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まともな親に育てられた人が大半だろうから、まあ致し方ないのやろうけど、

まともな親に育てられて、そのおかげでまともに育っただけの人が、あたかも自力でまともになったかのように、偉そうに語って、人を非難している人を見ると、イラっとして仕方がないのですが。

お前がまともなのは、親のおかげやろ!と。
単に、それだけの話やろ、と。
お前の功績でもなんでもないのに、偉そうに何ぬかしとんねん!と(苦笑)。

その人が他を知らん以上、しゃあないんきゃ??

A 回答 (5件)

その感覚は私にもありますね。



とはいえ何とかなりますよ。

以下は長いので興味があればお読みください。

うちの親に失望したのは小学校くらいでした。よその家に遊びに行く様になりますから・・・嫌でも気が付きます。しかし、その話と親を好きであるという気持ちは別ですよ。その頃には分けて考えるようにしました。

例えば、

「ん・・・友達のお父さんをお父さんと思っちゃだめ?」

という感覚です。

学校の先生だったかな。父親に対する子供の様に接してみたら、お父さんみたいに接してくれました。また私には兄がいないのですが、兄だと思える人もいました。

私が泣きそうな顔をしながら教わった(水泳だったかな)通りに(必死に)頑張っていたときです。途中は怖い顔でじっと見ていましたね。もう少しだって時に(ゴール間際)なったら顔をくしゃくしゃにして(泣きそうな顔で)頑張れ、頑張れって声を出すんですよ。他の生徒にはその様に振舞いませんでしたから(体罰で有名な怖い先生)、男親の気分に成ったんじゃないかなと思います。大人ってそういうもんですよ。

友人のお兄さんに叱られて馬鹿にされた(おやつの食べ方で失敗した)ことがありまして、その時に、反発せずに素直に言う事を聞いたんですよね。そうしたら上手くいきまして。喜んでいたら、そのお兄さん満足そうにうなずいて去って行きました。

兄が弟にどの様な態度を取るのか知りました。私にとってはその人は兄だと思えますし、彼も(あの瞬間から)弟と区別がつかなくなったと思います。

高校の時の部活の先輩も、就職してからの先輩方も、みんな何故かその様になります。何十年も心配してくれるので有難いです。

「他の子供はそうしていなかった。
 私の姉もそうしていなかった。
 損をしていてないだろうか?」

初期値に囚われていれば、質問者さんのような不公平なものに成ります。しかし、自分の家族より素敵な人が多数いて、家族と同じように指導してくれるのならば宝の山じゃないでしょうか。

「甘えたいというのは許されない。それは他人だから。
 自分の親族に教えるスキルや能力が無いという不利
 ならば、実は何とでもなる」

他人と言うのは家族の様に甘えさせてほしいという部分には冷たいんですが、家族に指導する様に自分にも指導して欲しいと望むと甘いんですよねえ。私も「教えて欲しいです」と言われると弱い方です。なので回答者をやってますよ。

では何で他の大人や友人の家族を自分の家族として受け入れられないのでしょうか? 

「僕のお父さんに教えて欲しいんだ。
 僕は自分の親に同じことをしてほしいんだよ。
 他人の親じゃ嫌なんだよ」

こういう愛情があるからですよ。意地になって自分の親も負けていないと証明したいんです。親を好きであるという感情から「親にこうなって欲しい」という思いを捨てきれない。それがあるから憎くもなります。少しでもこうしてくれていたら・・・と思う(自分は悪くないのに)後悔が続くわけです。それが悪い事には思えませんね。

「子供にはそういう気持ちがある。
 だから大人は皆切ない」

正直言って如何していいか分かりませんよ。だからせめて「教えてください」と年下の人に頼まれたら本気を出そうと思う分けです。どれだけ苦しい葛藤を乗り越えて「他人の親や兄・姉」に頼んでいるのか分かっているからです。

自分の家庭環境で満たせない物は他の人から受け取って良いんです。ただしそれは先ほどの葛藤(どうして自分の家はそうじゃなかったの?)がありますから難しい。だからこそ、これを乗り越えて「指導をしてほしい」と申し出て来る人は凄いんですよ。心も心臓も強い。私も自分が求めるときはキツイですよ。なるべくは自己完結したいです。しかしどうにもならない時は頼み込みます。

「友人になってから頼もうとか。
 恋人になってから頼もうとか。
 断られない環境を望む人が多い。
 その様な道具として友人や恋人・家族に憧れている。
 それは宜しくない。
 どんな関係であろうとも、恥を忍んで指導を仰ぐ心
 の強さを身に着けて自由に成るべきである」

喧嘩をしてコテンパンに負けて、馬鹿にされている中で、相手に教えて欲しいと頼めますか? これが出来たら貴方は大丈夫ですよ。

幼い時の家庭環境が影響して不利に成るというのは当然ですし、避けられない不公平です。しかし実は必ず逆転できます。

「いずれ自分が自分を育てた時の親の年齢を超える」

子供の頃に親から教えて貰った事を何時までも運用しようとしても無理があるんです。その当時の親は20歳代であったり、良くて30歳代でしょう。年齢で10年も差がある場合があります。

当然ながら年上の親が教えたほうが良い教育に成ります。そうであっても何れ誰もがその年齢を超えてしまうんです。30歳の若い方が思いつく話なんて何時までも通用しません。その話を大事に抱えていても分からないことが増えすぎて解決できなくなります。

