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昔の年金制度がなかった時代の子無し夫婦はどうやって老後の生活を謳歌してたんですか?

A 回答 (9件)

せっせと貯金です。



昔の日本の貯蓄率は世界でも
有数の高さでした。

その他は、一族てのがありまして
互いに助け合っていました。

江戸時代などは、近所が助けて
いました。

福祉が発達すると、孤独になる
訳です。
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昔は子供10人くらいいて上納させていた

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子無し夫婦なら妻は離縁されて実家で暮らすか、一人で生きて死んでいったのでは?


昔は戸主制度のため長男以外は跡取りになれず結婚して出て行った。
俗に言う分家。
分家できない、一人で生きていけない者は戸主と暮らして生きていった。
小さな集落なら親戚同士での結婚もよくある話で、戸主の戸籍に兄弟姉妹、従兄弟なとも多くぶら下がっていた。
昔は分散してしまうと生きていけないからね。
戸主にとっても同居する人間が多いとデメリットよりもメリットが大きい。

あと、庶民の寿命は今ほど長くない。
江戸時代で庶民の平均寿命は40歳前後、
明治・大正時代でも50歳には届かない。
名のある武将が60歳とか70歳まで生きた、は、飢餓が無いため。
庶民を殺して食い物を奪えば済む。
宵越しの銭は持たない、老後の銭は要らない。
今のような老後は存在しない。
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ほとんどの人は謳歌なんかしていません。


死ぬまで働いていました。

病気などで寝込んだ場合は、今ほど医学(医療)が発達していませんので
間もなく死亡しました。
食べ物が入手できなくて餓死する事も少なくなかった。

これらを少しでも改善しようとしたのが年金制度です。
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厚生年金制度が開始されたのは第二次大戦中、その頃の平均寿命は50歳代。


今みたいに長生きしていない。
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↓は公的年金の歴史についての紹介ページですが、ご質問者様はどの程度昔のことを言われているのでしょうか?


 https://www.mhlw.go.jp/stf/nenkin_shikumi_04.html

まあ~簡単に言えば
1 定年という概念は文明開化で西洋から強要された考え。江戸時代は「生涯現役」であり、奉公人がのれん分けしてもらえるのも60歳を過ぎてからというのがザラだと聞いておりますので、『長屋のご隠居』なんていうのは、何らかの小銭をコツコツと貯めた人ですね。
2 近代においては『家制度』により親戚[本家]が面倒を見てくれるが、 
自分の口は自分の稼ぎでしのがないと肩身は狭い思いをするので、謳歌なんてできない。
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昔がどのレベルかにもよりますが、戦前くらいまでならそもそも世の中の公衆衛生が発達してなかったのでほとんどの貧しい人が病気でなくなってます。

病気で働けなくなったら飯も十分にありつけないので、乞食みたいなことや近所のお裾分けで凌ぐしかありませんが、栄養失調でなくなるだけでしょう。

今の北朝鮮の田舎と同じような境遇でしょうが、ぶっちゃけ飢えてなくなる人も沢山時代に子なしだとかそんなことで差別化してどうこうなんてことはなかったはずです。明日何を食べて生きるかが全てで、ぶっちゃけ沢山いる家族や人生の1人2人なくなるのなんて当たり前ですから。
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回答No.1にように昔は子だくさんで、子供に世話になっていたんですよ。



私の母方の祖父は(子供が女ばかりでしたので)子供の世話になれず、生活費があまりかからず自給自足しやすい田舎に行きました。
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昔はどこも大家族で、子無しは珍しく、親戚からもらっても育てたものです。

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