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テレビで昭和はこうだった、みたいな番組をちらほら見かけます。昭和時代は今では考えられないようなことが当たり前だったりしたようですが、逆に今の時代のほうが昭和より大変だな‥と感じることはありますか?
あまり破天荒ではない内容だとありがたいです。。

A 回答 (48件中11~20件)

昭和時代はすごい好景気


今は悪すぎる。
消費税を作り、3・5・8・10と上げて金利がどんどん下がった。
いっそ5に下げてくれませんかね。
だいぶ違うと思うよ。
昭和の頃は1ドル360円時代。懐かしい。
携帯・インターネットなかったね。
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スマホはプライベートを失くしちゃったね。

すぐ返信しなきゃ嫌うんでしょ今の人は。校則より厳しいと思いますね。また、それによって会話が下手になりましたね。正直に言うのが正義と思ってます。で、仲違いする。親しき仲にも礼儀ありってのがなくなりました。これは偏差値が低いとてきめん表出します。
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外国人がどんどん入ってきて、殺人や強盗が増えて治安が悪くなった事、携帯は便利だけど人との繋がりやコミュニケーション能力が弱くなった事、車や飛行機が増えて便利だけど空気が悪くなり交通事故も増えた事、美味しいものは増えたけど不健康な人も増えた事、心の病、鬱病や発達障害児が増えた事、ニートや引きこもりが増えた事、


医学の発達で寿命は伸びたけど認知症の人が爆増した事、あげればキリがないほど便利なものの裏側です。

昭和の時代は右肩上がりで明るい未来と希望がありましたね。
いまは暗い未来しかありません。
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誠意や真心を感じる心がなくなったことかな。


実社会でも、ホストが営業で使う上っ面の言葉を誠意や真心と信じる人が増えた。

頂き女子とか言うのが逮捕されていたけど、
今は、昔で言えば犬畜生だと言われる人間が評価されるからね。

詐欺師にとっては天国のような世の中になったと思うよ。
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何でもネットで晒し首、あの店は接客がムカつくだの不味いだの個人の感想を世界中にばらまいて店を潰す



引きこもり無職変態もネット使えば容易に女の子が釣れる

昭和は真面目は真面目、バカはバカとハッキリ分かれていたが、今は真面目の皮を被ったクズばかり

スマホばかり見て、言われた事だけやって自分からやるといったら自分より立場が弱い奴に対するマウント取りばかり、お前ら生きてて楽しいの?

口しか動かしていない癖に日本は終わった、昭和のせいだと人のせいばかりする


サッカーだけ湧いて、何か昭和に比べて生きてるのつまんなそう
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人間の価値や可能性について自信を失った人が多い事でしょう。



以下は長いので興味があればお読みください。

個別に挙げていくときりがないので「こんな風に感覚が変わったので今の若い人は辛いだろう」みたいな(私が思う)説明をします。

生産や競技において人間より機械の方が上であるという感覚が広がっていると思います。昭和時代では「人がいれば何とかなる」「人がいなければどうにもならない」「人を集めた人が勝つ」「人を育てなければ将来が見えない」など人の価値が高かったんですよ。

その大前提が狂ってしまえば「何故人がいるのか?」「何故人を増やしたのか?」「人を育てる意味はどこにあるのか?」みたいに疑問を持つ人が増え(機械のほうが人より上だと考える子供が大人になり、社会を支える立場になる)、新たな意味を探ろうとして苦労をしていると思います。

「社会の為というより、その人が阻害されていないと示
 すためだけに仕方なく今までのコミュニケーションを
 継続している」

昭和時代は人付き合いも「投資」であったんですが、いまでは「お布施」とか「自分はいい人間アピール・ネタ」みたいな位置づけに成っています。自分の生活を豊かにしてくれるための戦力とは捉えていませんよね。幸せを奪い合うライバルであっても「お布施」を払わなければ「異教徒」として処罰される。そういう感覚になっているのだと想像しています。昭和時代は違ったんですよ。

「今の時代の発展は人類史上なかったわけだから、年
 上の人も経験がない。どうやって生きるべきか教えら
 れない年配の人が沢山いる事になる」

少し前はAI将棋がプロより強いなんて想像もしませんでした。今は違いますよね。今の若い世代には「人間は恩情で生かされている」という発想が染みついており「手加減が無い世界ではやっていけない」と感じている人が殆どだと思います。

