
No.11ベストアンサー
- 回答日時:
質問者様が、歴史上の人物が寺を焼いた有名な例として挙げておられます、織田信長による比叡山焼き討ちについて申しますと、信長はその際、日吉神社(大社)をも焼き尽くしています。
戦国時代以外でもそのような事例はあります。
たとえば、暦応元年(1388年)には、高師直(足利尊氏の執事)が石清水八幡宮を攻め、社殿に火をかけ、陥落させたという事件が起きています。
もっと探せば他にも見つかるでしょう。
従って、「誰一人として神社には手を出さなかった」というのは事実に反しています。武士は、相手を敵と見なせば誰であれ襲ってしまう輩です。寺院を襲っても神社だから襲わないという特別な理由はないと思います。
そもそも、日本では神仏習合が根付いており、明治政府が神仏分離令を出すまで、神道と仏教は密接に関わっていましたから、分けて考えるのは無理があります。
ご質問を取り消すことをお勧めします。
No.10
- 回答日時:
神道と仏教の違いが原因だと
思います。
仏教は創唱宗教といいまして
教祖がいる人工的宗教です。
キリスト教もイスラムも同じです。
教祖の命令があれば、
命を賭けて布教するし、戦います。
神道は、自然発生的に出て来た
宗教で多神教です。
教祖などいませんし、教義も経典も
ありません。
だから、布教に適さず
信者にしても、なんとなく信仰するけど
命がけで狂信する、なんてことは
無い訳です。
ちなみに、
この神道の司祭者が天皇です。
だから、手を出しにくかった
ということもあったかも
しれません。
No.8
- 回答日時:
神道は、天皇と同じ括りで、「聖域」のような扱いはされていたでしょう。
文字通り「宗教」色は強かったはずです。ですが昔の仏教は、宗教であると同時に、学問のようなポジションだった。寺では僧達が学び、庶民には説法があった。おそらく一般の子供も学んだりしてたでしょう。いわば日本の頭脳の中枢。
ですから、そこから頭脳(賢さ)を持つ者も多く出てきます。文化についてもそう。武士達に大人気だった「茶の湯」も仏教の精神や関係者と強く結びついています。武士の信頼や尊敬を得て、政治に口出しをする僧もいて、社会的発言力や権力が強まる。賢い者や若者の集まる組織となっている。そういった寺はゆくゆく権力争いや戦争にも関わっていく。武道も学ぶようになる。…武士と同じような立場となり、武士同等に目をつけられるようになる。
歴史に残る寺の焼き討ちも、全て原因はこれだったはずです。
神道はただの格式であり、慣習に従うことありきであり、祀られているのは思考や教義を持たない「自然」そのものの存在であるため、自ら考えて動く傾向は弱かったのでは。
面白いことに、自らの意思や政治的発言を主張しないことで強い品格や神格を保っている今の皇室からも、これらは上手く説明出来るように思います。日本人は自我を持たない人が昔から好きだったのでしょうね、少なくとも害は無いですから。
No.4
- 回答日時:
神社は、天皇の祖先を祀る神道の宗教施設です。
武士の時代になっても、武士は天皇を利用したり追放することはありましたが、建前としては天皇は常に武士の上に在りました。 そのような天皇の先祖を祀る神社を、いくら有力武士と言えども焼いたりするはずがないでしょう。お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!
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なぜ、伊勢神宮などは兵力を持たなかったのでしょうか。
理由も添えて下さい。
それは、漫画やアニメで、仏教関係者を死なせる描写はOKでも、神道関係者を死なせる描写がアウトで検閲に引っかかるのと同じ理由でしょうか。
神道はわからないが、炎上覚悟で言います。
イエス様も、元をたどれば人です。その点はお釈迦様と同じ。
没後神格化されたものです。
だから、お釈迦様を侮辱することはイエス様を侮辱しているのと同じ。