしれない」という
恐怖を抱えているはずなのですが、
精神面・行動面、
すべての面において、
若者よりも落ち着いているように私には見えます。

少し失礼な言い方になりますが、
脳が老化すると、死への恐怖が鈍化するのでしょうか?
それとも本当は、心の中が死への恐怖でいっぱいなのでしょうか?

私が今80歳になったと仮定すれば、
とても死への恐怖に耐えられません。

そう考えると、ご年配の方々はつくづく偉大だなといつも思っているのですが、
本当のところはどうなのでしょうか?

教えてgooのユーザーさんにいらっしゃるかわかりませんが、
80歳を超えておられるご年配の方々に、
死に対するご意見を聞いてみたいです。

「もしも明日の午前0時に、突然死ぬとしたら、何がしたいか?」
という問いをよく自分にぶつけます。

「女性とたくさん関係を持つ」とか「おいしいものを食べまくる」とか
「気に入らないやつを殴りに行く」とか、
低俗で下世話な欲望がいろいろ浮かぶのですが、
結局いつも最後に出るリアルな答えは
「死への恐怖に耐え切れずに、ただ泣きながらそのときを待つだけだろう」です。

しかし、高齢者(特に平均寿命を大幅に超えた)の方々は、
「明日、いや次の瞬間に自分は死ぬかもしれない」という
恐...続きを読む

Aベストアンサー

高齢になると身体のあちこちにがたが来る。燃えるような希望がなくなる。パワーがなくなる。つまり心身ともに衰え、死期の近いことを悟り(ああもうそろそろだな)とあきらめがつくのです。
わたしは団塊の世代ですが、老化現象があちこちにあり、これが年と共に強まり、衰えて行くのだなということがわかります。淋しいことですがこれが自然です。死なないとこれまた大変なことになります。要するに神によって生かされている間はしっかりと自己表現して生きればいいんです。

Qタナトフォビア(死恐怖症)の症状を抑えたいです。

現在23歳、大学3年で就活が間近に迫っている男です。

昨年(2010年)の年末から、死んだら自分はどうなってしまうのだろうという思いがほぼ四六時中、頭から離れなくて心身共に疲れています。

小学校に入学するかしないかの頃から、ふとした瞬間に、死んだら自分はどうなってしまうのだろうと考えて得体も知れない怖さを感じることが度々ありましたが、寝るなどしてしばらくしたら治まっていました。

しかし、今回はすぐに治まらず、死んだら自分の意識は無くなってしまうのだろうか、「無」は何なのだろうか、何の為に生きているのだろうかとか、宇宙について考えてしまったりして、ここ数日は朝になるまで寝られず、起きている間も考えてしまいます。恐怖や絶望を感じてしまい、食事も無理をして行っている感じがします。情けないですが、自分の部屋で声を殺して泣いてしまうこともありました。

また、母親(60代前半)もいつか死んでしまって、火葬が行われるであろうことも考えてしまい、家で母親の顔を見ただけでも、涙が出そうになってしまいます。ニュースなどで人が死んだことを聞いても、その人について考えてしまいます。

先日、ネットで調べて「タナトフォビア」という言葉があることを知り、自分もそれを発症していると思い、ここのような相談サイトを見て回ったのですが、理論的な理解はできても、感情をなかなか抑えられません。少し落ち着いているときと考え込んでしまうときが交互に来ている状況です。

10代の時に強迫観念症(これが正式名かどうかはわかりません)を複数発症したこともありました。(元々、そのような病気になりやすいのだと思います。)そのときは病院には行かず、程度の差はあれ、自分で症状を改善しました。

心が休まりません。どうすれば、タナトフォビアの症状を抑えられるのでしょうか。

強迫観念症の件で家族には迷惑をかけてきており、また、今回は対象が「死」ということもあり、家族には話していません。なので、ここで質問させていただいた次第です。

長文かつ乱文で申し訳ございませんがよろしくお願いします。

現在23歳、大学3年で就活が間近に迫っている男です。

昨年(2010年)の年末から、死んだら自分はどうなってしまうのだろうという思いがほぼ四六時中、頭から離れなくて心身共に疲れています。

小学校に入学するかしないかの頃から、ふとした瞬間に、死んだら自分はどうなってしまうのだろうと考えて得体も知れない怖さを感じることが度々ありましたが、寝るなどしてしばらくしたら治まっていました。

しかし、今回はすぐに治まらず、死んだら自分の意識は無くなってしまうのだろうか、「無」は何なのだろうか、...続きを読む

Aベストアンサー

今晩は。

症状を抑えるのも大事かと思いますが、うまく付き合う、それもひとつの解決策かと思いお返事します。

強迫性障害を持っています。死が対象だったことがあります。
死に捉われ、苦労はしましたが、お陰で意識がとても変わりました。
その経験をお伝えします。

なぜ死に捉われるのかから探りました。
実は身近に死が沢山溢れていることに対し感覚がそれを捕らえていることに気付きました。
だから意識が「死」から離れない。死を感じる結果、それを強く意識してしまう。
だから病気だ、というよりも単純に感性が鋭い事が原因なんだろうと思いました。
感性が豊かな人なら大なり小なりタナトフォビックであろうとも今は思っています。
死、はいかなる人であれ未知です。
DNAからは死を避ける行動を取るように恐怖という感情を引き起こすよう書き込まれています。
それなので死=恐怖は自然な感情です。ところが死が溢れているがゆえにいつまでも繰り返し
恐怖を引き起こす、どこかで麻痺するのが通常なんでしょうけれど、麻痺しないことが苦痛となる。
麻痺しないことは間違ってはいないと思うので病気だとは考えません。
ただ麻痺しないから困っている現状がある、それをまず客観的に捉えられるようにしました。

