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大人は子供を持つと夢を諦められますよね?「でも子供のためだし...」ってな感じで。
でもそれって穿った目で見ると、「子供のせいで...」と見えるんですよ。つまり大人は皆夢を諦める口実が欲しいのかな... なんて思うんです。夢を諦められなくて苦しいから、無意識に子供を口実に使ってしまうのかなと。
僕の考えってどうなんでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • 夢っていうのは、一般的に叶う可能性が低いモノ。
    しっかり頑張れば叶う可能性が十分あるのが目標
    って感じで考えてます

      補足日時:2023/02/19 19:51

A 回答 (15件中1~10件)

またまた間が空いてすみません。

閉じずに待っていて下さってありがとうございます。

>天才になってみたい 物語の主人公みたいな人生を歩んでみたい。なんてちょっとだけ思ったりするんですよ でもそんな事を考えて空想してる時点でもう悲しいくらい凡人なのですよ。

これ、私もよく思います(笑)。最近はなろう小説発の異世界転生ものが溢れてますけど、あれなんかまさにそうですよね。あれ人気があるのは、現代社会からの死亡、転生というステップを最初に入れることで、凡庸な自分(読者)と、英雄になったりハーレムの主になったりする主人公を無理なく繋げるからだと思います。

余談ですけど、イスラームの天国では、豊かな果物が無限に生る楽園で、永遠の乙女たちを配偶者として苦しみのない世界を生き続けるんだそうです。無双して簡単に美少女にべた惚れされて、ハーレムを築く異世界転生の世界とよく似てますね。案外あれは疑似宗教として機能しているのかも知れない、と思ったりします。

あんなものが流行ってしまうくらい、みんな凡人なんです。

あ、そういえば、異世界転生とよくセットで出てくるのが「スローライフ」ですね。もし「夢」が誰しも憧れるべきものなら、「異世界転生して無双して夢を叶える」ばっかりで良さそうなものですけど、何故か「スローライフ」。「ご大層な夢なんか持たないで森の中で暮らしたい」などなどですね。これがメディアにガンガン上がってきてるんだから、たぶんサロメだよさんの仰る「夢を持つのが偉い」的な価値観って、もう虫の息じゃないですか?夢を持たない主人公の物語が積極的に読まれる時代なわけですから。

物語の主人公といっても、三国志の曹操のような大スペクタクルの主人公もいれば、カフェや古書店のレジ前に座って些末な謎を解くタイプの主人公もいます。最近、人が死なないミステリも多いですね。

読むのはどちらも好きですが、前者の主人公っぽく生きるのはちょっと無理ですから、物語の主人公のような経験をするなら後者のほうでしょうか。後者のほうなら、私もちょっとした謎解きくらいは何度かやったことがあります。というか、今の仕事は顧客の課題解決なので、仕事が専門知識を使った謎解きみたいなもんですね。

これはこれで、物語として語ったら(機密情報があるから語れませんけど)それなりに面白いと思います。

サロメだよさん、色々な質問をよく投げられていますけど、あれは一つの才能だと思いますよ。疑問を持てる才能、あと、サロメだよさんの質問に特徴的なのは、ほとんどの場合「自分の意見」が書かれていることです。だから回答しやすいんですね。

私も随分長々と回答を書いていますけど、これ、私が知っていることを勝手につらつら書いているわけじゃなくて、サロメだよさんが引き出しているんです。まあ、私だとこんなもんですが、もっと賢い人から引っ張り出せば、もっと色々なものが出てきます。
私にも何人か心当たりがありますが、世の中には、ある分野についてその人の話を聞くことが出来ただけで大きなアドバンテージになる、というくらいの含蓄を持つ人間も、数は少ないですが確実にいます。
そういうものを引き出す力は、サロメだよさんには人よりもあるんじゃないかと思います。

だから、個人的には

>こうやって質問サイトに色々投げかけてみたりしても何も変わらないですよね。

そう思ってしまうのはちょっともったいないかも知れない、と思います。
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この回答へのお礼

つまらない人生が確定してしまっているのに生きていくのは辛いですね。でもいくら絶望しても人生は何事もなかったかのように続いていきますから、嘘だとしても希望を持っているふりをして生きるべきなんでしょうね。凡人は幸せなふりをする事でしか幸せを得られないのでしょうかね。だとしたら僕は幸せのふりをする訓練から始めていかないといけません

お礼日時:2023/02/23 17:10

お返事遅くなってすみません。


後ろの方から考えてみます。

>ですが夢を半端にしか追えなかった者、早々に捨てた者、頑張ったのに結果を残せなかった者、これらの人の「物語」なんて誰が読みたいですか?

