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仏教的な無常観を背景として、終わりがあるから美しいと考える見方。静寂な無我の境地と妖艶な生命との対比によって生まれる美の様式。

死と隣り合わせの現実を生きる覚悟が見える散り際の美しさ。現実の名利を求めつつ、いつおとずれるかも知れない死に動ずることのない心組を予め定めておくことで生まれるヒロイズムとダンディズム。

生に執着せずに死を選ぶ散華の思想。

とうてい勝てそうもない敵に相対し、自ら華やかで芸術的に戦う態度。死(タナトス)を美しくしようという態度でもある。

 皆さま、どう思いますか?

個人的には死んで責任を取るというのは「正しい責任の取り方」とは思ってません。

A 回答 (14件中1~10件)

どうせ命の桜が散るのなら、どう散りたいのか?という問いが、日本人には違和感なく受け取れる問いですね。

しかし、この問い。。どうせ散るなら、どう散りたいのか? 世界の人々にも身近な問いだと思いますね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

あー桜の散り具合は確かにそれを感じさせますね。

 いずれ散るんですよね。

祖父が認知症で暴力振るいまくったので、家族同意の元、病院の個室で
手足縛られた状態でした。

あれでも、認知症になる前は別に暴力なんて振るわなかったそうです。

ほんとう、もう私も余命の方を考えないといけない年齢ですので。

お礼日時:2022/01/06 18:49

滅びってものに


美意識や学問を付けたとしても

( ̄~ ̄;)自己を正当化してるだけにしか思えないですよ

滅び美学
( ̄~ ̄;)

猫は死ぬ時に、飼い主に姿を見せないように

軒下に隠れて死んだりしたとかね

現代だとマンションなんかが多いから
飼い主に見付からないように
なんてな話は聞かなくなったけど

人間の唱える滅びの美学

猫の死に様に比べたら
まだまだかなわない気がしますよ

武士の切腹ってのは
滅びの美学ってより、儀式みたいな感じがしてて
切腹の仕方も儀礼があり仰向けに死んでしまうと、とんでもない不忠になったとか!

そのために介錯は、切腹するのを待たずして
相手が前屈みになった時点で首を跳ねて
見事、切腹を執り行えたように配慮してたとかって話を聞いて

死んで責任ってより

武士として死ねる儀式だったんだとも思いますよ

将軍様に仕える御身、武士として死ねるのは本懐だったんだとも思えますね

切腹意外だと殉死

明治天皇に仕えた乃木将軍なんかは
殉死することが本人の希望だったんだと思えて

滅びの美学ってよりも

死しても付き従う決意みたいなものを感じてしまいますね

昨今流行ってる、死刑になるために他人を殺すとか!
どうせ死ぬなら、好きなように暴れてやる!

そのような人生観があふれでたりする社会であるからこそ

死ぬことは責任を取る訳ではない

死ぬことはすべてを放棄してるだけである!

このように言い切りたいと思ってて
hgfyさんの言葉にある

正しい責任の取り方とは思えない

まさしくその通りですもんね
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

人間の「死」というのを深く考えさせられますわ。

お礼日時:2022/01/08 17:34

「ラストサムライ」の勝元のラストシーンや忠臣蔵の最期は美しいですね…♪


特に桜の花びらや雪が儚く舞う光景も加わって、日本人の心に響くのだと思います。

でも、自分の命より大切なもののためでなく、ただ勝てそうもない敵を目の前にして、生に執着せず死を選ぶとしたら、ただの負けであって、美しくないと思います。

生まれ変わりやあの世があればいいけれど、長い時の中で一度切りの命なら、できる限り大切に生ききるのが、地球上に生まれたひとつの生命として、自然で美しい姿だと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

そうですね。
美しく生きたいです(もう、遅いかな)

お礼日時:2022/01/08 17:32

ヤフーニュースで”生に執着する日本人”を読みました。

医療従事者の感想です。たくさんついたヤフコメが面白かった。

https://news.yahoo.co.jp/articles/93e36a1f2b9bf4 …

いろいろな事情があるんですね。

散華の思想の最たるものは”葉隠れ”ですが、権力者に都合よく書かれていると思う。決して精神修養の書ではないように感じられる。

今年の大河ドラマの主役が北条義時だそうで、この人は、周りに”散華”を求めて、北条一強を確立した人です。滅ぼしに滅ぼした。時代の変わり目には厳しさが要求されます。あっさりと手を離してはいけません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

生に執着していると言われればそういう側面もあります。

が、同時に手放す(自死)も散見します。

問題は「生」に執着しても「生きる力」を維持することだと思います。

お礼日時:2022/01/08 17:32

美=潔さ



だと、思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

確かにそういう点はありますね^^

お礼日時:2022/01/08 17:29

エロスとタナトスは合わせて、意志、つまり、表象としての世界ではなく、意志としての世界だと思う。



人間が、人間以外と異なる点として、意志としての世界と対決しないといけない。

ショーペンハウエルの哲学から学ぼう。(カントの後に、ね)。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

うほ~、哲学はいまだニーチェで苦しんでおります(笑)

お礼日時:2022/01/08 17:29

来週からTVでアニメ「平家物語」が始まるので楽しみにしています。


わたしは、平知盛の最後の言葉「見るべき程の事をば見つ。今はただ自害せん」が好きです。ジタバタせずに従容として自害する際の言葉として、最高にセンスが良いと思います。800年経っても色褪せない美しさです。

ただし、文学や美学として好きなのですけどね。
滅びの美学は、理屈抜きに感じるものだと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>来週からTVでアニメ「平家物語」が始まるので楽しみにしています。
あら、そんなのがやるんですね^^

お礼日時:2022/01/08 17:28



滅びても、こういうふうに変身できれば、滅びていないといえますか。
精霊変身。

義経はジンギスカンに変身とかは作り話か。

本当なら、滅びの美学ならぬ大変身。

でも、私はイエスは磔になったのは偽物。本物は別にいたという形で生きていたと思っています。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

そうですね^^
変身したいですな。

お礼日時:2022/01/08 17:28

No.1さんの意見に近いですねえ。



人間大概が最後は滅びます 個人としても全体の殆どは

全体主義ではないですが どうせ滅びるならそれまで何をして滅びるか

今でしか間に合わない事もありますよねえ

滅ぶ者としての自覚を持って生きろと言う事でしょう。

ヒロイズムでもダンディズムでも それが役に立つならOKでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

確かに、どうせ滅びるなら美しく生きたいものです。

お礼日時:2022/01/08 17:27

滅ぶことが美しいのではなく滅ぶにも関わらず生きることが美しいのです

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この回答へのお礼

ありがとうございます。

それは言えてますね。

お礼日時:2022/01/08 17:27

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