そこで繰り返し引き起こされる恐怖への対処法を考え、実行しました。

何をしたかというと、死、の反対を探したんです。
誕生ですね。意識して、意識を向けた結果、溢れる死と同じように
生命の誕生を至る所に感じられるようになりました。
毎日、毎秒、ありとあらゆる生命が生まれている一方で、死んでいく。
繰り返し、繰り返し、です。その感覚を得てはじめて万物流転をきちんと理解できた気がします。
自分の身に起こる死もまた、肉体が解体され、流転する。自然の流れなんだろうと。
そこに魂を信じる気持ちがあれば、輪廻転生も有り得る事とも思いました。

その一方で、死からも学びを得ました。何よりも如何に命が儚いか、です。
だからやはり誠に、生きて存在しているということ事態が奇跡なのだと知りました。
一期一会という言葉の持つ真の意味に触れることが出来たのも、死を思ったが故に。
今は昔、全ての時計に書いてあった言葉だそうです。メメントモリ(死を想え)と。
その昔は今で言うタナトフォビアが当たり前だったのかも知れませんね。
ちなみに朝生まれ、夜死す、それが繰り返されて日々となる、という考えもありますね。
なによりも人は思ったよりも簡単に死んでしまうものなので
限られた日々を一所懸命生きなさい、という智慧なのでしょう。

いつか必ず死にます。死後の世界の話で困るのは、結局死んでみないことには判らないですし、
折角まだ生きているのに、知りたいから今死のう、というのも違います。
なので死後の悩みは死後のお楽しみとしてひとまず置いておきませんか?
死後も意識が継続していましたら、その時にあらためて考える、としておいて
意識が無かった時は諦めよう、としてみましょう。
問題の死への概念ですが、死の意識を振り払うことは大変です。
だったら死に対してポジティブな意識を持つように意識を変えてみませんか?

私の辿った道のりです。
身近に溢れる命が死んでゆく、その切なく脆い命が故に、命に対しての愛おしさに繋がった。
儚さゆえの愛おしさだとしても、溢れる息吹に感じ入り、懸命に生きる大切さが
死を感じるが故に繰り返し伝わってくる。
その時にはじめて死の概念がそのまま命への慈しみへと変わりました。

残された日々を大切な人たちといとおしみ、生きる。それはかけがえのない日々となるでしょう。
命を見送り、自分の最後の時には、素晴らしい人生を過ごせれた、と悔いなく死ねるでしょう。
思い残すことが無いから安心して自らの命を自然へ帰す。
そんな心を最後の時に持てるよう日々、命を燃やして生きていきたい。
それこそが、死を想うが故に苦しみを生むことに対しての最大の対処法として
僕が今、まさしく実践中の毎日です。

繰り返しますが、命は儚いものです。お母様を想う気持ちは慈しみでしょう。
慈しむ思いがあるのですから、まずはお母様への慈しみの行動を取ってみましょう。
具体的に、日々の感謝の気持ちを手紙としてお渡しするのも良いでしょう。
あなたの笑い顔を見せることも、もちろんとても喜んでくださるでしょう。
何も出来そうになければ、ただ、傍に居る、たったそれだけでもとても大きな喜びでしょう。
愛情こそ、死への恐怖から解き放つ何よりのものではないでしょうか。

私事ばかりで恐縮ではありますが、何か拾えるものがありましたら何よりの喜びです。
長々とお付き合い、ありがとうございました。

今晩は。

症状を抑えるのも大事かと思いますが、うまく付き合う、それもひとつの解決策かと思いお返事します。

強迫性障害を持っています。死が対象だったことがあります。
死に捉われ、苦労はしましたが、お陰で意識がとても変わりました。
その経験をお伝えします。

なぜ死に捉われるのかから探りました。
実は身近に死が沢山溢れていることに対し感覚がそれを捕らえていることに気付きました。
だから意識が「死」から離れない。死を感じる結果、それを強く意識してしまう。
だから病気だ、というよりも単純...続きを読む

