アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

岩波文庫など、昔の本が出版されています。
昔の本は、なかなか難解だと言われます。

これは、現代人が当時の人より劣っているためですか?
それとも、翻訳がいまいちのせいでしょうか?
・・・それとも、両方?

今、難解だと思われている書物の時代から数十年前、
その数十年前の書物を、当時の人も難解だと感じたりしてましたか?

ただ、主に使う言語が食い違ってるため、取り入れにくいとかではないですか?

現代の書物も、数十年後は難解だと言われたりするのでしょうか?

この辺を詳しい方に意見をお聞きしたいと思いました。
よろしくお願いいたします。

A 回答 (4件)

いろんな要素が考えられるかと思います。



一番単純な話として、現代と文化や言葉遣いが違う。
旧仮名は古本じゃない限りさすがにもう無いでしょうけど、そうじゃなくても、現代ではもうほぼ使われてない用語が出てきたり、当時の人には簡単に察せられる言い回しが現代人には意味不明だったりします。
例えば、現代の若者~中年の日本人は「草生えるw」と言われたら、だいたい意味は分かります。
でも、この言葉(使い方)が廃れた後に読んだ人はどう思うでしょうか。
「え、急に何故、草の話になったの?植物の話なんかしてたっけ?草が・・・生える。で、ダブリュー・・・。え?何?」ですよね。
その当時の習俗の知識が無いと、意味が読み取れないわけです。

「昔の本は」と一口に言っても、現代にもお堅いものもあれば笑えるものもあるように、昔にも大衆向けの俗なものはありました。
ですが、そういったものはとっくに絶版になって、現代まで残ってない。
今、「昔の本」と言った時には、ほぼお堅い系の本しかないから、「昔の本は難解なものばかり」になってしまうわけですね。

安保闘争とかやってた頃は、「難解なことを語れるヤツはカッコイイ」という雰囲気があったそうです。
それこそ、岩波系とか、哲学書を、意味が分からないながらに読んで、なんかそれっぽく語り合う。
そういうのが「大学生」だった。
今は、ヘタに哲学とか語ると遠巻きにされちゃう雰囲気なので、無理に背伸びして難解な書物を読むことがなくなった、ということもあると思います。

翻訳物に関しては、昔と今で翻訳する人や考え方が違う、という点もあります。
昔は、翻訳は主に翻訳専門の人が担っていて、その人たちは文筆家や小説家ではありません。その言語に詳しい人、その国の文化に詳しい人、というだけ。
なので、訳した文章の読み心地は微妙なことも多かったです。
今は、自分でも日本語で小説を書いている人が翻訳したりすることも多くなってきて(村上春樹など)、訳した後の文章が洗練されてきています。

・・・というようなことが絡み合って、「昔の本は難解」なのだと思います。
    • good
    • 0

昔の本と言っても


いろいろあります

とくに
岩波の翻訳モノは
わかりやすくではなく
直訳が基本です

この直訳本というのは
専門家の中でも評判が悪い

日本の本でも
岩波でなくても
難解と言われる本は
読む人の頭が悪いのではなく
それを書いた人の頭が悪いと考えた方が
よろしい

この人
自分でも本当にわかっているのかな?という本は
たくさんあります

大学の教授という人でも
頭の悪人はたくさんいます

この人の授業を
本当に学校で
受けているのかなあという人もいます

専門分野の本でなければ
数十年後くらいなら
読めないということはないでしょう

問題は
その当時の人の気持ちになって読まなければ
理解できないことはあるでしょうね
    • good
    • 0

日本人作者のものでも、そのままだと暗号に近いレベルの難解さです。

日本語の変化が大きいです。
海外の作品は、翻訳しなおしたりしています。翻訳者の力量が大きく影響するみたいです。

夏目漱石をリアルタイムで読んでた人たちの印象と、今、赤川次郎なんかを読んでる感覚、同じレベルではないでしょうか。
数十年後、現代の読み物のうち、生き残ってるのはごくわずかでしょうね。
    • good
    • 0

確実に言える事は現代の人間は昔の人よりアホになっています

    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!