No.5ベストアンサー
- 回答日時:
『ラ・ヴァルス』のピアノ独奏版があまり演奏されてこなかったのには、いくつかの理由があります。
まず、『ラ・ヴァルス』に限らず、オーケストラ曲のピアノ独奏用編曲というのは、もともとそれほど頻繁に演奏されるものではありません。多く演奏されてきたのは、人気のあるオーケストラ曲をヴィルトゥオーゾ・ピアニストが華やかな超絶技巧で編曲したもので、こうした編曲はリストの時代から今日まで一定の人気を保っています。アンコール・ピースとして弾かれることも多いですね。こういう場合、オーケストラの原曲には必ずしも忠実である必要はなく、ピアノがよく鳴るような作品に仕立て直すことが多いです。そういった事情で、独奏用の編曲は、作曲者以外の第三者によって作られることが圧倒的に多いのです。
作曲家は、何の楽器のために書くかを考えて作品を発想します。ピアノ曲ならピアノが効果的に鳴るように、オーケストラならオーケストラが豊かに鳴るように。ですので、作曲家自身はあまり違う楽器編成のための編曲はしたくないものです。ほかの作曲家のオーケストラ曲のピアノ用編曲をやっていたリストやラフマニノフのような名手でも、自分のオーケストラ曲のピアノ独奏用編曲はほとんどしていません。
本当にピアノ的な発想で書かれた曲は、オーケストラに編曲するのも難しいですが、オーケストラにはたくさんの楽器があるので、ラヴェルのようにオーケストレーションが得意な作曲家であればいろいろな方法があります。しかし、本当にオーケストラ的な発想で書かれたオーケストラ作品をピアノ独奏用に編曲するとなると、様々な困難が生じます。まず単純な話、2本の手では足りない。本当は省略したくない音もカットしなければならない。そして、オーケストラの楽器は長く音を伸ばせますが、ピアノは打鍵した直後から音が減衰するので、何か別の音符で充填しないと間が持たなかったり、響きが貧弱になったりします。オーケストラの原曲に忠実で、かつピアノ独奏曲として華やかな編曲は作りににくく、作ったとしても労多くして功少なし、演奏効果が上がらなかったりするので、作曲家自身はやらないのが普通です。
昔からあるオーケストラ曲のピアノ連弾用、独奏用編曲の多くは、リハーサルや研究、教育の現場で使うのに必須のものでした。その場ですぐに弾けるようなものである必要があったので、あまり難しくするわけにはいかず、コンサートでの演奏で聞きごたえがあるような編曲ではないものも多いのです。
『ラ・ヴァルス』に関しては、特別な事情があります。そもそもラヴェル自身による独奏版は、コンサートで効果が上がるようなピアノ用編曲に徹して書かれたものではありません。この版について、演奏が困難なため演奏されないという解説がいろいろなところにありますが、実はあまり正確な解説ではありません。
この編曲は、半分ピアノ・リダクションのような書き方がされているのです。ピアノ・リダクションというのは、オペラやバレエ、協奏曲など、事前のリハーサルなどで使うピアノ用「要約譜」です。ラヴェルは、一応ピアノ曲として演奏できるように考えて書いてはいるのですが、原曲が非常に複雑で、2本の手では弾けない音が多いので、最初から演奏されることを前提としていないいくつかのパートを細い五線に参考として併記しているのです。2本の手で弾く通常の2段の楽譜の部分は、決して極端に演奏困難というわけではありません。
ところどころが3段譜になっていますが、一番上の細い五線には、オーケストラの楽器名とともにそのパートの演奏内容が書いてあります。その中には、最初からピアノでは100%演奏不可能な音符も結構あります。弦楽器のグリッサンドのパートがそのまま書き込まれていたり(ピアノでそのままグリッサンドにすると少しうるさい)、4つの音が同時にトレモロになっていたり(演奏不可能)もします。両手で弾く2段の五線の音符の中にも、もともと演奏不可能な音符を参考のために小さいサイズで書き込んであったりしますが、ラヴェルの自筆譜にはなく、出版時に付け加えられたらしいものもあります。
ただ、こうした欄外の音符を全部省略したまま弾くと、間延びをしたり、原曲の華やかさに欠けたりします。それで、ラヴェルの楽譜のままでは取り上げにくかったわけですが、これらの音符を可能な限り取り込む試みをするピアニストはいました。グレン・グールドもそうですが、自分で新たに編曲したわけではなく、ラヴェルの編曲譜の欄外の音符を少し取り込んで弾いているだけです。グールドの前年に録音しているアビー・サイモンというピアニストも、やっていることはグールドとほぼ同じでした。
2008年、まだ二十歳を過ぎたばかりのユジャ・ワンがヴェルビエ音楽祭でこの曲を弾きましたが、グレン・グールドたちよりずっと多くの音符を同時に弾けるように工夫して注目を引きました。たぶんこの演奏は多くのピアニストを刺激したと思います。その後、ユジャ・ワンのやり方に準じて自分なりの工夫をする若いピアニストが増えているようです。テンポをやや遅めにして、より多くの音符を取り込もうと工夫しているピアニストもいます。効果的な演奏のノウハウができてきているので、今後は取り上げられる機会は増えると思いますが、技巧をあまり前面に出したくないタイプのピアニストはやらないかもしれません。
ちなみに、アルゲリッチやロジェは2台ピアノ版しか演奏していないと思います。アスパロフの編曲は、1台ピアノを使った連弾用編曲です。
ユジャ・ワン(2008年)
楽譜付き動画(チョ・ソンジン)
https://www.youtube.com/watch?v=ghY2ak8YoBM
