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志村けんて、日々コントを考えて努力を惜しまなかったなどと言われていますが、大半がドリフのコントを演者を変えてやっているだけですよね?
もちろんだいじょうぶだぁでやっていた「シリアス無言劇」や、デシ男などのキャラクターコントはオリジナルでありますが、それにしたってそんなに考え込まないとできませんか?
単純なコントなのに。

A 回答 (3件)

格闘家が違う団体にいって、そこがルールと定めるやりかたに合わせる


その微調整のむずかしさとかはあるかもしれませんね
スポンサーがちがうだけで要望される内容も、繊細な部分が違ってくるのは結構大きいんじゃない。ゲストにあわせて同じようなコントでも事務所の関係やいじりかたで調整しないといけない。

戦い方のベースはおなじでも、視聴者・スポンサー、テレビ局、うまく倒すまでの段取りで予想できる障害を幾つか用意しておいたり、急な変更でそれがつかえなくなったり、・・見えない気遣いは大変な部分はあるでしょうね。そうしたもろもろを含めて努力と表現してるのかな
(間のとりかたとか反射的にでちゃうくらいの習慣になっていたろうし)
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自分にはあのクオリティのコントは現世ではもう見られないと思っていますよ。

ネタやクオリティだけでなくアドリブや間の取り方とか絶妙でネタを作り込んだ結果だというのも納得します。

前にドリフのコントを今の芸人たちが再演しましたが、あまりにも低いクオリティ過ぎて全然面白くなかったんですよね。単純なコントなのにね…日舞とか落語と同じで同じ行動をしたからと言って所作までが全て同じに出来ないから小さな雑さが美観や面白味を損なうって事が素人には分からないものなんでしょうね…流石に芸人たちのクオリティは色々な意味で笑えない…と思ってしまったわけですが。
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演者には生みの苦労があるけれど


評論家には後付けの感想しかないんです。
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