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ガーシー容疑者が動画サイトYoutube上で脅迫動画を公開し、
その収益で少なくとも1億円以上を得ていた、という報道がなされています。
これにつき、友人と話をしていました。

私「脅迫動画を流して、それで1億円以上も得た、なんてずいぶんとおかしな世の中になったねえ。
 人を脅かしてそれで儲ける、しかもそれ以上に配信サイトYoutubeも儲けている。
 人を泣かせて儲ける人が居るなら、誰だってやるよねえ、
 もっともその結果が今回の逮捕劇だけど」
友人A「配信サイトが悪いな。どんな高等な動画でもどんな低俗な動画でも何でもかんでも流しちゃうから悪い。最近は著作権侵害の可否をAIか何かでチェックしているようだが、それ以外の
”これを流して嫌な気分になる人はいないか?”
”公序良俗に反する内容になっていないか?”
といったことについてはNoチェックの上、そういった低俗な動画はなんだかんだいっても注目を浴びちゃうから再生数が伸びる。そうすると配信元、配信者の両方で広告料金を分け合う、という悪循環になっている」
友人B「そこでだよ! 今こそYoutubeなどの配信サイトは任天堂のファミコン商法を見習うべきだ!
 任天堂はファミコンのサードパーティ(任天堂および任天堂関連会社以外の第三者的ソフト販売会社)の参入を受け付ける際に、低俗、低品質なソフトの粗製乱造によってファミコン市場が荒れることを防ぐ為に、サードパーティの開発能力に合わせて、年間発売タイトル数を制限したり、ファミコンカセット製造本数を制限したり、ソフトの中に公序良俗に反したりエログロナンセンスなものが含まれていないかをチェックしていた。
 俗にファミコン商法といわれ、任天堂が大地主、サードパーティが小作農で収穫した作物のほとんどを取り上げてしまうようにたとえられたが、結果的にはこれによってファミコン市場において低俗・低品質ソフトの粗製乱造は免れ、少なくともファミコン、スーパーファミコンの時代は低俗低品質ソフトがやたら出回ることは無かった。
 Youtubeなどの動画配信会社も、すべての動画の検閲をすべきだ。
 そのようにして品質を高めれば
 ”動画配信サイトはいろいろあるけど、品質管理している動画サイトは安心して視聴できるね”
 と言い評判を生むことになる」

私、友人A「そんな風に一人でくそ真面目な態度を見せたら、あっというまに他の動画配信サービスに駆逐されるよ」

果たして友人Bの唱える「動画配信サイトは任天堂商法を見習え」と
私と友人Aの唱える「そんなことしたらすぐにライバル動画配信サイトに負ける」
とどちらが正しいでしょうか?

A 回答 (1件)

どちらのコンセプトも人間と言う集団にとっては必要なんです。



私たちは変化に追従して適応していくために「実験場」を作りますが、実験に巻き込まれて被害が出ないように「避難所」を作ります。Youtube等は「実験場」であり、任天堂が行った方針は「避難所」です。

ガーシー容疑者の事例については最後に考察します。

以下は長いのでお暇なときにでもどうぞ。

まずは「実験場」と「避難所」の発想についてです。

米国では盛んに実験をしますが、欧州や日本の様な国は避難所を優先します。実験場では「何でもアリ」の状態で運営して、運営不能となるような事態のみに最小限の対策をします。「避難所」では過去の経験から最良であるという物のみを選び、幸福を追求します。これらは「実験場」で得た結果を反映しているわけですから「避難所」単体では存在しえないんです。

国家が発展しない国の特徴は「実験場」や「避難所」の様なコンセプトが無く、混沌としていることでしょう。つまりそこで得た経験を活かせない状態です。これに比べると「実験場」も「避難所」も優れています。しかし、双方を相補的に持っていない場合は社会は時代に適応できないんです。