Q死ぬのが怖くてたまらなくなる時があります、、、。

26才主婦です。1才8カ月の息子がいます。
いたって普通の主婦です。小さい頃にもあったんですが
死ぬ事を考えるととてつもなく怖くなって動機がして涙があふれてきて体が震えていてもたってもいられなくなってこのままおかしくなるんじゃないかと思うほどです。普段はなんともないんですがたまにフッとその思いがよぎるんです。
学生や働いていて毎日忙しくしている頃にはありませんでした、結婚して子供ができて家にいるようになってからぼちぼちそういう事があるようになりなんども主人に話を聞いてもらったりしていました。出産後は病院にも半年ほど通いましたが薬を飲んでもあまりよくなっているような気がしなくて、そう先生に言って薬を変えてもらっても同じような感じでした、そのうち子供が動き回るようになり現在は子供が相手になってくれる事もありそんなになくなりましたが今でもたまになります。
身じかな人が最近の数年で何人か亡くなったということもあるとは思います。
だんだんそんな自分に嫌気がさしてきてしまいました。
テレビや本もそういった事からは遠ざけるようにしています。そんな事考える暇がないようになにかやる事を見つけようとは思っています、こんなふうな気持ちになったときどんなふうにぬけだしたらいいのか誰か教えて下さい、、、やっぱり病院に通った方がいいんでしょうか。

26才主婦です。1才8カ月の息子がいます。
いたって普通の主婦です。小さい頃にもあったんですが
死ぬ事を考えるととてつもなく怖くなって動機がして涙があふれてきて体が震えていてもたってもいられなくなってこのままおかしくなるんじゃないかと思うほどです。普段はなんともないんですがたまにフッとその思いがよぎるんです。
学生や働いていて毎日忙しくしている頃にはありませんでした、結婚して子供ができて家にいるようになってからぼちぼちそういう事があるようになりなんども主人に話を聞いてもら...続きを読む

Aベストアンサー

 わたしも、失いたくないものがたくさんあって、それを失うことを想像して
ふと、涙をこぼしてしまうことがよくあります。一人の夜とか、二人の夜とか、
寂しいときとか、、、。好きな人たちが死んでしまうことや、自分が死んで
みんなが悲しむ姿を想像したりして泣くことも、今の年になっても結構あります。

 その時、身近な人に「大丈夫だよ」って言ってもらえると、根拠はなくても
安心します。「絶対大丈夫なんてこの世にはない」って、理屈のわたしは
考えているのですけど、心は安心するのです。

 あまり悲しみに襲われる頻度が高く、毎日過ごすのが辛いようでしたら、
やはり皆様の言われるとおり心療内科が助けになってくれると思います。
 また、書物や音楽も心のなぐさめになってくれると思います。

 それから、考え事は明るいうちに、または誰かが周りにいてくれる環境でする方が、気持ちが暗くなりにくいです。
 わたしの母親が「夜に書いた手紙は朝読み直せ」とよく言っていました。
「夜は心に『魔』がさすから」だそうです。もちろん、比喩ですが、
人間の心に朝夜のサイクルも少なからず影響があるようですから、
環境面もちょっと工夫されてみてはいかがでしょうか。
 あまりご自分を追い込まないで下さい。同じことを考える人は
たくさんいると思いますよ。

 わたしも、失いたくないものがたくさんあって、それを失うことを想像して
ふと、涙をこぼしてしまうことがよくあります。一人の夜とか、二人の夜とか、
寂しいときとか、、、。好きな人たちが死んでしまうことや、自分が死んで
みんなが悲しむ姿を想像したりして泣くことも、今の年になっても結構あります。

 その時、身近な人に「大丈夫だよ」って言ってもらえると、根拠はなくても
安心します。「絶対大丈夫なんてこの世にはない」って、理屈のわたしは
考えているのですけど、心は安心するのです。
...続きを読む

Q「老い」「別れ」「死」が怖い

今日で24歳になりました。
祝ってくださいという事ではありませんが
嬉しい嬉しくないどころか
毎年この日が来るのが辛いです。

何故なら自分や家族の老いが悲しくて
いつか別れが来る事を思うと苦しくて
必ず自分が居なくなる事が怖くてたまらないからです。
歳上の方はまだ若いだろうと思うかもしれませんが
歳を重ねる事自体が怖いのです。

みなさんも誕生日にはこんな辛い思いをしてるのでしょうか
いつもは効いている抗不安剤が全く効きません。
動悸が激しく、視界が暗く感じ
受信状況の悪いFMラジオの音量が最大になったような声が聴こえます。
考えたくなくても嫌というほど頭に入ってきます。
なにか方法はないでしょうか

Aベストアンサー

私は12歳のときに「もうこれ以上年を取りたくない」と思いました。
そして、どうしたら良いか考えて考えて、でも、時は容赦なく流れ、現在37歳です(恐ろしい……)。

12歳の私が37歳の私を想像することなんてできたでしょうか。
37歳の私は12歳の私の気持ちを手に取るように思い出すことができます。
そうです。思い出すのです。
普段は忘れています。
ここまで来ると、年なんてどうでもよくなります。
私の場合は17~18歳くらいから段々どうでもよくなってきました。
15歳くらいでは「あれから3年も生きてしまった」などと考えていましたが。

30歳頃には「いつ死んでもいい」とあっさり思っていました。
ただ親不孝の罪は犯したくなかったので、それだけは守りたいとは思っていました(これは10代の頃から)。

>なにか方法はないでしょうか
考えたくなくても考えてしまうわけですから、不老不死の薬を発明するとか、機械を作るとか、自分で解決する方法を考えてみるのはどうでしょう。
不可能と思われていたことが現実になっている例はいくらでもあります。
せっかく考えてしまうのですから、人より発明発見する確率は高いはず(ふざけているのではなく本気で言っています)。
私も12歳の頃からしばらくはそんなことをよく考えていました(15歳で人生を投げてしまったので何も考えなくなりましたが)。