「真の善意から善行を働くのではなく、生きている事に
 負い目を感じ、その罪悪感から逃れたいため善悪を考
 える人が増えた」

ジェネレーション・ギャップがあるとしたらこういう所でしょう。上の発想は昭和生まれの人にはありません。

「実は・・・僕らが年配の人たちに大切にされる理由が
 分からないんです。なのでどこまで甘えて良いのか、
 不安なんです。だから時々無茶するんです。これ以上
 はダメなんだと誰かに教えて欲しいんです」

どこまでなら大丈夫なのか確認したいというのは何時の時代もあった話です。しかし「どうして大切にされるのか?」が謎である以上、恐怖感は強いと思います。人の実力に対する認知に差があるという事です。そのため若い世代は「どうしてこうなったのか?」を知らないまま「理由が良く分からない苦しみ」の中でもがいており「年配の人が気づいてくれない」という漠然とした思いからストレスをためていると思います。

「こいつら感覚が古すぎてダメな奴らだよ。そうだよ。
 そういう人は生きてちゃいけないんだ。俺たちにある
 この感覚に何か価値があるんじゃないか?
 これが生きていて良い証明なんだ。
 だから僕は大丈夫ですよね?
 年配の人教えてください」

こう言う矛盾を抱えていると思います。

「機械の方が凄いのになんで人間が手でやるの?
 あ、テストですね? しごきに耐える試験でしょ?」

「しごきテストとか上の考えるやり方は可笑しくないか?
 無理は無理だと言わないと弄ばれるぞ?」

こういう気持ちが生じているのでは無いでしょうか。

ではこれは日本だけなのでしょうか?「古い物を捨て去り新しい物を作れる人が生きているべき」と言う感覚は海外でも同じでしょう。そんな中で生じる差別は「少し前の偏見」とは一味違ったヒステリックなものに成るでしょう。人間そのものに(本音で)価値を見出していた時代ではなく「恩情で生かされている」と誰もが思っている集団の中で生じる差別は「生贄を捧げて自分だけは助かりたい」という心理に近いでしょう。

そしてこれに対抗する発想も、

「黙っていたらやられる。過激であっても反撃しないと。
 生贄にされないためには、そういう事を言い出す奴ら
 の口を封じないとダメだ」

となります。「貴方は価値があるのですか?」と言われるのが怖い。そのため言わせないような文化を作る。そういう人達は「生きるか死ぬか」くらい真剣なので必死に抵抗するわけです。しかしそれは「疑心暗鬼生ず」に近い物だと思います。

「誰もが『自分は良い人間なので生きていて良いはず』
 と自分を支えているわけだ。だからソコをつく。悪者
 を仕立ててそれらを生贄にする。その流れに敏感な人
 は俺たちに組する。そういう大きな動きになれば、
 俺に生きている価値があるかどうか話題に成らないは
 ずだ」

これも「良い人間だと思われないとヤバい」という(昭和時代には無い)プレッシャーから生じた話に思えます。タゲ逸らしと言う奴ですね。結局はプロパガンダを仕掛ける個人の能力や価値について反対派に評価されてしまい自滅しているようですけど。

しかし、

「そこまで悩んでいるのか? そりゃ不味いよ」

と思っている昭和世代の人はどのくらいいるんでしょう?

「君はどうして働く意欲が足りないのかな?」

「だって・・・しごきに耐える試験なんでしょ? もう
 機械に任せれば良いって私は思うんですよ。
 そういう試験に合格しなくてもうちは資産があるので
 そういう試験に参加することで自分の寿命を無駄に使
 いたくないんです。でも皆が僕らをターゲットにして
 生贄にしようとしています。なのでネットを使って反
 撃しないとやられます。それくらいは頑張ります」

ポリコレにしても内容は素晴らしいのですが必死に食らいつくモチベがどこにあるのか気味が悪いと感じている人も多いでしょう。

「自動改札とか券売機が怖くないので大丈夫ですよね?」
「PCが使えるので大丈夫ですよね?」
「私はポケベルでメッセージを送れるんです」
「私はオフィスが使えるんです」
「私は携帯でメッセージを送るのが得意です」
「私は誰よりも早くスマホを買いました」
「私はアイホンの良さに誰よりも早く気づいていました」
「私はネットが怖くないです。色々検索できます」
「私はSNSの弱点を突いて大衆を扇動できます」
「私はインスタを使って人気が出ました」
「私はAIを使ってAI絵師になれました」
「私はAIとチャットをして仲良く成りました」

色んな免罪符を皆が作ってきたと思います。しかし機械とガチ勝負をしろと言われたとき「無理を言われた」と感じるあたりは変わってないでしょう?

