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よくハードボイルドな作品で「死に場所を探している」という台詞がありますが、どういう心理なのでしょうか?
だいたいは凄腕の戦士で、昔大切な人を喪った経験があるイメージです。
例えば妻を殺されたガンマンだとして、復讐も終わり、でもこれから生きる理由や目的もなく、賞金稼ぎをしながら放浪の旅を続けている。
正直、生きる気力がなければ自分で死ぬこともできると思いますが、そうはしないのは何故なのか。
以前、有名な心理学の先生が分析していたのを観たことがあるのですが、詳しいことを忘れてしまいました。
わかる方、教えてください。

A 回答 (4件)

死ぬべき場所、例えば後世に名を残すような人生のハイライトとでも云うべき名場面で死なずに生きてしまった。



そんな人物がいたとして、同じようなハイライト場面を求めて人生をさすらう。
そういうことではないでしょうか。

ある意味、非常に名誉や体面を重視するタイプの人なのでしょう。

革命を成し遂げたが政府の方針は志と違った西郷隆盛。彼は死に場所を求めて決死の覚悟で征韓論で盛り上がった連中を抑えようと朝鮮に渡る覚悟だったが失敗。
鹿児島に帰って地元に尽くすことで一旦は人生を閉じようとした西郷隆盛だったが、最後は血気にはやる信奉者たちの打倒政府集団に身を委ね、神輿に担がれたまま、本人は黙って死んでいった。これも死に場所を求めた類型のひとつだろうか。

その西郷軍団に熊本城を攻められた際に軍旗を失った乃木希典。責任を取って自決しようとしたが明治天皇の制止を受けて死に場所を失った。
その後旅順攻囲戦では乃木が指揮する第三軍が日露戦争最大の死者を出した。その責任を痛感した乃木は生きて帰国する意志はなく、この戦いで自分も戦死しようと思っていた節がある。
奉天大会戦では乃木の第三軍が崩壊寸前まで追い込まれながら猛進を続けたことが勝利をもたらすことになった。
しかし、乃木はここでも死ねなかった。帰国を拒み続けたが、明治天皇に復命せよとの命令で結局帰国に追い込まれた。
乃木は他の将軍たちよりも盛大な歓迎を受けたが、歓迎会はすべて断り、明治天皇への報告も詫びるばかりで、ここでも戦勝は他の人の功績で自分は多くの将兵を死なせた責任を取って自決したいと涙ながらの報告となった。もちろん明治天皇は自決を押し止めている。その後の乃木は多くの時間を戦死者の家族への巡礼の旅に割いている。
そして乃木は明治天皇崩御を受けて大喪の礼の日に自決した。多くの人は殉死と言うが、殉死ではなく、自決を止めていた明治天皇が崩御したので、ようやく責任を取れると思ったのだろう。そして死に場所を明治天皇の大喪の礼の日にした。

死に場所を求める心理にはいろいろあるだろう。とはいえ、冒頭に書いたようなケースが代表的なモノではないだろうか。
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ニヒリスト武芸者と同じです。


机龍之介や眠狂四郎みたいな感じです。
自分の腕には絶対的自信があるけど、それを生かしてどうこうしようという意志も意欲もない。ただ刹那的に悪人も善人も関係なく人を殺して生きている。積極的に死ぬ気もないけど生きる気力もない。ただダラダラ取りあえず生きているだけ。
桃太郎侍や旗本退屈男みたいに快楽主義的刹那的生活はするけど社会規範や道徳は守ろうとするのとは正反対で、社会そのものや自分自身の出自や運命を呪っているんです。
吉田拓郎の「私は今日まで生きてみました」は「しがみついたり」とか生きることへの肯定だけど、彼らは「今日も死なずに生きてしまった」という消極的な「生きてみました」なんです。
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殺されるんじゃない死に方をしたいんでしょう。


それも、できれば意味のある死に方。
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「さて、これからどういう生き方をしたらいいのか」


ということでしょう

心理学の先生の分析と言っても
それはその先生の考えで
それが正しいとは限りません
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