そんな話は本屋にたくさん転がっていて、わざわざお金を出して買って読む人、いっぱいいるじゃないですか。取るに足りない凡人の話。道を踏み外した外道の話。くだらない与太者の話。落語なんてもう、凡人とダメ人間のオンパレードです。本屋に伝記と英雄物語ばかりが並んでいるわけでは全然ないです。私は伝記も戦記も好きですが、天才も英雄も出て来ない群像劇も読んでいて楽しいですよ。

>僕らは一部の人以外には馬鹿馬鹿しいと感じる競争を強いられてるんですよ。恋愛などもそうだし、夢もそうですよ。

恋愛はそうですね。受験は他人を一切顧みなくてもできる(要するに試験で点を取れるかどうかの問題でしかない)ので、私はあまり競争とは思わなかったんですが(でも第一志望落ちた)、恋愛は他人を顧みないと出来ないので、競争にならざるを得ないです。狙う相手が決まったら、席はひとつしかないですしね。夢はどうだろう……。ものによりますね。他人と競争しないとダメなものも、競争しない方がいいものもあると思います。「金メダリストになりたい」「世界一の菓子職人になりたい」はまあ、競争しないとダメでしょうけど、「美味しいパンを食わせる店をやりたい」は競争するより、競合が少ない場所を選んでやった方がいいんじゃないかな……。


話していて思ったんですけど、サロメだよさん、凄く真面目ですよね。
価値観の合わない私の話にもちゃんと付き合ってくれますし。

私は、すごく申し訳ないんですけど、前のコメントに書いた「普通の価値観に潰される人間を見るのがあんまり好きじゃない」というの、もっと言えば、「普通の価値観を押し付けてくる人間は全員バカ」だと思っているんです。なので、彼らが「競争競争」と言ったところで、そんなもの犬が吠えているのと大差ないんですよ。たくさんいるし、不用意に近づくと噛まれるかも知れない、という意味で怖いは怖いんですけど、対等の人間として怖いわけじゃないんです。そういう意味では、きちんと考えて言葉を返してくるサロメだよさんの方が、「私の価値観を変え得るかも知れない」という意味でずっと怖いです。

言い方を変えると、「普通の価値観」、例えば「世の中は競争だ、いい大学に行かないやつはダメだ、一流企業に行かないとダメだ、恋愛も結婚もしない奴はダメだ」という価値観を論破したり、それを声高に言う人を黙らせたりする方法はいくらでもあります。でも、サロメだよさんがコメントの最初に書かれている、

>虚しいんですよね何か。

これを論破したり、黙らせたりする術は、私は持っていません。「私はそう思わない」と言ってみたり、そうでない価値観を提示してみたりはできますけどね。それは「私は虚しくない」であって、「あなたの虚しさは間違っている」ではないんです。


最初に戻って、

>これらの人の「物語」なんて誰が読みたいですか?読むに値する面白い人生なんてごく一部の人だけだと思いますよ

私は、サロメだよさんとしているこの話、結構面白いですし、たぶん他人が読んでもそこそこ面白い掛け合いになってるんじゃないかと思うんですが、どうでしょう?
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この回答へのお礼

どうでしょうね。確かに凡人の物語も多いです。ですがそれはやっぱり「面白い凡人」なんだと思いますよ。僕は面白くもない凡人なのでしょう。こうやって質問サイトに色々投げかけてみたりしても何も変わらないですよね。夢を叶える側になりたい。天才になってみたい 物語の主人公みたいな人生を歩んでみたい。なんてちょっとだけ思ったりするんですよ でもそんな事を考えて空想してる時点でもう悲しいくらい凡人なのですよ。しかも面白くもない。僕は自分という人間を理解し過ぎているのかもしれません。だから天才なんていう自分とは真逆の存在になりたいのでしょう 天才なんてこの目で見たこともなくて実在するかどうかすら知らないのに

お礼日時:2023/02/21 11:35

僕の考えってどうなんでしょうか?


 ↑
その通りです。

夢を追うのは楽しいですが、
叶えられないので苦しくもあるのです。

何かきっかけや口実があれば
夢追いを諦めたい。

子供は絶好の口実になる訳です。


『夢破れて妻子あり』
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この回答へのお礼

みな虚しさを抱えながら生きてますよね

お礼日時:2023/02/20 09:08

(何か長々続けてしまってますけど、いいですか?)



