限定しりとり

例えばES細胞の研究が究極まで進んで、病気や寿命などの生物学的な問題が科学的に解決された後、人は不老不死の技術を手にすることになると思います。生まれた子のDNAを電子情報として保存しておき、成人したときに定期的に細胞の損傷箇所を修復するなどの技術や、自身の臓器のスペアを製造可能になるなどの技術によって、です。
そのとき、人は、例えば1000年生きて自分の人生に飽きたとき自ら死を選ぶのでしょうか(安楽死)。それとも不老不死の技術を持ちながら、それにはできるだけ触れぬように本来のまま生きていこうとするのでしょうか。

A 回答 (11件中1~10件)

死が約束されている現在とは違って、生きることへの意識が薄れていったとき


人は何を考えるんでしょうかね。
実際、その立場にならないと分からないのですが、、
僕も質問者様がおっしゃるように
二通りの方向性が見えてくると思います。

死を選ぶ場合:
1000年生きて自分に飽きたからといって死を選ぶ人は、今とそれほど変わらないと思います。
それとは別に、死への興味を持つ人が多くなって、死を選ぶ人が今の世の中より増えるのではないかと思います。

生死に触れぬように本来のまま生きていこうとする場合:
脳の容量にも制限がなくなった場合、身体感覚以外に自分自身をユニークだと感じることが出来なくなって
意思とか、生命力?と言ったものが無くなって行くんだと思います。
テクノライズというアニメに、こちらのパターンの行き着いた先が一部描かれています。
その中に「ただ安楽に人という種が黄昏て行くのをじっと待つだけ」というセリフが
あったのですが、ちょっと抽象できですけれど、しっくり来るとおもます。

上記2パターンは個人の意思の問題ですが、
人間という種の全体の流れを考えると、個人がどう思おうが、
生死を強制させられることになるのかもしれません。
1000歳までしか生きてはいけない法律ができるかもしれませんし、
カルト集団が凶行を起こす確立が増えるかもしれません。。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
結局、科学が目指すものは、不自由なものをすべて操作可能な物に置き換えること、なのでしょうかね。

お礼日時:2006/04/15 19:52

おそらく、あなたの質問は実施されていると思います。



その結果が今 行われている、
「約80年で肉体は滅び、記憶は一時リセットされる」行為
だと思います。

あなたの質問ができる世界になったら、
何千年も生きた意識を持ち続けるのもタイクツなモノ、
もう生き続けるのもメンドウだと考えるでしょう。
だったらメリハリをつけよう、と考えられ
それが、「生」と「死」になる。
というのが、結論だと思います。

「死」はランダムなタイミングでくるようにプログラムされるでしょうね。
そして計画的な「生」で再生すると思います。
その時も、以前の記憶はリセットされてた方が、
わくわくドキドキ出来る人生になるんじゃないですか?
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まず生存期間が、物理的な時間尺度で80年から1億年になったとしても、心理的な時間尺度で80年のままだったら、あまり意味がないと思います。



心理的な時間尺度では、それまでにどれだけのことをやってきたかによると思います。

だから、プロフェッショナルな道に進む人が現れるかもしれません。宇宙を探究したり技を磨いたりするでしょう。

しかし、ある程度のことがわかってしまい、特に何の進展もなくなってしまったとき、(それはある意味でパラダイスですが)人生に飽きる人が現れるでしょう。そして、記憶を喪失させる機械を使って、新たな人生を歩むようになるかもしれません。そして、その記憶喪失を繰り返すことでしょう。その周期は80年くらいになるかもしれません。
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この回答へのお礼

記憶をわざわざ削るなんてすごいですね。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2006/04/15 19:55

そこまでくると生と死の意味が今と違ってくるのでしょうね。


一つ肉体が連続して維持されている間が一つの人生だったものが、
ひょっとしたら不連続であっても一人の人生として扱われたり、あるいは途中からDNAが書き換わったりしても、一人の人生として扱われたり・・ひょっとしたら人の死は肉体の死ではないと結論されてきたりしたり・・
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人間が生まれてから、ある時点で不老不死になるということは、たとえば、二十歳から不老不死にするということだとすれば、二十歳までは、不老不死ではないということになる。