「不安に成った人がネット等で自分は間違ってないよね?
 と投稿し始める。その不安が過剰に誰かを攻撃する衝動
 に繋がっている」

自分の世界観や正義(道徳など)は親が若造であったときに聞いたり思いついたりした好い加減な話であり、そんなのが世の中の真理であるはずがありません。親であっても成長し「あれは俺がちゃんと分かってなかったな」と反省しているはずです。

そんなの何時までも使っていたら破綻するでしょう。

「自分は間違っていないとして停滞する大人が多い。
 自分が親や周囲の大人に教わった話が世界標準でどのあ
 たりになるのか落ち着いて考えるべき。
 ショボいあたりだと思ったら、自分がショボい解決策し
 か出せなくて当然。もっと焦るべき。
 自分の全ての感覚が間違っていると考えて、新たに自分
 を作り直す必要が(誰にでも)出てくるのだ」

という事です。

なので作り直す時は最高のモノ、無い物ねだりをした方がいいですよ。自分の人生は一回しかないんです。また初めからそれに気が付いている人もいます。

そんな人とは差が付きます。劣化バージョンや異物混入したものを有難がってはいけません。また、何か一つに心酔して妄信するのも辞めましょう。勿体ないです。良い所だけを摘まんで自分のパーツとして採用していきましょう。

「そのためには広く過去の偉人のリサーチが必要。
 あ・・・もしかして知識人ってそれをしてたってだけ?
 勉強して自慢したいだけかと思ってた。
 親の限界を感じて焦ってたってだけかあ・・・」

という事で宗教を研究しても改宗するわけではなく、歴史を調べても歴史家になる分けじゃありません。

「俺の脳を作り直すために最高の素材を求めている」

こういう話ですね。で私は仏教(禅の方が良い)のお坊さんが出していたサイトを参考にしました。まずは「オドロオドロシイ妄執を持った人たち」と言う悪い偏見があったのでこれを取り払いました。その上で「お釈迦さんも孔子もキリストも似たようなこと言ってるなあ」と分かったんです。その共通するところを頂いて「自分を磨くための方法論」についても検討する事にしたんです。

実践方法は儒教の五常がいいですね。儒教は縦の関係を強調するので嫌がる人が多いですから、ここについては強く採用しない。現代的ではありません。しかし「礼」に類する部分はとても大事なので柱にします(これは海外でも受けが良く尊敬されている)

如何ですか? 「まとも」と言うは先の先まであって、最後は歴史上の聖人レベルまで到達するという事に気が付いていますか? 

そして自分もそのあたりを目指さないと、いずれは「不安感に押しつぶされて」メンタルが失調するんです(らしいですよ)。これは仏教のお坊さんが(過去から言われていたとして紹介していた。平安時代とかから記録があるらしい)サイトに書いていました。

一般に「まとも」と言われる紳士淑女の皆さんの限界は65歳くらいだそうです。大概においてそのあたりで(誰もが)統合失調症(または似たような精神病)になるらしいです。私の母もそのあたりでした。これを回避するには釈迦やキリスト、孔子あたりの感覚と同じくらいまで自分を「まとも」にしないとダメだそうです。

「全人類の全ては『ただ単に普通に生きる』ために、
 聖人と同等の脳の整頓が必要」

お父さんお母さんは夢にも思って無かったでしょう。こちらが本当の話です。うちの母は夢にも思って無かったので60歳代でやられました。

では貴方が最初にすべきことは何でしょう?

これは私もやった事です。

「あの・・・普通の感覚ってのを教えてください。
 いずれはそれを超える予定ですが、
 今の自分との違いを確認することが大事なんで」

今の自分の感覚と「まとも(普通)」と言われる事の差が分かれば、なんとなく「そちらの方向?」ってのが分かりますよね。AIもそうやって学習しているんですよ。そして自分がズレた感覚で育ったからこそ、方向が分かりやすいんです。平均的な人は方向(ベクトルと言う)が見つけにくくて停滞しやすいみたいです。

「なるほどね。僕が君らにたどり付くための方向
 が分かった。そして君らに追いついた後も、
 そちらの方向に歩めば超えられるのも分かった」

つまり「異常な自分が普通に辿り着く苦労」は「普通の自分を手に入れた後で聖人になる苦労」と全く同じだという事です。やる気になれば20年かからないと思います。

諦めずに「新しい親と成り得る先輩(過去の偉人でも良い)」を探す事だと思います。

以上、ご参考になれば。
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勝手に決めつけられても…(苦笑)

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ただ過去の栄光にしがみついて今は何も無いやつほど偉そうに過去のことを語りだしますよね。



まぁコンプレックス抱いているんですよ。
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そのかたがまともな親・まともな環境で育ってるとなぜおわかりになられるのでしょう。


親友? 親戚? 兄弟姉妹?
それ以外の人たちの育ちや家庭環境なんか分かりませんよ。
「まともな親に育てられてる」のは想像の域でしかありません。
もしかしたら本人ですら「ウチの親はマトモ」と思い込んでるけど実はとっても異常な環境で育ってる……なんてこともあるかもしれませんよ。
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この回答へのお礼

>そのかたがまともな親・まともな環境で育ってるとなぜおわかりになられるのでしょう。

どこまでモノを知らないんだか。

お礼日時:2023/07/24 16:03

自我が確立してたらそれでいいんじゃない?ただの僻みにしか聞こえない。

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この回答へのお礼

勝手に決めつけられても…
(苦笑)

お礼日時:2023/07/24 16:01

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