>僕の個人的な感覚ですけど、そこから逃れられる人ってかなり少ない気がしてます。

これはですね、

>「自分はもうそのレベルは到達して過ぎたから好き放題いえる」

これの逆を言い返すことになってしまいます。
自分はまだそのレベルに達していないのに、何故その先にいる人たちが「虚しい」「逃れられない」と感じるんですか?ですね。

いや、若い人が大人を見たとき、そう見えることがあるのは分かるんですよ。それを「夢破れたからだ」と解釈するのもアリだと思います。そして、事実はどうあれ「いま自分から見てそう見えてしまう」ことが絶望であり問題だ、というのも話を聞いているとじんわり感じられてきました。

でも、サロメだよさんはまだその境地を経験していないし、だから思う通りの絶望ではないかも知れませんよ?とは一応言ってみます。


じゃあ、試しにサロメだよさんの「夢」に対抗する、別の神様をひとつ出してみますね。

「物語」

です。「夢」は諦めたらそこで終わりです。でも、「物語」は、諦めても終わりません。「金メダルを取れないまま引退したアスリートが経営者として身を立てる話」、実際あるし、物語として十分成り立ちますよね。過去の敗北と、別の世界での成功が結びついていれば言うことなしです。「夢」は破れていますけど、面白くて読むに値する物語です。

つまり、サロメだよさんの言葉を借りれば「口実」になりますけど、「口実」がちゃんと付けば、多少なり納得できれば、夢なんて捨てても「物語」は続けられるわけです。

この観点で考えると、

>大人は皆虚しさを抱えながら生きてますよね。

これは大なり小なりそうなんでしょうけど、喜びと興奮と夢ばかりで虚しさのない物語なんて、深みに欠けて面白くないじゃないですか。「夢」は虚しさを無駄として許しませんが、「物語」は虚しさも味として許容します。大人になってコーヒーの苦味が美味しくなるのと似たようなものです。コーヒー好きな人を、「本当は甘いほうがいいくせにやせ我慢して苦いコーヒーを飲んでる」と言う人、あんまりいないですよね。


>自分の人生を否定して1から始めたいけど、否定しちゃうと自分が辛くなるだけなので目を背けますよね。

これは解釈の違いですね。私は、「自分が持っているものを否定しても役に立たないから肯定する方がいい」と捉えます。

>なので僕も例に漏れずそんな人間になると思うんです。

なっていいんじゃないでしょうか。「例に漏れず」と書かれている通り、みんなそうなるんだから平気です。「お前の夢は何だ」「夢を持ってるのが偉い」という人たちも、みんな「そんな人間」なんですから、単なるルサンチマンの裏返しです。「何だお前、偉そうに」と鼻で笑えば済みます。

私も解釈が違うだけで「そんな人間」、取るに足らない凡人の一人です。別に死ぬほど辛くはないですし、結構面白いですから、そんなに悲観しなくていいと思いますよ。
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この回答へのお礼

虚しいんですよね何か。僕らは生まれてから絶対に競争させられますよね。受験を筆頭に色々と。ですがそれら全て優秀な人間でないとスタートラインにすら立てない。そんな人間は初めからいなかったかのように冷たく突き放されて自信を失います。僕らは一部の人以外には馬鹿馬鹿しいと感じる競争を強いられてるんですよ。恋愛などもそうだし、夢もそうですよ。夢も一部の人以外は持つことすら許されないんですよ。 どんなに頑張っても一定のラインを超えることはまず不可能なので。なので中途半端な夢を持っている人も苦しいし、早々に夢を捨てた人も苦しい。「物語」ですか。確かに面白そうですね。ですが夢を半端にしか追えなかった者、早々に捨てた者、頑張ったのに結果を残せなかった者、これらの人の「物語」なんて誰が読みたいですか?読むに値する面白い人生なんてごく一部の人だけだと思いますよ

お礼日時:2023/02/20 09:07

本当に何度もすみません。



>夢がないと人間的に劣っているという価値観がやはり世間的には普通なんだと思います。夢を叶えた人が一番偉いと言う価値観です。なのでこんなに辛いのかもしれません

はい。だから、ちょっとしつこめにコメントしてでも、「それは決して唯一の価値観じゃないですよ」と言いたいんです。もちろん、そう言っても簡単にそこから逃れられないのも分かります。でも、言うだけ言っておきます。

