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紫式部はふしだらな女だったのですか?

質問者からの補足コメント

  • プンプン

    夫(宣孝)がいるのに道長と不倫するとは。

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2024/07/15 08:16
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A 回答 (5件)

平安時代は恋愛に関しては大らかでした。


紫式部、清少納言、和泉式部をはじめとして、女房勤めの女性に
愛人がいるのは普通の事でした、恋多き女、和泉式部が親から
勘当された理由は不倫でなく、第三皇子・為尊親王では身分が
違い過ぎるの事でした。
結婚の形態は夫が妻の所に行く通い婚が主だったのです、女性に
財産相続の権利が有ったので、長男以外の男子は、通い婚に、
なったのです。
藤原道長も妻の源倫氏の屋敷に住んでいました。

紫式部は藤原宣孝が1001年に死去した後の1006年に、中宮彰子
の女房として出仕していますので、藤原道長とは不倫関係では無いのです。
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その時代としては普通の女性。

既婚未婚関係なく夜這いが当たり前の時代ですしね。する方もされる方もそれが普通ということで。
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その時代は性に対しておおらかだったんですよ。

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平安時代は自由恋愛の時代。

恋愛は日常、生活の一部、息を吸うのと同じ。歌が詠めなければただの恋愛。双方知性が無いと恋愛もできない。源氏物語の内容を越えた日本の小説はありません。川端康成の遥か上。
>ふしだらな女
ふしだらというのはふしだらな浅ましい男が考えたこと。女性を独占し従属させるのが目的。
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いいえ。

この回答への補足あり
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