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人は 自分自身に対する責任というものを能動的に持つべきですか

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A 回答 (7件)

>持つべきですか


仮に、責任が存在したとして、放棄する事も、遵守する事もあり得るので、個々の判断になるはず。
しかし、ここで大切な事は、そもそも「自分自身に対する責任」と言う概念自体が、存在するのであろうか?と言うこと・・・仮に、存在したとするならば、私たちはオギャーと生まれた時に、何らかの使命を受けて、それを果すべき役目を担って生まれている事になります。唯一、次の世代へバトンを渡すと言う使命は有りそうですが、バトンを渡せない人も多々居る訳であり、この人達は無責任者となるのであろうか?・・・そうであるならば、世の中とは無責任者があふれる世界となる。尚且つ、オギャーと生まれた瞬間に、無責任者である事が確定した人も存在する事になります。この様な、事象を鑑みた時に「自分自身に対する責任」と言う概念自体が、存在しない可能性が高いと思われます。
そこで「自分自身に対する責任」が存在しないならば、責任とは他者に対して取るものと言う事になりますが、貴方は何故に、他社に対して責任を取るのかという疑問が、逆に自分自身へ舞い戻って来ます。多分、約束をしたからと言う回答になりそうですが、何故に約束をしたのか、それは自分の生存に必要な事であったからという事に、究極的には行き着きそうです。
つまり、生きる為に他者との約束を遵守する行為が、責任であると定義できます。よって「自分自身に対する責任」と言う概念は存在しないと思われます。
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この回答へのお礼

自分の子供は大事でしょう

同じように 自分自身は大事なのです

親は子を人生を賭して護るでしょう

同じように 自身は死ぬまで共にする最良で最大の味方であるのだと思います

自身を大事にするためには それに対する責任を覚えるためには メタ意識とも言うような自身である必要はあります

お礼日時:2024/06/26 00:25

責任は取るもので持つのは責任感

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この回答へのお礼

責任とは事後に存在するものではないと思います

お礼日時:2024/06/26 00:26

能動的に持とうが、持たなかろうが、何時か死ぬ時が来ると思います。

その時に何を思うのかが『自分自身に対する責任を感じてしまう時』になると思います。

自分の人生にどういった責任を感ずるのかが、自分にとっての責任かも知れません。本当は死んだ事が無いために何を感ずるのかは、実感がないですが?
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この回答へのお礼

近頃 眠る時に感じることが多いです

同時に死についても思いめぐらしています

何時か死ぬ時が来る その時に何を思うのかが『自分自身に対する責任を感じてしまう時』になると私も思います

お礼日時:2024/06/26 00:28

はい、もちろんです。


人間には動物と違って理性があります。
自分の思考や行動に責任を持てない人は、犯罪者や迷惑な人になり、社会から排除されます。
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この回答へのお礼

自分のためになることをするのは難しいですね

お礼日時:2024/06/26 00:31

責任とは。



① 責めを負ってなさなければならない任務。
引き受けてしなければならない義務。

② ( ━する ) 事を担任してその結果の責めを負うこと。
特に、悪い結果をまねいたとき、
その損失などの責めを負うこと。


持っていないと
結果を社会や他人に責任転嫁しがちです。

持っていれば
自己の成長に資する。


従って持った方が良いです。
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この回答へのお礼

鍛造さんの解答は力強いですね

お礼日時:2024/06/26 00:29

もし質問者さんが南の海の無人島に一人で住んでいたら「自分に対する責任」などという単語すらなかったでしょう

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この回答へのお礼

どうでしょうか

逆に自分が唯一の友人になるのであるから 一層強く感じるかもしれません

お礼日時:2024/06/26 00:29

なのいらない。


責任があろうがなかろうが
因果応報、自業自得の裁きを自分が受けるだけです。

責任とは相手に対する言葉です。
責任とは何か?、を考えれば分かります
奴隷には責任を負おうとしても、負えない。
奴隷と真逆の自由の自覚のある人だけが、責任を感ずることができる

自分の良心に照らしてものをいい、事を行う者にして、初めて責任を負い得ることを考え、責任を負わない道徳的行為も、道徳的言説もないことを、わきまえねばならない、
 責任はいやしくも道徳的感性が根柢にあって変わらぬものであり、これがなくて、いかに道徳的なような顔をして、美辞麗句を並べても、結局は自恣であり、利己的要求すなわち煩悩に過ぎない
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この回答へのお礼

私のようなものにも道徳的感性が根底にあったのですね

お礼日時:2024/06/26 00:30

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