そんな中で「私はPCを組み立てる事に楽しみを見出しました」「私は自分で家具や家を作ることに楽しみを見出しました」「私は魚をさばくことに生きがいを感じています」など仕組みを理解して自分で作るという動画が凄い再生数に成っていますよね。プロゲーマーの解説動画も同じです。

「どんなふうになっているのか? 仕組みが分かるだけで
 大分気が晴れる。理屈が分からないで使っていると鈍い
 恐怖感が蓄積してくるみたいだ」

AIチャットが登場したとき、私が真っ先にやったのはAIの限界を調べる事。そして生成AIの仕組みを学ぶことでした(少しは知っていましたが数十年の進化を追う必要がありました)。その後は無料で配布されている色んなツールを触り「自分も作ってみたい」と感じるようになりました。

「そこからはパーッと心が晴れて、真夏の太陽のような日
 差しと熱い空気を感じた。夏の時代が来たと思った」

しかし先端技術を学ぶには基礎的な部分で知識が必要です。一方で学校教育が担っている範囲は19世紀の科学くらいまでです。今は21世紀であり、進歩も早くなっているわけですから「断絶」を個人の力で埋めるのは苦しいと思います。

「年寄りが最新技術を駆使したツールをこわがるので、
 使えるだけで大丈夫だと思っていた。実は仕組みが分か
 らないで使っていると精神が病むのか・・・
 早くいってほしかった」

お年寄りが最新技術を駆使したツールを使いたがらないのは「仕組みが分からないで使う事が精神に良くない影響を与える」からです。その辺り(そうなっちゃうこと)は知っているのですから、ちゃんと子供達に教えてあげるべきだったでしょう。

「え・・・でも仕組みが分からない物だらけだよ?」

「そうだねえ。昭和の時代に比べるとそうだよね。
 今の人は大変だねえ。精神が病みやすいだろうに」

人間の価値についてネガティブに考える人は「科学や技術の進歩」に「仕組みを理解して追従」しているのではなく「思考を止めて使う」という方向で誤魔化しているという事です。これは病みますよ。

「ズルはできない。他人が考え出したものを使って恩
 恵を得る以上、その仕組みを理解して心から称賛す
 るくらいの努力をしないと行けないのだ」

結局は逃れられないのだとした時、昭和の人より学ぶことが多いですし、作り方を教える人が不足しています。

「自分が使っているものすべてに対して、作り方を説
 明できる自分に成れたら? それは夢のような人生
 だと思う」

ほぼ無償で使える利便性の高い物で溢れても、作り方が分からなければ「僕を許して貰いたい」という気持ちになりますよ。しかし仕組みや理屈が分かる物を使っている状態であればそうならないんですよ。心からの感謝と尊敬で溢れます。そういう単純な事に子供から大人まで気が付いていない時代なわけです。その点が大変だなあと思います。

以上、ご参考になれば。
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昭和は輝いていたを見ています。


今夜やる。
仮面ライダーの後に見よう。
終わってボウリング中継が10時。
ボウリング場が昔あった時代が思い出す。
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それはもう人との触れ合いですね



昔は人と間接的な触れ合いと言えば電話ぐらいしかなかったのでどうしても直接会いに行って話したりしていましたが今はもうネットがあるので直接会わなくても意思の疎通が出来ちゃうようなところがありますよね

そうすると今度は直接会うのが億劫になったり
怖くなったりするという事態が発生します
現に今の時代そうなっていますよね
本人が目の前にいるのにラインしたりして
あんなのどう見ても異常なんです

やっぱり人というのは直接触れ合うことによって
心身が健康になるのでこれは危機的状況と言えます
でもスマホのおかげで益々この状況は酷くなるでしょう
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個人情報とか、ゴミ分別とか、色々面倒くさい。

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>逆に今の時代のほうが昭和より大変だな



ダイバーシティという考え方が存在せず、多様な価値観が受け入れられなかったので、「少数派」が簡単に排除される時代ではあったように感じます

よく言われるのは「デジタル化」ですが、昭和時代にも、それ以前にはなかった電化製品やTVの登場によって、人々の生活が大きく変わっています
技術革新はいつの時代も人々に影響を与えているので、今の時代に限った話ではないかなという気がします
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