なるほど!様々に事情がありますね。この楽譜付き動画にしても不可能な第3譜は省略してますし、いろいろ取り組むにはハードルのある曲です。やっと近年意識と技術が追い付いてきた?昔はみんながやらないから私もやらないの連鎖だった?のでしょうかね。
No.4
- 回答日時:
やはり、他のピアノ曲と違って「オリジナルが管弦楽曲」だからでしょう。
ピアノ版は、ラヴェル自身による「2台のピアノ用」と「ピアノ独奏用」とがありますが、所詮は「管弦楽曲をピアノでも弾けるようにしたもの」です。
ラヴェルの他の曲、「亡き王女のためのバヴァーヌ」「古風なメヌエット」「クープランの墓」「マ・メール・ロワ」などは、オリジナルがピアノ曲で、それを後に作曲者自身が管弦楽編曲しているので、それとは主客が逆転しているわけです。
19世紀までは、一般の人が「管弦楽団の演奏会」に行けることはまれだったし、レコードもラジオ放送もなかったので、「管弦楽曲のプロモーション」のために交響曲や管弦楽曲が「ピアノ用に編曲」されることが多かったのです。
作曲者自身が編曲することもありましたが、多くは弟子が行ったようです。
フランツ・リストはベートーヴェンの全交響曲をピアノ用に編曲していますし、ブルックナーの交響曲もピアノ用に編曲されています。ブルックナーの場合には、レーヴェやシャルクといった弟子が担当し、第3番はマーラーが編曲しています。
これらは、「演奏会で演奏する」というよりは、「家庭でどんな曲か聴いてみる」「コンサートに行けない一般市民が聴く」ためのもの、要するに「代用品」だったでしょう。要するに「CDやラジオ放送」に相当する存在だったのです。また、作曲者が曲の全部または一部をピアノ用に編曲して、コンサートの会員募集・宣伝のために「事前販売」することもあったようです。
その意味で、ラヴェルの「ラ・ヴァルス」も、ピアノ版は「代用品」とみなされて弾かれることが少なかったのだと思います。
最近は、古今東西の著名なピアノ曲はほとんど「大ピアニスト、巨匠」たちが録音を残しているので、新たなレパートリーや「珍しい曲」としてそういった曲も弾かれるようになってきたのだと思います。
同様のものに、ストラヴィンスキーの「ペトルーシュカからの3楽章」や「春の祭典」のピアノ連弾版(作曲者自身の編曲)、上記のリスト編曲のベートーヴェン交響曲などがあります。
なるほど!ご丁寧な解説ありがとうございます。19世紀的な「管弦楽の代用」という価値観が残っていたからですね。それがようやく、ピアノ独奏にも同様に価値がある!となったのがつい先ごろということでしょう。
No.2
- 回答日時:
全く曲もピアノも知らないのでざっといまネットで調べただけの情報ですが。
ピアノ用楽譜が出てきたの1920年で、ソロ向けのは難易度が高い為、あまり弾かれることがなかったと英語のWikiに載ってます。
ソロかデュエット(と言うのかわかりませんが)のどちらで弾いたのかは知りませんが、以下の古め?のピアニストさんたちも弾かれているようです。
Martha Argerich
マルタ・アルゲリッチ
Pascal Roge
パスカル・ロジェ
Glenn Gould
グレン・グールド(自作アレンジ)
Andrey Kasparov
アンドレイ・カスパロフ(自作アレンジ)
著作権?が切れたのが多分1970年頃で、グールドさんアレンジが1975年、カスパロフさんアレンジが2008とかなので、1970年以降はアレンジが目立つと言うことはオリジナルのソロ向け難易度が相当高かったのでしょうか。
もしくはオーケストラバージョンが有名すぎてピアノバージョンの知名度や人気がただ単になかったのか。
質問者さんの仰ってる最近の方々が何バージョンを弾かれているのかわからないので、なんとも言えませんが、もしアレンジバージョンなら、弾きやすいから弾く人が増えたのかも?
もし難易度が高いオリジナルを演奏されているならば、今まで敬遠されてきたもの、と言う認識があるからこそ「自分は今まで誰も弾いてこなかったこんな難しい曲を弾けます」と自分の技術をひけらかすのにもってこいの曲なのか。
もしくはただ単に最近の好みが昔からシフトしてきている可能性もあるでしょう。特にラヴェルは比較的近代音楽ですから。時間がたって「古き音楽」の仲間入りして逆に真新しいと感じる演奏者さんが増えたのかもしれません。
まぁ、音楽歴史を学んだことのない素人がちょっとネットで調べた程度の見解なので全くの的外れかもしれませんが(笑)
ご丁寧にご解説ありがとうございます!アルゲリッチ、ロジェも弾いていたとは知りませんでした。でも70年に著作権が切れたのならもっと昔から弾かれていてもよさそうですが、やはりオーケストラ版が有名すぎて気乗りしなかったんでしょうかね。
No.1
- 回答日時:
「ラ・ヴァルス」は管弦楽版がオリジナルで最も有名であり、ピアノ独奏版はその後にラヴェル本人が編曲したものだと思います。
クラシックは特にそうだと思いますが、オリジナルが作者本人の最高峰で、後で作られた編曲版は亜流扱いされることが殆どだと思います。そういう意味で、ピアノ録音でも軽んじられていたとしてもおかしくないです。近年はこのピアノ独奏版は演奏会でも録音でも演奏回数が割と多い演目のように思いますが、その方が異例と考えていいのではないでしょうか。難易度も高く演奏映えすることから人気を集めてきているのかもしれません。
そうだとするとその逆パターンの「クープランの墓」「亡き王女のためのパヴァーヌ」などはむしろ管弦楽版の方が軽視されるという理屈になってしまいます。楽譜はあったはずなのに往年のピアニストが着目しなかったというのが不思議です。
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