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仏像を見ると髪の毛があるものが多いのですが、ブッダが存命中の釈迦教団では剃髪する習慣はなかったのでしょうか?

A 回答 (3件)

あったけれども仏像はそのままの姿を描いてるわけではないし


いろいろなことを分かりやすく伝えるためのデザインというのがあります

如来のぶつぶつヘアーは
悟りを開くと毛があのように巻くという現れが起こるというのを
形にしています

菩薩、天、明王などランクによって髪型がある程度決まってくるし
逆にそれぞれの特徴からわかるようになっています

着衣や装飾品も下へいくほど派手で
上へいくほど簡素になるなど
記号的な部分があるので
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https://buddha.pink/buddhas-manga/66/
聖求経
修行僧たちよ、その後、わたしはまだ年若く、黒々とした髪をし、すばらしい青春にその人生の初期に、母と父は望まず、顔に涙を浮かべて泣いているにもかかわらず、髪とひげを剃りおとし、黄色の衣をまとい、在家から家なき状態へと出家しました。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk1952/23/ …
ミリンダパンハに、婆羅門の子ナーガセーナに剃髪の理由を尋ねられた仏僧ローハナの回答がある。「少年よ、出家した者はこれら十六の<出家生活にとつての>障璋を見てとつて髪や髪を剃るのです。十六とは何か。①飾りたてる障碍、②美しく装う障碍、③油を塗る障碍、④髪を洗う障碍、⑤花飾りをつける障碍、⑥香料を使う障碍、⑦香を塗る障碍、⑧カリロクの乾いた実のごとくになる障碍、⑨アマロクの乾いた実のごとくになる障碍、⑩染色する障碍、⑪髪を結う障碍、⑫櫛ですく障碍、⑬調髪に行く障碍、⑭髪を解く障碍、⑮虱の発生する障碍、⑯毛髪が抜けたとき嘆き悩み悲しみ胸をうつて泣き困惑を生ずる障碍である。」
この文によると、髪があれば髪の手入れをせねばならず、また髪を飾ろうという欲望も生ずるかもしれないかち、髪は修行のさまたげになるということが剃髪の理由になつていたことがわかる。
他の文献はその根本精神をもつと簡潔にいい表わしている。毘尼母経の「剃髪する所以は橋慢にして自ら侍む心を除かんが為の故なり」や大智度論の「我れ頭を剃り、染衣を着し、鉢を持して乞食す。此れは是れ僑慢を破するの法なり」がそれである。サンチーの彫刻には、頭髪を複雑に結い、髪飾りをつけた人々の様子が見られるから、実際、頭髪は虚栄の道具となつていたことがわかる。仏伝の中には、剃髪の行為と同時に装飾品を取り除く行為を描くものもある。落髪を煩悩の除去と関係させる経もある。
以上、剃髪は世俗的生活との決別を意味するとされていたことが明かであり、それはべつに意外ではない。

三 インドにおける剃髪のはじまり
パーリ律蔵には出家せしめ具足戒を授くるにあたつて始めに髪髪を剃ることが仏陀によつて規定されている。
しかし、剃髪は仏陀が創始したものということはできない。
たとえば、五分律の四門出遊の記事に、悉達多が一人の剃髪した出家に出あつたとある。
また、仏教より早く始まつたとされるジャイナ教にも抜毛や剃髪がある。カルパスートラによるとマハーヴィーラは「頭髪を毟りとりその家を捨てて無住の境に入つた。」「この無憂樹の下にて彼れはその乗物を止めしめ、乗物より降り、手つから装飾、花環、美服をとりすて、手つから五つ撰み程頭髪を雀り去りたり。」 弟子たちはどうかというと、「ジャイナ教の入門式では衣服と装飾品を捨てること、髪を剃ること、新しい名を貰うこと、誓いをたてることから成り、髪を剃る代りに髪を五つかみ毟りとることもある。」ムーラーチャーラでは抜毛が二十八の徳の一にあげられている。ジャイナ教では剃髪は新しい時代の便宜的手段らしく、雀る行為が本来的のようで、これには仏教の剃髪にない苦行の意味がこめられているらしい。

四 仏陀自身剃髪したか
先にあげたスッタニパータの文章は仏陀が剃髪したことを示し、また仏伝の多くが仏陀が自らまたは剃髪師を呼んで髪をきつた乃至剃つたと記している。一方、仏像をみると、例外なく髪がある。仏陀の相とされる三十二相の中に「一々の毛髪は右旋す」があり、八十種好の中には「頭髪は蜂の如し」「頭髪濃密なり」「髪轍軟なり」「頭髪乱れず」「頭髪粗籟ならず」「頭髪の香複郁たり」があつて、仏陀に頭髪があつたことを示している。
この矛盾についてセイロンの僧侶(Vijitha師)の意見を聞いてみた。師即答していわく、仏陀は出家したとき王子として長い髪や装飾品をつけていたが、持ちあわせていた刀で髪を切つた。剃髪の道具は持つていなかつた。その後、髪はそれ以上のびなかつた。従つて仏陀には若干の髪が残つているのであると。
この考えを示す句は経典にもあり、仏像に髪がみられるのは剃髪の規則と少しも矛盾しないということになる。四分律には二指または二ヶ月だけは髪がのびてもよいことになつており、摩詞僧舐律によれば四ヶ月に一度そつてもよいらしく仏像の髪の長さはその範囲を超えていないというのかもしれない。
それにしても、仏像の髪は長すぎる。これでは仏陀をmundaka(剃髪)と罵る言葉に現実性がない。仏像の髪型は恐らく婆羅門のそれを表わしたもので、もし仏陀が剃髪していたことに誤りがなければ、これは仏像製作者が造型的表現を誤つたことを示す。八十種好の髪に関する条項はこの誤つた表現に基
いて案出されたものということになる。
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釈迦も剃髪していました


しかし二か月もしくは四か月に一度切れば良いので
少し残っていてもいいのです

仏像はガンダーラから始まり、西域、中国、朝鮮そして
日本へと仏教の東漸とともに仏像も変化・発展してきて
現在の美しい形になりました。
髪の長さは作者の意向が反映されています。

剃髪は修行の妨げになるため、煩わしさを無くすためです
髪があると、装いを整えたり、洗ったり、香料や油を塗ったり、
髪が抜けて悩んだ、十六の煩わしがある、とされています
それを除くためです。

余談ですが、ギリシャにおいては、清潔を保つために剃髪したり
キリスト教においても円形状に残して切る、特徴的なのを
よく見ます
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