ちょっと発明発見は……というのであったら、文章にしたためるというのはどうでしょう。
人は書くことや話すことによって自分の気持ちが整理され、それだけですっきりすることさえあります。
magatuさんの場合は「それだけですっきり」にはならないでしょうけれど、なぜ怖いのか、恐れるのか、もしかして書くことによって原因(?)のようなものがはっきりしてくるかもしれません。
原因がわかれば、それからどうしたら良いかも見えてくるかも。

私は12歳のときに「もうこれ以上年を取りたくない」と思いました。
そして、どうしたら良いか考えて考えて、でも、時は容赦なく流れ、現在37歳です(恐ろしい……)。

12歳の私が37歳の私を想像することなんてできたでしょうか。
37歳の私は12歳の私の気持ちを手に取るように思い出すことができます。
そうです。思い出すのです。
普段は忘れています。
ここまで来ると、年なんてどうでもよくなります。
私の場合は17~18歳くらいから段々どうでもよくなってきました。
15歳くらいでは「あれから3年も生...続きを読む

Qなぜ「どうせ死ぬのに」、頑張って生きるのですか?

20代半ば、会社員です。


最近、あらゆることに対してやる気や情熱が持てなくなってしまいました。
理由は、質問のタイトルにも書いた通り「どうせ死ぬから」というもの。


例えば・・・

自分が勉強して知識を付けても、その内のほとんどは自己満足。

仕事でその知識を使い社会に貢献できたとしても、社会全体から見たらほんの極わずか。

自分が痩せて「嬉しい!やった!」と思っても、ほとんどの他人にとってはどーでもいいこと。ましてや社会にとっては何の意味もありません。

僕本人にしか分からないレベルで小さな変化や成長を自分の中に感じても、他人にとってはどーでもいいこと。

何かの技術に習熟して、他の人ができないことができるようになったとしても、やっぱり社会全体から見たら取るに足らないこと。

僕が何かの資格を取ったりしても、やっぱりそれは地球全体で考えたら本当に些細なこと。


そしてそもそもの話。

どんな風に生きたとて、結局のところ人は死にます。
当たり前の話ですが。

じゃあなんでどうせ死ぬのに頑張って生きるのでしょうか。

しかも、上述したように、何か頑張って成し遂げたとしても、ほとんどが自己満足。
自己満足を超えて社会に幾ばくか貢献できたとしても、その影響は本当に小さい。。。


もしあなたがベートーベンやゴッホなどの世界クラスの才能をお持ちであるならば、その影響は大きいでしょう。
ですが、そんな人は本当に極一握り。

僕を含む、彼ら以外のその他大勢の"凡人"は、結局頑張ってもその努力の跡や功績は後世には伝わらないんです。

じゃあ、頑張っても無駄じゃないですか?


一生懸命、大変な思いをしながら生きるのって、必要なくないですか?


ただでさえ、あなたは日本や世界という基準で見たら、小さい存在で、正直いてもいなくてもいいんですよ。
あなたは後世に残る程の偉人にはならないだろうし、多くの人間に必要とされる人間にもならないでしょう。


その上、悪口を言われたり嫉妬されたり、潰されたり、精神的に辛い思いをさせられたり・・・と、色々な目に遭いながらも一生懸命生きたとして、残念ながら結局は死にます。


じゃあもう、どうせ死ぬなら生きなくてよくないですか?



・・・・っていうようなことを、ここ3ヶ月ぐらい前からずっと考えています。



自分は今20代半ばで、これまで色々とその場その場で頑張って来たつもりです。


高校受験の為に勉強して、部活では一生懸命走って、大学受験をして、そして就職活動をして・・・と、なんやかんや頑張って生きて来ました。


でもここまで生きて来て急に気付いたんですよね。


「俺、どうせ死ぬんじゃん」
「このまま生きてても、どうせ俺は後世に何年も残る偉大なものを作り上げることなどできない。つまり長い歴史で見ると俺の人生なんて何でもないんだ」


ってことを。


これまで本を読んだりして知識を付け、本人しか分からないレベルで成長したこと。
趣味を一生懸命やって、そのスキルを磨いて自己満足を得たこと。
ダイエットして痩せたこと。
何かに感動したこと。
新しい経験をし、新しいことを知って喜びを感じたこと。


これら全て、結局僕以外の人間にとってはどうでもいいことなんだなと。
そして、当たり前ですが、結局死んで無になるんだから全ては無意味なんだなと。


こんなことを最近強く思ってしまうようになったんです。


別に仕事で辛いことがある訳でも、プライベートで絶望的何かがあったとかでもありません。
恋愛で躓いているとか、他人が羨ましくて仕方ないとかでもありません。
特にサボリたいとか、その様な怠慢状態になっている訳でもありません。