これは私側の「教義」で、「普通の価値観」に潰される人間を見るのがあんまり好きじゃないんです。

何度かこの質問以外でもやりとりをさせてもらっていますが、私はサロメだよさんにとって、全く話す価値のない人間ですか?
たぶんそれならコメントを返さずさっさと質問を切り上げるなりすると思いますので、たぶんそうじゃないんじゃないかな、と思っています。

これ、いわば宗教戦争の映画で、相手方の異教にも「話のできるやつ」がいることが分かって、迷いなく戦えなくなる流れ、あるじゃないですか。あれです。夢を信じない人間にも、それなりに面白そうに生きていて、会話のできる人間がいる、ということが多少なり示せれば、たぶんサロメだよさんがどこかで夢に潰されそうになったときに思い出してもらえるんじゃないかな、という、異教側の悪戯です。

この私の言い方絡み方が、たぶんサロメだよさんが感じていらっしゃる通り、上から目線なのも重々承知です。でも、「君の夢は何だ」「夢を諦めるのか」と言ってくる人間だって、全員上から目線じゃないですか。
上から目線じゃない人間は、人の夢なんか聞かないし、夢を諦めた人に何か言ったりもしないです。

だから、他の上から目線に潰されそうになったら、ちょっと思い出してもらえるといいな、と思っています。
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この回答へのお礼

> 「それは決して唯一の価値観じゃないですよ」と言いたいんです。もちろん、そう言っても簡単にそこから逃れられないのも分かります。でも、言うだけ言っておきます。

僕の個人的な感覚ですけど、そこから逃れられる人ってかなり少ない気がしてます。大人は皆虚しさを抱えながら生きてますよね。自分の人生を否定して1から始めたいけど、否定しちゃうと自分が辛くなるだけなので目を背けますよね。なので僕も例に漏れずそんな人間になると思うんです。

お礼日時:2023/02/19 22:31

度々すみません。


はい。サロメだよさんは間違っていません。それは最初に明言しておきます。

ということは、サロメだよさんには何か夢があって、実際にそれに向かっている途中なんですか?
(ちょっと聞いてみたくなりました。もし気が向いたら教えて下さい)


夢というのは、神様とよく似ています。それを信じている人にとっては、それを信じない人間の気持ちが分からず、それを信じない人にとってはその価値が(利用価値しか)分からないもの、です。

私は無神論者ではありませんが無宗教者なので、「夢教」にも懐疑的で、他にも色々信仰するものはあるよね、と思うし、キリスト教を捨ててイスラム教に改宗した人が不信心だと思わない(彼には彼の葛藤とその結果の判断があり、それは正しい)のと同様に、「夢」を捨てて「家庭」や「子供」を取ることを敗北とも思わないんです。

この観点で考えると、サロメだよ。さんが私のコメントを「正直よくわからない」と仰るのもよく分かるんです。敬虔なキリスト教徒に向かって「別に仏様もいるし八百万の神々だっているし、神様って一人じゃないよね」と言っているのに等しいわけですから。ふざけんな、ですよね(すみません)。

そしてそれが、「既に到達して過ぎたから好き放題言える」というのもその通りです。そればっかりはどうしようもないというか、「経験してないから言えること」と「経験したから言えること」があって、経験してしまうと言えなくなることや、共感できなくなることも確かにあるんですね。その意味では、私もサロメだよさんの持つ問題意識を正しく理解することは、たぶんもう二度と出来ません(だから話すのが面白いんですけどね)。

だからといって、「そのレベルを到達して過ぎた」私が正しくて、まだそこに到達していないサロメだよさんが間違っている訳ではないんです。教義、つまり「正しさの元になるもの」が違うわけですから、それぞれ自分の土台に則って論を立てるしかないし、生き方を決めるしかないです。

私はこの通り夢に対して不真面目者なので、サロメだよさんに対して言えるのは、
できれば夢が叶うといいですね、ということと、
もし夢が叶わなかったら、いつでも不信心者の側にいらっしゃい、こっちも楽しいよ、ということくらいでしょうか。
夢に殺されることだけはないといいな、と思っています。
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この回答へのお礼

そうですか。確かにそうですね。例えば大学受験などもそうですね。受験生はたびたび大人にアドバイスを貰ったりしますが、そんなの何の役にも立たないってみんな気付いてますよね だってそんな昔の話正直あまり覚えてないし、もう過ぎた話だから何でも言えてしまうんです。大人には受験生のつらさが分からないですよね。

夢がないと人間的に劣っているという価値観がやはり世間的には普通なんだと思います。夢を叶えた人が一番偉いと言う価値観です。なのでこんなに辛いのかもしれません

お礼日時:2023/02/19 21:59

私の場合、夢が叶ったのは結果論というか、たまたま昔言っていた「夢」と実際なったものが一致していただけで、「夢のために努力する」という意識は全然なかったし、だから達成感もないんです。

