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教えて下さい。

日本に、Microsoftのような会社が生まれなかったのはナゼですか?

お考えをお聞かせ下さい。

お願いいたします。

A 回答 (5件)

凄く単純な話で「日本にはパソコンを利用する文化がまだなかったから」です。

分かりやすく言うと当時の日本には「キーボードで入力する文化もやり方も無かった」ということです。

マイクロソフトは1975年、アップルは1976年とほぼ同じ時期に生まれましたが、アメリカではほかにもDECとかCompaqなどのマイコンメーカーがたくさん生まれました。最初は1964年に開発されたBACICなどを利用していました。

マイクロソフトは《これらのマイコンを動かすOSとして売り込む》ために開発したもので、アップルなどの一部の例を除きマイクロソフトのDOSを利用しています。

ちなみにアップルは独自OSのマイコン(パソコン)を開発していたことから、今でもMacOSは独自の仕様になっています。

で、これらのマイコンは「自分達の仕事に使いたい」というニーズがあったからで、欧米人からすれば「タイプライター→電動タイプライター→入力した情報を保存してくれるタイプライター=マイコン」というものだったのです。

だからMS-DOSにしてもアップルのマッキントッシュIIにしても、ニーズが大きく、飛ぶように売れたし小さなオフィスや学校などにも導入されていました。
 
マイクロソフトが大きくなった一番の要因は、当時マイコンを含めたコンピュータ仕様の標準であったIBM様式で動くOSだったからで、IBMが自社のマイコンに導入しCompaqNADOIBM互換機マイコンを作る会社がこぞって採用したことです。

その時代、アップルは独自OSをつくっていましたし、先に紹介したDECはUNIXOSを開発した会社の一つでした。

1960・70年代の日本はデータ処理のための大型コンピューター会社(富士通・日本電気・東芝など)はありましたが、OSはそれぞれ独自開発のマシン語利用で、OSといえるようなものがないいわゆる「ビジネス・コンピューター」が主流で、しかもカタカナしか使えないようなしろものでした。

日本語をまともに扱えるコンピューターは1978年に東芝が作ったもので、机と同じ大きさにモニターやキーボード、その他の部分は演算装置などを詰め込んだもので、同じ時期のIBM互換マイコンと比べると、その差は歴然だったし、当時の日本には「ワープロで文字を入力して処理する」という文化そのものがなかったのです。

なので1970年代日本には「マイコンを動かすためのOSを作ると儲かる」とか「スタンドアローンのパソコンを作ると市場を取れる」という発想すらなかったのです。

とはいえ1980年代になると、NECがpc-9800シリーズを開発し、三菱電機などもパソコンを作り始めます。

ただ、この時点で日本にパソコンを定着させようとすると「キーボードで日本語を打ち込む」ということを覚える必要があり、これについては1995年のIT革命以後も「やりたくない」という拒否反応が強かったことを思えば、当時の日本でマイクロソフトのような会社が生まれることはなかったといえます。

いや、そもそもそういう発想すらなかったし、もし先見の明があってOSを作っても「売り込み先の日本企業自体が存在しない」状態だったわけです。

個人的な考えですが、この時の日本人の「ソフトウエア音痴」は今でも尾を引いていて、日本人がスマホを作れなかったことにも関係していると思います。
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この回答へのお礼

ご丁寧な回答に感謝申し上げます。

繰り返し読ませていただきます。

本当にありがとうございます。

お礼日時:2024/03/24 22:20

日本語で使っている文字が多すぎる。



アルファベット(とアラビア数字、記号)だけで表記可能な欧米圏に比べ、日本にはひらがな、カタカナに加え、膨大な数の「漢字」がある。
発音が同じでも意味によって漢字が変わるから、アルファベットに置き換えるのも一筋縄ではいかない。
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この回答へのお礼

どうもありがとうございます。

お礼日時:2024/03/25 09:54

こんばんは。



windowsの前にもMS-DOSというものがあり、それも含めてOSの代
表になるまでにそれなりの時間かかってたと思うんですよ。

OSがそこまで商売になると考えてそれが普及するまで長い期間活動
できた人間が日本だけではなく世界に皆無だったのではないか(日本
人の多くは、自社パソコンをコントロールする標準ソフトウェアとし
か考えなかったのではないか)、と思います。

トロンが出てきた時、1983年のようですが、MS-DOSって1981年か
ら、当時グラフィックも満足に出せないテキストベースのハードウェ
アを動かすだけのソフトを売ろうとしていたマイクロソフトの頭がお
かしかった、というべきかもしれません。

というかMS-DOS3以前だと、日本はDOSはパソコンを買えばついて
くる面白くないソフトウェア群という認識だったと思うんですよ。
DOSなんて買う必要はなく、ディスクが読めなくなってもコピーさせ
てもらえばいい、と考えてた人が少なくなった、と思うんですよ。。
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この回答へのお礼

どうもありがとうございます。感謝申し上げます。

いろいろな経緯があったのですね。

お礼日時:2024/03/24 20:47

Microsoft、AppleとかAmazonもそうですけど、その会社が行っている業務や商品が将来どうなるか、将来どのようにしたいか?を見通して、その考え方、アイデアを持つ人が存在したか?存在しなかったか?の差ではないでしょうか。



コンピュータが発展しはじめた頃、米国には、そういう未来を見通した視点を持つ会社の創業者が何人もいたが、日本の会社にはいなかったか、居たとしても、その見通しがイマイチだったとかね。
まあ、そもそも、日本には高学歴を得た後、リスクが大きい起業家、創業者を目指す人は少なく、大手企業のサラリーマンとか役人などを目指す人が多いけど、米国では、逆に高学歴で優秀な方は、起業家を目指すことが多い。
それは、米国には、起業家に対して、大金を投資する「エンジェル」さんがいますが、日本には居ないってのも影響しているでしょうけどね。

ちなみに、Microsoftが成長していく過程を知っているIT業界で働いていたシニアの方たちは、「汚い手法を使っていたから成長したのだ」ということで「アンチマイクロソフト」というスタンスの方も多いと思いますけどね。
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この回答へのお礼

貴重な回答ありがとうございます。

感謝申し上げます。

お手数をおかけしました。

恐縮です。

お礼日時:2024/03/24 20:23

私が知っているのは「陰謀説」くらいですね。

(本当かどうかは別で)

同時期に日本では、国産OSとしてTRONが開発されていて、それが広がると日本市場に参入出来なくなる。
それを潰す目的で、開発者数名が乗る日航機123便を墜落するようにした。
というのが言われていますね。
開発者が亡くなったことで、TRONの開発が大幅に遅れた。
今じゃ組み込み機器のOSとしてTRONは生きています。
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この回答へのお礼

飛行機墜落ですか。まったく知りませんでした。

回答ありがとうございます。

お礼日時:2024/03/24 19:40

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