単に、

「凡人が生き続けても何も残らないし、自分が何に感動し何に喜びを感じても他の人にはどうでもいいこと。 しかもいつか死ぬ。じゃあ生きてても意味なくね?」

という気持ちが急に湧いて来て、消えないだけです。


巷には

「人間関係を円滑にする方法!」
「コミュニケーションをスムーズにする為の〇〇ステップ!」
「資格試験取得への第一歩!」
「10年先を見据えた生き方をしよう!」


みたいな趣旨を唱う自己啓発本みたいなのが山のようにありますが、こんなのも正直無意味です。

結局あなたに、そして僕待っているのは「死」なんです。



・・・みたいな、「そもそも論」的な部分でしか物事を考えられなくなってしまっただけです。



こんな状態なため、ここ3ヶ月は本を読んで知識を付けようと思っても、

「どうせ俺がこうやって知識を付けて賢くなっても、結局は自己満足だ。 しかも俺より賢い人はゴマンといる。 じゃあやっても意味ないよな・・・」

って考えてしまったり、趣味に没頭しようと思っても、

「どうせ俺がこうやって趣味を楽しんでも、俺よりこの趣味に習熟している人なんて山程いる。。。 じゃあ意味ないんじゃないか・・・」

こんなことを思ってしまい、もう全てに対してやる気が失せ、情熱を燃やすことができないんですよ。



この気持ちが一向に消える気配がないので、思い切って仕事も辞めようかとも思い始めてます。
仕事を辞めて、一切の友人関係を絶ち、部屋に引きこもって餓死するまでずっと横になって生ける屍になろうかと。

冗談ではなく、本気で。


かなり前置きが長くなって申し訳ありませんが、以上を踏まえて質問です。


なぜあなたは「どうせ死ぬのに」生きるんですか?
あなたが幸せになろうが喜びを感じようが他の人にとってはどうでもいいのに、なぜそれらを追い求めて一生懸命生きるのですか?
それと(これはできればで結構です)、どうすれば僕はまた生きることを肯定的に捉えられるようになると思いますか?


これらのあなた自身の明確な意見をお聞きしたいと思います。

(回答する際はお手数ですが、年齢の方も最初に明記して下さい。 その方が回答者様の人生経験などを推測しやすいので)

20代半ば、会社員です。


最近、あらゆることに対してやる気や情熱が持てなくなってしまいました。
理由は、質問のタイトルにも書いた通り「どうせ死ぬから」というもの。


例えば・・・

自分が勉強して知識を付けても、その内のほとんどは自己満足。

仕事でその知識を使い社会に貢献できたとしても、社会全体から見たらほんの極わずか。

自分が痩せて「嬉しい!やった!」と思っても、ほとんどの他人にとってはどーでもいいこと。ましてや社会にとっては何の意味もありません。

僕本人にしか分からないレ...続きを読む

Aベストアンサー

19歳女性です。

生きる意味なんていうのは、私も分かりません。
でも、「なぜどうせ死ぬのに頑張って生きるのか」の答えは何となく分かる気がします。
あくまでも私の考えです。

私は、「どうせ死ぬから」こそ、頑張って生きているのではないか、と思うのです。
もし、いつか死ぬと分かっていなかったら、ここまで生きてこられなかったかもしれない。
「死」という人生のゴールがあるからこそ、そのゴールまでの道のりを全うしたい、と思えます。
さらにいえば、生きる意味が分からないのも当然のことだと思います。
「生きる意味を探す」「生きる意味をつくる」というのも、立派な「生きる原動力」です。

抽象的になってしまい、分かりにくくなってしまいました。
もう少し分かりやすく言うと、私は、いのちの期限が決まっているからこそ、可能な限り、自分に与えられた人生を全うしたいと思うのです。
「生きる意味」というのは、誰かに提示されるものではなく、自分で見つける、さらにいえば、自分でつくるものだと思うからです。
だから、簡単に見つかるものではないのは当然です。
一生をかけて、向き合っていかなければいけない問いなのです。

勉学に励むことも、恋することも、友達と過ごすことも、家族をつくることも、仕事をすることも、全て、無駄なことではないと私は思います。
それらは全て、自分の生きる意味を形成するための重要な材料になるからです。

19歳女性です。

生きる意味なんていうのは、私も分かりません。
でも、「なぜどうせ死ぬのに頑張って生きるのか」の答えは何となく分かる気がします。
あくまでも私の考えです。

私は、「どうせ死ぬから」こそ、頑張って生きているのではないか、と思うのです。
もし、いつか死ぬと分かっていなかったら、ここまで生きてこられなかったかもしれない。
「死」という人生のゴールがあるからこそ、そのゴールまでの道のりを全うしたい、と思えます。
さらにいえば、生きる意味が分からないのも当然のこと...続きを読む

Q死ぬのが楽しみな人っていますか?

タイトルの通りなのですが、死に対して期待感を持つ人ってどのくらいいるのでしょうか?