「実験場」が破綻する場合は問題が多すぎて改善できなくなり、実験に参加する人のストレスが高まり耐久出来なくなることです。「避難所」では実験場で得た知見から最良のモノを選んで導入しなければなりませんが、これまでの成績が優秀(つまり幸福であった)が故に新しい物に慣れることを拒む性質が強くなります。導入そのものに必要性を感じない人が多く成り、実験結果そのものを活かせなくなるんです。

相補的と言いましたが目的は同じです。地球環境(その地域の環境でも良い)にあわせて現時点で最良のモノを選択していくことです。任天堂の戦略は一時期失敗し、新たな実験を繰り返したライバルに負けてトップの座を譲り渡します。しかし、グローバルな視点では子供たちを実験の被害から守る避難所として認知され、世界を席巻します。

「私たちは何が正しいのかと考えてはいけない。実験が行われて
 いると考えていつでもフットワークを軽くして主張を変れるよ
 うにすべきなのだ。そして常に避難所の位置を確認し、実験が
 失敗したときに逃げ込めるようにしておくべきなのだ」

実験場が荒れてしまって避難所に逃げ込んだからと言って、すべての実験結果が間違いであったという分けじゃないんですよ。ストレスが高まり過ぎたと言うだけであり、是正が進めばまた実験可能な状態に成ります。逆に避難所に活力が無いと言っても問題ではなく、実験場から逃げ込んだ人が周囲に気を使いながら(周囲に反対されない程度に抑えながら)自分の好みを主張していく事で新しい発想が導入されて行くんです。

「新しい技術が開発されて新たな事例が増えるとストレスも
 高まり、避難所を求める声が多く成る」

色んな技術が開発されていくと、日本の様な国の評価が高まるという事です。実験場では生き馬の目を抜くような戦いが繰り広げられていますから、少し休みたいという人にとって有難い国となります。そこそこ発展していて不便が無く、それなりに娯楽が多く、自己主張の必要性が無いので楽に暮らせます。一方で実験場で常識であった「実験のための自由意思」は受け入れて貰えないので「ルールが多い」と感じるでしょう。

Youtubeの様なインターネットを使ってグローバルに展開されるものは、各国家の方針(実験主体か避難主体か)を無視して全ての国の国民を実験に参加させることになります。そしてそれぞれの国民は自由に参加したことになるため、これを守る事が出来ません。ここに介入し粛清する事を是とすると、権威主義国家の主張が正しいという事になります。

「しかし実際は行き過ぎた者は既存の法律で裁かれており、
 この成り行きが世界中に共有されている。
 そして配信者同士の競争によって実験に失敗した物が淘汰
 されつつある」

つまり、事件化される前から実験場にはストレスが充満していたと捉えるべきです。一回でも落ち度があれば「これまで味方と思っていた大衆」に裏切られる危険があったはずです。しかし道徳面での力が弱いと「危険な状態である」という認知に成らず「自らの主張の勝利である」と慢心しやすでしょう。そしてこの一線を越えてしまったものが制裁を受けるという流れに成ります。そして私たちは「自由の中にもモラルが必要」という結論を得ます。

この結果として、ある者は制裁を強化すべしとし、ある者は避難所を探し、ある者は改善をすればよいと言います。この選択も実験の一つです。全ての人が避難所を選ぶわけではありません。

では以前と何も変わっていないのか?

そんな事はありません。明確な敗者が確定しており、これらは当面の間は不可逆です。

「自由の為にはモラルでさえ無視しても良いという側が負け組と
 して確定した」

いまだ間違った主張をすれば、多くの人から負け組として追われ続けるでしょう。群衆から石をぶつけられて逃げ続ける。身を潜めて周囲を警戒して怯えて暮らす。二度と這い上がる事が出来ない運命を呪い続ける。そしてどこかで暴力的な種で復讐を企図し、身を晒してしまい、その上で浄化されます。

「誰が負け組の味方をするかもよく覚えて置こう」

殆どの人はこの様に思って観察しているはずです。しかし負け組は何とか反撃の余地があるのではないかと思い、抵抗に向けて支援をしてしまいます。ここでどちらの陣営にいるのかを教えてしまう訳です。

