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自立と依存について教えて下さい。
人間は、依存と自立繰り返して、また安全基地がある状態で、本当の意味で自立して行けますよね。安全基地がなかったら?自分でつくるとかいうけど、安全基地は、3歳頃までにできるもので、お母さんがなってくれるもので、もうそれは無意識の域のものなので、けっきょく3歳までで決まってしまいますよね?
安全基地がなくても自立してるように見える人は人を避けてるだけだと思う。しがみつくか回避するか。
じゃあ安全基地がなくて自立はどうしたら?できる?

A 回答 (3件)

自立してるから依存するんだと思います



彼と別れる時でも
新しいオトコできたんだろ?と疑いますよね
そうじゃなくてアナタが嫌なんですと
言うのは受け入れられないなら
あの人に行きますから放っといて
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人間というものは、社会性を備える生物です。

それが人であることの重要な生態です。人は人に依存するのではない、人は社会に依存するんです。

人は社会を構成する生物ですので、依存したいという欲求がそもそもにありますが、人が人に依存したいと望むとそれは病になります。だから人が人に要求する「自立しろ」は、こっちに迷惑かけるなよという意味になります。依存という欲求が社会に所属したいという望みになればそれは健全となります。だから社会が人に要求する「自立しろ」は、社会構成のメンバーになれということなんですね。

あなたは、ここでは「人への依存と人からの自立」しか語ってない。それはどちらも可能でないことです。人に依存することは病いであるし、人から自立しようとしても、その先の行き場がない。

あなたに必要なのは、所属ですよ。安全はそこにあります。誰かに安全を求めることはできない。

後ですね。母親が3歳までのうんたらもね、人が言いたがる虚像ですよ。その人にとって何よりも重要なのは、「どの時代に産まれ、どんな地域で、誰と共に育ったか」です。誰に育てられたか、という人への依存で人は成長できない。それでは足りなさ過ぎるのです。何故ならば、人はどこまでいっても社会性に依存する存在だから。

その依存をたったひとりの人に押し付けたら、そりゃ病いですし、そりゃ迷惑ですよ。
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乳幼児期における安全基地はほぼ母親のことですが、成人の場合には母親とは限りません。

岡田尊司氏によれば、成人でも以下のような条件が整えば、母親以外でも安全基地となることができるようです。

安全感を保証してもらえる。
感受性(共感性とも)を持ち、そうしてもらえる。
応答性があり、求めているときに応してもらえる。
対応に安定性がある。
何でも話せる。

その様な安全基地を持てば自立できるのではないでしょうか。
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