私は、死に対する恐怖がなく、どちらかというと老いに対して
漠然と嫌悪感を抱いており、出来れば30歳になる前に死にたいなあ
なんてことを考えています。
「もしも今自分が死んだら、周りは驚くのかな」とか
不謹慎にもわくわくしている自分がいます。
私の場合は何か苦労をして人生に疲れたわけでもなく、
ただ歳をとる前に死にたいという願望なのですが、
他にもこんな考え方をする方はいらっしゃるのでしょうか?
少し気になったので質問してみました。
お暇でしたら回答していただけると嬉しいです。

Aベストアンサー

20世紀少年で主人公が「昔、誰かからこんな話を聞いた。ロックやってると27歳で死ぬってな。
ブライアン・ジョーンズ、ジャニス・ジョプリン、ジム・モリスン、ジミ・ヘンドリクス、なんとなく、俺も27歳で死ぬんだろうと思ってた。・・ところが28歳の誕生日をむかえちまって、、ガックリきたよ。・・略
だけど、ジジイになってもロックやってるすごい奴は山ほどいる。死んだらすごいって考えは・・・・・やめた。」という内容の話をしていました。

若い時は死に対する恐怖と、死への憧れと両方持つ人も多いかもしれません。特にこの時代の人は。
少数派だったら、こんなフレーズ使わないでしょう。私もジョプリンのファンだったので、30前に死ぬと思っていましたよ。

でも現代はロッカーでも品行方正で、無茶して若くて死ぬなんていう人居ないですよね。
死が遠くなってしまって、でもすぐ隣にいるから、恐怖だけがあるんでしょう。
いい中年が「そんなつまらないこと考えて・・」とか言いますけど、彼等は忘れているか、たいした時代をすごしていないんですよ。私も30を超えて40になるまではぬるま湯の人生でした。

だから彼方の様な方は、我々から見れば珍しくもないけれど、今の時代で見れば珍しいといえます。

20世紀少年で主人公が「昔、誰かからこんな話を聞いた。ロックやってると27歳で死ぬってな。
ブライアン・ジョーンズ、ジャニス・ジョプリン、ジム・モリスン、ジミ・ヘンドリクス、なんとなく、俺も27歳で死ぬんだろうと思ってた。・・ところが28歳の誕生日をむかえちまって、、ガックリきたよ。・・略
だけど、ジジイになってもロックやってるすごい奴は山ほどいる。死んだらすごいって考えは・・・・・やめた。」という内容の話をしていました。

若い時は死に対する恐怖と、死への憧れと両方持つ人も多...続きを読む

Q死ぬことが怖くない を 信じてもらえない

私はもうすぐ死にます。
死ぬのが怖くないです。
質問1:心理学的に、私は嘘をついていると思われますか?
友人や兄弟に「嘘こけ」と言われてしまいました。
恐れる姿勢を見せてもいいと言われました。

恐れても恐れなくても必ず死は訪れます。
大した問題ではないとも思いますが、
質問2:「死を恐れてはいない」ということを他人に信じてもらえるような
説得力のある一言を教えて下さい。

Aベストアンサー

こんにちは。

質問2の方は回答できませんが、質問1に関しては、私はご質問者さんは嘘を付いているとは思えません。なぜなら、私も“死”に関して恐怖を感じていませんから。私が恐怖を感じるのは、“死に至る様な事故/病気”であり、“死”そのものではありません。

因に私は勝手に“死ぬ直前って言うのはきっと眠りに付く時と同じ感じなんじゃ無いかな”と思ってます。(あくまでも、“直前”の話しです。事故等にあって、意識がまだあり、ギリギリまで痛い思いをしている時の事ではありません)

人の脳と言うのは面白いもので、薬で恐怖を感じなくさせる事も出来ます。実際私は22歳の時に扁桃腺を取る手術をしており、それまで麻酔をかけられて手術をする、なんて事に一度もなった事が無かったので、手術当日まで怖くて怖くて夜も眠れませんでした。そんな感じだったから、手術直前になってシャレんなんない位怖くなったらどうしよう...と思ってたのですが、手術室に連れて行かれる前に(精神安定剤なのか、麻酔の一種なのかは知りませんが)1本注射を打たれました。

そしてものの1分と経たない内に、体は重く、でも頭の中はふわふわしてる感じで、非常に気持ちが良くなってきました。それまでずっと手術の事しか考えてなかったのに、注射を打ってから、ベッドに寝たまま手術室に連れて行かれてる最中、ずっと“なんだか楽しかった”のを覚えてます。その段階で(手術に使うメスだの針だのが目の前に見えてるのに)私の頭に“私はこれから手術を受けるんだ”と言った考えも恐怖も全くありませんでした。

前に芸能人の誰かが川か海で溺れて死にかけた時“最初は苦しかったんだけど、すぐ体が軽くなって、なんか空中に浮かんでる様な気持ちいい感じだった。”と言っておりました。

この様な事から、死ぬ”直前”は気持ちがいいんだ...と、言う事はきっと眠りに付く時の様な感じだろう、と言う考えに至った訳です。

余談ですが、私は“死”よりも何よりも“年を取る”事の方がよっぽど恐怖を感じます。年を取ればそれまで普通に出来ていた事が出来なくなる。年を取れば段々周りに相手にされなくなって来る事もある。自分の知らない“死”よりも、自分が知ってる”生きる/生き続ける”と言う事の方が、よっぽど不安を感じます。

こんにちは。

質問2の方は回答できませんが、質問1に関しては、私はご質問者さんは嘘を付いているとは思えません。なぜなら、私も“死”に関して恐怖を感じていませんから。私が恐怖を感じるのは、“死に至る様な事故/病気”であり、“死”そのものではありません。

