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愛情とは一体何でしょうか?

これは愛情だ、と感じて嬉しく思っていても、後で違かったのかもしれない、自分の思い込みかもしれないと思うことが多く、よく分かりません。

優しさとの区別がつかないのだと思います。

何をもってして愛情を判断すればよいのでしょうか?

A 回答 (2件)

親が子供を育てているのは無償の愛です


おむつを替えてやるから金を出せとは言いません
与えていないものは受け取れません
店に行ってバナナが欲しいと言ったら そこに書かれている価格に相当するお金を出さないと手に入りません
同じように愛情が欲しいなら相当の愛を与えていないと手に入りません。
何か人のためになることをして ありがとうと言われた
その人はあなたから優しさという愛を与えてもらったのです。
相手にそそぐ愛の気持ちが愛情
恋愛は異性に対して いとしい愛しい たまらなくかわいい 大切にしてかわいがりたいという気持ち
人を思いやる気持ちのないITような物事を計算から紐解こうとする者には理解できません
だって愛情って形がない概念だからです
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ひとつめ、「特別な愛情」について。


「愛情」を見抜くことは、根本的に不可能です。

何故かというと、人は他人の感情を直接見ることはできず、言動から推測するしかないからですね。
なので、

>これは愛情だ、と感じて嬉しく思っていても、後で違かったのかもしれない、自分の思い込みかもしれないと思うことが多く、よく分かりません。

これは当たり前といえば当たり前です。

じゃあ、「真の愛情」だと我々が思っているものは何かというと、「結果的に壊れなかった愛情」をそう呼んでいるだけです。

一例を挙げると、私は妻とは高校時代からの縁で、もう人生の半分以上に妻が居ます。恋愛結婚で、私が妻にベタ惚れ。まあ、「愛情」と呼んでも誰も否定はしないと思います。でも、もしですね、私が魔が差して、明日浮気でもしたら、これあっさり壊れるんです。15年以上関係が続いて尚、「そういうもの」です。

そういうことがなく、死ぬまでずっと離れず何だかんだ仲良く過ごして、結果「あれは真の愛情だった」ということになる。だから古来、本物の愛を謳う恋物語には死や心中がオチとして付いているんです。死んでしまって、関係がもう過去のものになって初めて「結論」が出るからです。

なので、「愛情とは一体何だろう」ということに回答するならば、「それを死ぬまで継続する努力・行動」のことだ、と考えてもそれほど齟齬はないんじゃないかと思います。



ふたつめ、もっと一般的な、どこにでも溢れている「愛情」について。

こっちは簡単で、「利他的な利己」のことです。人間は、一切合切「利己的な行動」しかしません。たとえ誰かのために命を捨てたとしても、それが自分の意志である限り必ず「自分のため」です。

例えばですね、私は子持ちの父親なので、子供が死ぬか自分が死ぬかと言われたら、自分のほうがまあマシかな……とも思います。でもこれ、「子供のため」ではなくて、「私が」子供が死ぬのが嫌なだけなんです。なので、子供の意向は聞きません。

人間は、他人の喜びや幸福を喜ぶことがあります。自分自身の直接的な喜びよりもそちらのほうが大きいことも、割とよくあります。例えばお菓子の最後の一個を、自分が食べるより子供や恋人に食べさせてあげたい、といったことは普通にありますよね。
それは別に滅私奉公ではなくて、自分にとって「お菓子を食べる快楽」よりも「家族の笑顔を見る快楽」の方が大きいからです。

愛情とは、この「利他的な利己」のことです。多くの親は、子供がこれを大なり小なり持つように教育します。何故ならば、人の喜びを喜ぶ人のほうが、人の悲しみや苦しみを喜ぶ人より生きやすいからですね。仕事というのは、基本的に人を喜ばせたり、生かしたりすることでお金を貰います。なので、人の喜びを喜べる習性がないと、仕事はただの奴隷労働に過ぎなくなってしまいます。

こちらは、優しさとの明確な区別はありません。ほとんど同じものだと考えていいと思います。

それを「愛情」と呼ぶか「優しさ」と呼ぶかは、好みや願望の問題だと思います。
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