「今まで俺の意見は一定の信者に受けていた。
 だから俺が少し援護する事で貸しを作れるはずだ」

とのんびりと思っているものです。しかし信者全体が制裁の対象となって追われていると気が付かないと行けませんよね。自分の発言により自分が立っている側に白黒つけてしまったのだと分かっていないのが問題でしょう。

「こういう時こそ勝ち馬に乗ろう!」

下から上を見上げてヒーローをあがめるのを辞める。「義」がある側を素直に認めて自分もそちら側に立つ。そして「義」に反する主張をする現役ヒーローについては「今回に限り容赦なく叩いて良い」と言うサービスタイムだとして粛清する。できれば退場を求め、新しい者へのチャンスとするんです。

「実験場で負けてしまう特徴ってあるの?」

「あるよ。これが実験であり、何が正しいのか分かっていない
 と捉えている人が勝つ。俺のほうが正しいと主張した人は負
 ける」

実験を始めた以上は自分がどうなるか分からないんですよ。一時は主張が通って勝ったように見えるかもしれません。しかしそれは自分が勝ち切ったというゴールではなくて「同種の主張をした人が優勢に成りえる」と言う現象なんです。「この優勢が失われる条件を俺はまだ知らない」と用心を続けるべきですよね。

「実験のための主張を自分の主張としては行けない。
 主張を変えるチャンスや避難所に逃げる機会を見逃し易い。
 自分と同種の人が滅ぶシーンを目の当たりにしたのに、
 その結論を活用できないというのは、実験内容に呑み込ま
 れ自分の実験を自分の主張と錯覚したと言う事になる。
 それが故に実験結果と共に身を滅ぼす」

ガーシー氏の件に関しては「どうしてこれまで人気があったのか?」「彼と交友していた人たちは大丈夫なのか?」「彼を嫌っていた人はいないのか?そういうグループはもっと見直されるべきではないか?」という考えを生じさせています。

つまり質問者さんとお友達の議論は「ある種の実験の結果」であると捉えなおせます。自分達だけに起きた事ではなく、全ての人に起きた事だとするのがいよいですよ。

しかし自分達も正しく実験結果を把握しないと行けません。

「その結果ってどんな事なの?」

「人気よりもモラルの方が強いと言う事。
 時代の変化を訴えてモラルを改竄しようとしても無理だって事。
 政治や社会の仕組みを使ってモラルを改竄しようとしても無理
 であると言う事。つまり人気、先端技術、政治力、軍事力、
 すべての力を結集してもモラルは変えられないという事だよ」

「でもそれって昔から言われてきたことじゃないの?」

「そうだよ。しかしインターネットやSNS等は無かっただろ?
 この新しい技術をお年寄りは知らないから、昔の技術の限界で
 語っているという可能性もあったんだ。
 そのため若者が主体となって実験をしたと言う事。
 その中で若者のために派閥の主導者となる人が年配のモノから
 選ばれる。そしてどちらかが玉砕する。この姿を若者に見せて
 実験結果(当面であるが)としているんだよ」

「負けた側にいる若者もいるって事?」

「そうだよ。自分らの新しい可能性により既存のモラルを破壊で
 きるかもしれないとワクワクしてしまった実験参加者だ。
 この実験の結果、代議士になっても無理と分かった。
 一方で地道な努力を続けて正攻法でヒーローになる若者も出て
 きたよね。この実験結果は希望を打ち砕いただろう。
 何もかも嫌に成り、色んなもの八つ当たりをし自害をしようと
 いう人が出てくると思うよ」

「昨今の若い人や中年の自虐的な凶行をそう読み解くわけか」

そして「今まで通りにうまく行かない」と感じて苦しくなるグループがいるでしょう。「希望が無い」というストレスは尋常じゃないですから何れ自滅します。そう言う事が既に起きたのであり、実験結果は得られ、日本の人々は変化しました。つまり「実はもう終わったのだ」と思いましょう。

以上、ご参考になれば。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2023/06/09 07:31

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