因に私は勝手に“死ぬ直前って言うのはきっと眠りに付く時と同じ感じなんじゃ無いかな”と思ってます。(あくまでも、“直前”の話しです。事故等にあって、意識がまだあり、ギリギリまで痛い思いをしている時の事ではありません)

人の脳と言う...続きを読む

Q死への恐怖…体験談、克服談を教えて下さい

 中学生の頃にも一度陥って、その時は一週間程で自然に
忘れていったのですが、三十代に突入して突然、死への恐怖に
再び憑り付かれ、なかなか脱却する事が出来ません。何度か
心療内科にも通った程です。(不安障害と診断されました)

 死が怖いのです。家族や友人の死も勿論怖いのですが、
一番怖いのは自分自身の死です。視覚・触覚・聴覚と
いった全ての感覚が消え去り、自分が完全な無になって
しまう。それなのに世界は変わらず続いていく…そう考えると
心臓が激しく鼓動し、胃がせり上がり、夜も眠れません。
 母に話してみましたが、「あなたはまだ若いし不治の病に
なったという訳でもないのに不思議で仕方ない。お母さんは
死は全然怖くない。いつ死んでもいいと思ってる。」との
事です。母の感覚の方が普通だとは分かっています。
この世で唯一絶対の真実と言っても過言ではない「どんな人
もいずれ必ず死ぬ」事に恐れおののく自分が、貴重な時間を
無駄にしている大馬鹿者に思えてひどく落ち込みます。
 死について考えないように、考えないように、と考えれば
考える程思考がそちらに行ってしまいます。心療内科の
先生は、「気持ちの悪循環」だと仰いました。そして
「哲学者や宗教家が必ず行き着く究極の問いだ。一度
とことん考え抜いてみるのもいいかも。」とも。

 皆さんは同じような考えに囚われて、苦しい日々を送った
事がありますか?また、それを克服した出来事や方法が
ありましたか?そういった体験談を教えて下さると
嬉しいです。

 中学生の頃にも一度陥って、その時は一週間程で自然に
忘れていったのですが、三十代に突入して突然、死への恐怖に
再び憑り付かれ、なかなか脱却する事が出来ません。何度か
心療内科にも通った程です。(不安障害と診断されました)

 死が怖いのです。家族や友人の死も勿論怖いのですが、
一番怖いのは自分自身の死です。視覚・触覚・聴覚と
いった全ての感覚が消え去り、自分が完全な無になって
しまう。それなのに世界は変わらず続いていく…そう考えると
心臓が激しく鼓動し、胃がせり上がり、夜...続きを読む

Aベストアンサー

死があたりまえだと思ってるのは他人の死の経験があるからです。
実際にどんな人も経験しますが、そのどんな人も語ることの出来ない領域です。
「死んだことありますか?」
と誰かに聞けば、頭がおかしいのではと思われるでしょう。

したがってhato-yomeさんが死んだ、と思うのはhato-yomeさんじゃない。hato-yomeさんは思えないのですから、hato-yomeさんは死んだりしないんですよ。死なないんだから怖がる必要は無いんです。

いつ眠るんだろう、その瞬間を見逃さないように小さい頃、時には今でもチャレンジしてますがいつも失敗しています。起きたときに、寝てしまったと思いますが、実際眠りも不思議な世界です。今も、実は夢の世界では?そうじゃないとどうして証明をするかなんて考えたりしますが、答えは出てません。
寝たことさえ認識できないのですから、死んだことも認識できないと思い込んでますが。ちなみにマトリックスの影響ではありません。

自分は、死ぬんだろうけど死なないよ、と考えてます。千の風の影響もないです。

いやー眠りって不思議ですよ。家では自分だけお休みなさいではなく出発しますと言ってます。どっかにいって戻ってきて起きる、という感覚なんで。死は戻ってこないということなんですかね。
絶対にどっかに出発してるんですが、どこかわからないんですよ。日々のことなのに。

とにかくhato-yomeさんは死にませんよ。

死があたりまえだと思ってるのは他人の死の経験があるからです。
実際にどんな人も経験しますが、そのどんな人も語ることの出来ない領域です。
「死んだことありますか?」
と誰かに聞けば、頭がおかしいのではと思われるでしょう。

したがってhato-yomeさんが死んだ、と思うのはhato-yomeさんじゃない。hato-yomeさんは思えないのですから、hato-yomeさんは死んだりしないんですよ。死なないんだから怖がる必要は無いんです。

いつ眠るんだろう、その瞬間を見逃さないように小さい頃、時には今でもチ...続きを読む

Q死の恐怖は克服できますか?

40代後半の男です。

この年齢になると体の衰えを強く感じますし、同世代では病気で亡くなる人もいますし、両親も余り長く生きることが出来ないだろうし、死に関して身近に感じる年齢になりました。

正直に言って今が一番、死に対して恐怖心が有ります。

死に対する恐怖心を和らげることは出来ないでしょうか?

死が近くなる高齢者は、年齢を重ねる毎に死の恐怖心が薄くなっていくのでしょうか?

