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越境する場合1駅というのが一般的(和光市、本八幡、湘南台など)ですが、東西線は西船橋までなぜ東京メトロなのでしょうか?浦安以東は千葉県と沿線自治体の3セクが運営するべきでは?

A 回答 (4件)

こんにちは。



地下鉄東西線は、計画当初中野駅⇔東陽町駅間でした。
国鉄(現在のJR)中央線・総武線の混雑緩和を目的にバイパス線としての役割を持たせるため、東陽町駅⇔西船橋駅間を延伸させた経緯があります。
南砂町駅⇔西船橋駅間は地上を走行しますが、
▪建設費用削減。
▪元々水田地帯で地盤が軟弱。
▪早期完成させたい(元々、中央線と総武線の混雑緩和の為のバイパス線なので、一日でも早く完成させたい)。
▪バイパス線なので、風圧がある地下より、地上のほうが高速運転しやすい。
こういう事情で、西船橋駅まで建設されました。

地下鉄東西線は、当時「帝都高速度交通営団」という日中戦争中に国家によって作られた経営財団でした。
国鉄と同じ、政府によって運営されている組織です。

他の、都営地下鉄や横浜市営地下鉄だと、「自治体の自治体による自治体住民のための交通機関」としての役割があり、公営交通の営業範囲は自治体の管轄内が基本となります。
本八幡駅や湘南台駅といった駅は、そこまで延伸したほうがその自治体住民にとって良いから。
(本八幡駅は、その先の千葉ニュータウンまで千葉県営鉄道が建設するつもりでしたので通過駅構造ですが、湘南台駅はその先は地下駐車場スペースです。上記の理由でそもそも延伸を考慮していない。)

元々、営団地下鉄とは事情が異なるのです。
そしてその営団地下鉄を民営化したのが東京メトロなので、既存の営団地下鉄線をエリア問わず引き継ぐのは自然な事です。
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帝都高速度交通営団は自治体の組織ではないので国の承認があれば全国どこでも事業が行えます


とのコメントはがんありますがそれは大間違いです
旧帝都高速度交通営団(現東京メトロ)は帝都高速度交通営団法(現在廃止)によって設立された特殊法人帝都高速度交通営団法のその目的は東京都23区とその周辺に地下鉄を建設する事。よってそれに該当しないエリアに地下鉄を建設刷ることは同法の趣旨に反するので原則出来ません
旧営団地下鉄が都外に路線を建設できたその理由
帝都高速度交通営団法は都内において戦災から復興発展を図る事を目的とされた事から都内とその周辺の郊外とを鉄道で結ぶ事で都内とその周辺の郊外ともに発展させるその役割が付加されたのです。そのために都内と郊外路線との接続駅までの間を旧営団地下鉄に建設させる事にしたのです。それによって都外であっても接続駅までの区間で旧営団地下鉄が建設する事が法的に認められたのです
それを踏まえて
旧営団地下鉄東西線は中央線・総武線の交雑緩和を図るためにそれらの路線のバイパス線として計画された路線です。ですから中央線と総武線との間の区間を旧営団地下鉄が建設しました。都外区間については上記が当てはめられたので接続駅までの区間について旧営団地下鉄が建設する事が法的に認められたのです。
これが総武線との接続駅である西船橋まで旧営団地下鉄が建設したその理由です
東京メトロについて
東京メトロは旧営団地下鉄を引き付いた法人で東京地下鉄株式会社法に基づいて設立された法人です
東京地下鉄株式会社法
第一条 東京地下鉄株式会社(以下「会社」という。)は、東京都の特別区の存する区域及びその付近の主として地下において、鉄道事業及びこれに附帯する事業を経営することを目的とする株式会社とする。
では「東京都の特別区の存する区域及びその付近の主として地下において、鉄道事業及びこれに附帯する事業を経営することを目的とする株式会社とする。」と定められていることから都外で鉄道事業を経営する事が同法によって認められるので千葉県内に路線(東西線)を有しても何ら問題はありません
質問内でご指摘については
千葉県と沿線自治体が投資して第三セクターを設立後させる必要性が全く無い上にそうすることのメリットがほとんどありません。故に千葉県と沿線自治体がご指摘のようにはしていないのです
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>越境する場合1駅というのが一般的


ここが間違い。
和光市、本八幡、湘南台はいずれも地方自治体の運営する鉄道ですね。(和光市は初期計画では東京都交通局)
地方自治体が他自治体で事業をする場合には相手議会の承認が必要になる上に他自治体部分の建設運営に資金を使うことに議会の承認を得るのが困難なので県境、市境までになります。

帝都高速度交通営団は自治体の組織ではないので国の承認があれば全国どこでも事業が行えます。

川崎市のように横浜市営地下鉄の延伸部の工事費用等を負担することで横浜市が一元管理することもあります。
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建設された時代背景が今とは全然違います。


平成頃の建設であれば、西船橋から先の
東葉高速鉄道のように別会社となっていたはずですが、
東西線が建設されたのは高度経済成長真っただ中の
1960年代(昭和40年代)。
300%を超える総武線のラッシュを緩和させるため、
国鉄側からの強力な要請があり、バイパス路線として
造られた経緯があります。そういう意味では
営団路線としてもある意味特別な路線です。

ちなみに開業当初の地上区間の周辺は
今ではとても考えられませんが、湿地と田んぼが
広がる光景でした。
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