No.7
- 回答日時:
>持つべきですか
仮に、責任が存在したとして、放棄する事も、遵守する事もあり得るので、個々の判断になるはず。
しかし、ここで大切な事は、そもそも「自分自身に対する責任」と言う概念自体が、存在するのであろうか?と言うこと・・・仮に、存在したとするならば、私たちはオギャーと生まれた時に、何らかの使命を受けて、それを果すべき役目を担って生まれている事になります。唯一、次の世代へバトンを渡すと言う使命は有りそうですが、バトンを渡せない人も多々居る訳であり、この人達は無責任者となるのであろうか?・・・そうであるならば、世の中とは無責任者があふれる世界となる。尚且つ、オギャーと生まれた瞬間に、無責任者である事が確定した人も存在する事になります。この様な、事象を鑑みた時に「自分自身に対する責任」と言う概念自体が、存在しない可能性が高いと思われます。
そこで「自分自身に対する責任」が存在しないならば、責任とは他者に対して取るものと言う事になりますが、貴方は何故に、他社に対して責任を取るのかという疑問が、逆に自分自身へ舞い戻って来ます。多分、約束をしたからと言う回答になりそうですが、何故に約束をしたのか、それは自分の生存に必要な事であったからという事に、究極的には行き着きそうです。
つまり、生きる為に他者との約束を遵守する行為が、責任であると定義できます。よって「自分自身に対する責任」と言う概念は存在しないと思われます。
自分の子供は大事でしょう
同じように 自分自身は大事なのです
親は子を人生を賭して護るでしょう
同じように 自身は死ぬまで共にする最良で最大の味方であるのだと思います
自身を大事にするためには それに対する責任を覚えるためには メタ意識とも言うような自身である必要はあります
No.5
- 回答日時:
能動的に持とうが、持たなかろうが、何時か死ぬ時が来ると思います。
その時に何を思うのかが『自分自身に対する責任を感じてしまう時』になると思います。自分の人生にどういった責任を感ずるのかが、自分にとっての責任かも知れません。本当は死んだ事が無いために何を感ずるのかは、実感がないですが?
近頃 眠る時に感じることが多いです
同時に死についても思いめぐらしています
何時か死ぬ時が来る その時に何を思うのかが『自分自身に対する責任を感じてしまう時』になると私も思います
No.1
- 回答日時:
なのいらない。
責任があろうがなかろうが
因果応報、自業自得の裁きを自分が受けるだけです。
責任とは相手に対する言葉です。
責任とは何か?、を考えれば分かります
奴隷には責任を負おうとしても、負えない。
奴隷と真逆の自由の自覚のある人だけが、責任を感ずることができる
自分の良心に照らしてものをいい、事を行う者にして、初めて責任を負い得ることを考え、責任を負わない道徳的行為も、道徳的言説もないことを、わきまえねばならない、
責任はいやしくも道徳的感性が根柢にあって変わらぬものであり、これがなくて、いかに道徳的なような顔をして、美辞麗句を並べても、結局は自恣であり、利己的要求すなわち煩悩に過ぎない
お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!
おすすめ情報
デイリーランキングこのカテゴリの人気デイリーQ&Aランキング
マンスリーランキングこのカテゴリの人気マンスリーQ&Aランキング
-
「責任を取る」「責任を持つ」...
-
三世一身の法も墾田永年私財法...
-
今電線切れて停電してるんです...
-
品数 = 品目 は、正しいですか?
-
「宣言と条約」何が違うの?
-
多様性の価値の意味はなんだと...
-
食品衛生法と安全基本法
-
多様性を認める社会とは、多様...
-
事後の承認が得られなかった条...
-
心神喪失なら責任を問われない...
-
国際人権規約の“批准”と“加入”...
-
1つの気球にロープを繋げるとし...
-
ニュージーランドの歴史につい...
-
○○条約を締結とか批准とか採択...
-
工業力学について、 8.00m/sで...
-
自分に対する責任
-
御成敗式目と武家諸法度という...
-
創造の責任と創造主
-
どこまで多様性を許していいの...
-
生物多様性(α、β、γ)について
おすすめ情報