Aベストアンサー

66歳、男子。死を意識しながらも、日常的には元気に暮らしている者です。

他の回答者の方々の意見を拝読しながら、この一義的な出来事にこれほどいろんな考え方があるのに、驚いています。

自分が思うには、「死への恐怖=忌避すべき最大のもの」という意識は本能の一部だと思っています。この本能があるために人類は種(しゅ)として存在しているのは明白です。種の存続のため、個は死を回避する最大の努力を強いられ、苦しみながらも存続しなければならないという宿命を背負っているものだと思っています。

死を回避する個の努力がなかったら、とうの昔に人類は地球上から消滅していまっているでしょう。

誰にとっても死への恐怖はあるものだし、恐怖心があってこそ人間として正常だと思います。死への恐怖心をなくす現象として「ボケる」という生理現象がありますが、そのような死に準ずる状態も忌避するのも本能的なものだと思います。

並行して自殺という行為に就いて考えます。これは個が種に対しての主張だと思っています。個にとって生きることが余りに苦痛である場合、種の意志に対して個が主張し、反抗できる唯一の手段であるのです。多分、他の種にはない行為だと思います。人間に与えられた最終的な「権利」ということになります。

老齢化すると、肉体的に衰え、生きていることに苦痛を覚えるようになった時、生への執着心が薄れれば、死への恐怖も多少相殺されるかも知れません。 それでも人間としての理性がある限り、死への恐怖心はなくならないものだと思っています。

66歳、男子。死を意識しながらも、日常的には元気に暮らしている者です。

他の回答者の方々の意見を拝読しながら、この一義的な出来事にこれほどいろんな考え方があるのに、驚いています。

自分が思うには、「死への恐怖=忌避すべき最大のもの」という意識は本能の一部だと思っています。この本能があるために人類は種(しゅ)として存在しているのは明白です。種の存続のため、個は死を回避する最大の努力を強いられ、苦しみながらも存続しなければならないという宿命を背負っているものだと思っています。

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Q末期癌~死ぬまでの状況を教えてください。 

末期癌~死ぬまでの状況を教えてください。 
末期癌の母は現在ホスピスケアを受けています。
これから母の面倒を見るのは私の役目なのでこれからどうなるのか不安です。

母がすいぞう癌だと宣告されたのはおよそ1年前です。
肝臓にも転移しており既に手遅れでした。
今年の3月頃までは癌だと思えないほど元気な母でしたが
4月頃から急に階段を転げ落ちる様に容態が悪くなってしまいました。
あらゆる箇所の骨に転移し、強い痛みも出てきました。
肺へも転移し、咳がひどいです。
今ではほんの少し動いただけでも息切れがひどく、時々咳き込んで嘔吐してしまいます。
急に食欲もなくなりました。
一日、一日ごとにどんどん体力がなくなり弱くなっていきます。
母はこれからどうなっていくのでしょうか。
苦しみが増しますか? 
意識は最後まであるものですか?
自分でトイレにも行けなくなったらどうすればいいのですか?
この状態で、あとどのくらいと考えていればいいでしょうか。。。

文章がうまくまとまっていなくてすみません。
少しでも心の準備ができればと思います。
宜しくお願いします。

Aベストアンサー

「人はがんでは死なない」という言葉があります。
がんが特別な毒素を出すわけではありません。
では、なぜ、人はがんで死ぬのか?
それは、がんが増殖することで、臓器に様々な障害が起き、
その障害が引き起こす様々な症状によって、死にいたるのです。

様々な症状の一つには、疼痛もあります。
これは、モルヒネなどによりかなりコントロールできるようになってきました。

気管支のがん細胞が増殖して気管支を塞げば、窒息の危険があります。
肝臓のがんが増殖して、肝臓の機能が低下すれば、体内の様々な化学作用
が止ることになり、肝性昏睡などの様々な症状を起こします。
大きな血管にがんができて、血管が破れるということも起きます。
腎臓の機能が低下すれば……
脳の機能が低下すれば……

つまり、がんがどこにあり、その臓器は、どんな仕事をしているのか、
ということです。
何が起きても不思議ではない、ということです。

「苦しみが増しますか?」
軽くなるということはないでしょう。
出てきた苦しみを押さえるということになります。

「意識は最後まであるものですか?」
わかりません。
先に昏睡状態になる場合もありますし、最後まで、意識がはっきりしている
場合もあります。

「自分でトイレにも行けなくなったらどうすればいいのですか?」
状況によりますが、オムツということも考えてください。
尿はカテーテルを留置することになります。

残酷な言い方ですが、何らかの理由で昏睡状態になった場合、
「それを治療して、昏睡から醒めさせて、延命をする」ということを
しないという選択肢もあります。

末期症状は、医師や看護師がよく知っています。
まずは、医師や看護師と相談してください。

「人はがんでは死なない」という言葉があります。
がんが特別な毒素を出すわけではありません。
では、なぜ、人はがんで死ぬのか?
それは、がんが増殖することで、臓器に様々な障害が起き、
その障害が引き起こす様々な症状によって、死にいたるのです。

様々な症状の一つには、疼痛もあります。
これは、モルヒネなどによりかなりコントロールできるようになってきました。

気管支のがん細胞が増殖して気管支を塞げば、窒息の危険があります。
肝臓のがんが増殖して、肝臓の機能が低下すれば、体内の様々な化...続きを読む


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