仮に、二十歳から不老不死になったとしても、物理的な限界は必ずあるから、たとえば、事故で死ぬということもある。その場合でも不老不死にするには、細胞に生きていたときの記憶を保存する必要がある。
生命が物質的な限界によってその限界を規定されていれば、不老不死は、その限界内で可能だと思われる。つまり、不老不死が物質的に不可能ならば、不可能だということである。
しかし、単純に不老不死を考えれば、人は、まさに生きたいがためにそれを解釈するということは当然だと思う。
始まりがあるものはすべて終わりがある。物質にもそれが言える場合、物質からできている人間は、どうやってその限界を突破するかである。
とはいえ、百年は人間には長いが、地球や宇宙の時間からすれば一瞬かもしれない――しかし、生命は生命を継ぐところに単なる物質との違いがある。
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>そのとき、人は、例えば1000年生きて自分の人生に飽きたとき自ら死を選ぶのでしょうか(安楽死)。

それとも不老不死の技術を持ちながら、それにはできるだけ触れぬように本来のまま生きていこうとするのでしょうか。
真の不老不死なら安楽死すらできないと思います。
もし安楽死ができる不老不死なら人間は殺しあうかもしれません。
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1000年生きなくても今現在死を選ぶ人はいるでしょう。

だから特別な問題が起こるとは思いません。

不老不死だとわかるのはどのようにしてでしょうか?1000年生きたからといって翌日も生きている保証はどこにもありません。

この回答への補足

回答ありがとうございます。
老いを感じない、ということで人は自身が不老であることを知り、事故が起こらない限り死なないことを知ると思います。その状態で1000年生きた後、さらに100万年、1億年生きることが可能であると分かったとき、人の生き様は変わるだろうか、ということです。

補足日時:2006/04/14 19:35
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人間の脳(精神)の容量と関係があると思います。


hayakawa806さんがおっしゃっているように。

何年くらいで生きることに飽きるのでしょうかね。
世の中全体では、「今の平均寿命以上には生きたい」となると思います。

この回答への補足

回答ありがとうございます。
脳の制限についても解決済みと仮定して考えたいです。
例えば脳以外に外部接続可能な個人の記憶媒体(人工ニューロンネットワーク)が開発されて、個人で使うにはほぼ無尽蔵な記憶容量がある、として。

想定している世界は、つまり、現代の生物学的な制約が科学によって完全に取り払われた世界で、人の生き様は変わるかどうかを考えてみたいんです。

補足日時:2006/04/13 23:12
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ずいぶん昔に、不老不死の技術を開発した人がいます。


旧約聖書創世記で、「われわれにかたどって人をつくり」と地球人をつくり、アダムたちが「やがては命の木(生命科学)からも採って食べ、永遠に生きることのないようにしなければならない」 と言って、エデンという場所にあった遺伝子操作実験場から追放したヤーウェ(別称アラー) という人です。

彼らの惑星(天国)では、一般人は寿命は約1000年限り と決められているそうです。(多くの人はそれで納得 とのこと。なお、労働の必要はなく、好き勝手に暮らすことが認められています。)
ただ、文明に多大な貢献した数名/年の者は 永遠に生きる権利が与えられるそうです。マリアを眠らせて、ヤーウェの精子で人工授精させて生まれたキリストという人も死後再生されて(イースター)今も生きているそうです。
(地球人の命は創世記で120年が限界 と決められていますね)
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可能になれば国家単位で人口増加を規制する法律ができるんでしょうが。

それはおくとして・・

質問はES細胞で身体はおろか脳細胞まで再生する技術を持った時個人個人はどう生きるかっていう質問ですよね?(記憶の問題はややこしいのでこの際は除外)

現在その技術があると仮定してですが私も不老不死の身体を手に入れますね一応。

そのあと数百年か数千年かいきてみて考えるんでしょうね。ただサンプルがない(当然ですが)ので超高年齢になったとき人間の精神がどうなるか。
例えばニートみたいな生活は当然できません。永遠に働かなきゃいけません。身体の維持に相当費用がかかりようですし。年金も当然なくなるでしょうね(笑)

「この先も永遠に働くのか・・」
200年も働いたら飽きる気がします。
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