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僕は、付き合った女性の名前が呼べませんでした。恥ずかしかったのか?年上だったからか?当時はわかりませんでしたが、別れた今、思うと「好きじゃなかった、愛を感じれなかった、イメージと違った、兄弟感覚になってしまった」のだと思います。どなたか、この様な自分の心理を理解して下さる方いらっしゃいませんか?アドバイスをお願い致します。

A 回答 (4件)

自己愛が足りないのだと思います。

自己愛はあるのだけど、その量が足りないし、質が低い。

交際相手の名前を呼べなかったり、義母さんであったり義父さんであったりに、それに相応しい声かけができないのって、一見すると、ガードが固い人、相手との距離感がある人、つまり自分を守ってる人、というように受け取れるかも知れませんが、相手への態度というのは、結局は、自分への態度と同じなのです。

恋人への態度や他人への態度って、関係性や愛情の質や量によって変わるのかというと、あまりそういうことはなく、他者への態度というのは、自分自身に対して何が相応しいと自分自身が思っているかで、変わるのですね。

あなたにとって、自分自身が、誰かと親密であることを相応しいと思っていないのならば、どんなにそこに愛情関係があっても、そういう態度でいられないのですよ。

自分の恋人や、配偶者や、家族をけなす人っていますよね。そういう人というのは、相手への不満が大きいからそうなる、というよりも、自分自身を卑下して、そうなっているんですね。
自分が持てるものなんて、大したものの筈がない、こんな足らずのものばかりだ、と卑下してるから、自分のパーソナリティに関係する人達への態度も、そうなると。

人って、自分自身にとって相応しい態度を、相手にも向けてしまうものなのですよ。

愛されることが、自分自身にとって相応しいと、心から思える人は、相手がどんな人であるかによらず、相手に愛情を与えることができるし。
尊重されることが、自分自身にとって相応しいと、心から思える思える人は、相手によらず、他者を尊重するんですよ。

こんな自分と、自分を卑下してしまうと人にとっては、相手がどんな風であれ、どんな関係性であれ、「こんな相手」なのですよ。自分には、より良いものが相応しいと思えないので、それに相応しい程度のものとして、他者を扱うのです。

ですので、自分へのイメージが、より良いものになれば、その分だけ、他者との関係もより良いものに変化すると。
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『めぞん一刻』の一場面。



ある事情で九条さんと結婚した三鷹さん
しかし本命の響子さんへの思いも整理しきれない。
九条さんにその心の内を見透かされ当惑されてしまう。

無理をして励まそうとする九条さんに三鷹さんは言った。
「お互い無理はやめましょう。ゆっくり、ゆっくり幸せになりましょう。ぼくたち、これからずっと一緒なんだから」
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お付き合いされた女性とあなたは、気持ちを一体化させるという事に何某かの不安があったのだと思います。

そこ事にご自分で気付かなかっただけです。気付かなかったその不安が別れた今想うと、好きじゃ無かった、愛を感じられなかった、と言う距離感をもって当時の彼女を観ることで、うまく行かなかったことを正当化しているのです。

この正当化は、決してマイナスのイメージではありません。異性を好きになるという事はどういう事なのか、愛を感じるとはどういう気持ちになる事なのかを示唆してくれます。要するにあなたを前向きな考えに導いてくれる距離感です。
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思考や考え方に強いこだわりや偏りがあるからです。



精神科のカウンセリングの
トレーニングでマシにはなります。
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この回答へのお礼

おっしゃる通りだと思います、ありがとうございました

お礼日時:2022/03/30 15:33

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