だから夢の勝ち負けで言うと別に勝ち組ではないし、負け組でもない。そもそも「夢に向かって戦っていない組」です。実際私はアカデミアからはさっさと撤退して民間企業に行きましたが、それはそれで楽しくやっています。「夢破れたり」という感覚も全くないです。

だから別に夢に向かって努力なんて、ごく一部のやりたい人間がやればいいことで、みんなが当たり前にやることじゃないんじゃない?と思います。
もっと言えば、もし「何が何でもこれを叶えたい、これを叶えなければ生きている意味がない」とまで思う夢があったら、それは8割がたの意味において、祝福じゃなくて呪いだと思いますよ。その結果だけを我々はTVや伝記、実生活での恩恵などで見るから華々しく見えますけどね。

物事にはだいたい両面があって、「初志貫徹」と「融通が利かない」は表裏です。夢なんて、自分の才能であれ環境であれ結婚であれ子供であれ、現実的な理由があって納得すれば別にいつでも好きに方向修正すればいいものであって、諦められない人だけがやればいいんです。必ずそれを貫かねばならない、もし諦めたのならそれは敗北であって、諦めた理由は口実だ、と考えることも別にないんじゃないかなと。

そもそも夢に向かっていない人・夢にさほど価値を置かない人には通じない考え方ですし、夢破れた人には傷を抉るだけで、その考え方をして幸せになる人があまり想定できないので、わざわざ語る意味があまりないな、と思います。
もし語る意味があるとすれば、たぶん自分が夢破れた側で、「どうしてもそう考えてしまって苦しい、そこからどう抜け出せばいいのか」と悩むときくらいでしょうか。
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この回答へのお礼

そういうのって、すべて「自分はもうそのレベルは到達して過ぎたから好き放題いえる」だと思うんですよ なので貴方の考えは正直よくわからないです

お礼日時:2023/02/19 21:20

こんばんは。



「夢のために生きる」モデル自体が、別に普遍的なものでも正解でもないので、ほとんどの人は別に「子供のために夢を諦めて」いないんじゃないでしょうか(私は別にそういう意識はありません)。

そもそも、「夢のために生きる」モデルって凄く現代的というか、人類史上そんなことを考えて一生を過ごした人って何%いるんだろう?1%いるかな?というくらいレアなモデルだと思います。「その日暮らしモデル」の方がよほど普遍的で、誰も彼も夢を持て、という思想のほうが特殊なんじゃないかな……。


例えば私の場合、小学生くらいの頃に将来の夢を聞かれたら「科学者」と答えていました。一応、一分野で博士号まで取って研究にも従事してきたので、「夢は叶った」と言っていいんだと思いますが、その頃の夢が今叶ったことをどう思うかというと、感無量どころか「どうでもいい」というのが正直なところです。

何で「どうでもいい」かというと、子供の頃に想像していた「科学者」と、今実際に研究者になってみて知っている「科学者」って、全然別物だからです。ほぼ無関係に近いですね。ろくに業界知識もない子供の頃に描く夢なんて大抵そんなもので、別に追い続けなければならないものでも、持っていなければならないものでもないんです。むしろ、下手にそれに行く先を縛られない分、持っていない方が良い部分さえあるかも知れません。

たまたま、幼い頃からある分野の「本物」が近くにいて、その仕事を間近で見られて、リアルにどういうものなのか描ける、という場合以外は、だいたい夢はただの妄想です。楽しいものではあるので敢えて壊すこともありませんが、その後の現実を犠牲にしてまで貫くものではなくて、知った現実に従っていくらでも方向修正していいものです。


そして多分、子供を持つくらいの年齢になると、多くの人はそれなりに方向修正が済んでいると思いますし、子供自体もその修正された方向に入っていると思います。

なので、そんなに「子供のために夢を諦めた人」っていないんじゃないかな、というのが私の見解です。一人もいないとはもちろん言いませんけどね。
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この回答へのお礼

貴方は夢が叶ったから何でもいえるだけですよ 勝ち組はいいですよね

お礼日時:2023/02/19 20:32

夢は誰だってあるべえなあ「空想の翼で駆け 現実の山野を征かん」松本清張 これが人生じゃねえのかい?

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いや追えるから。

甘くないし。むしろ楽
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この回答へのお礼

話にならない

お礼日時:2023/02/19 20:31

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