ショボ短歌会

「隣人を愛しなさい」と、キリストはなんで言ったんでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • しかしヨーロッパもロシアもキリスト教圏なのに、昔からお互い戦争を繰り返してますよね?
    それ以前にヨーロッパの中でも戦争を繰り返してるわけか。

    No.4の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2024/07/21 08:29
  • 背負う前に言ってるはずでしょう?

    No.6の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2024/07/21 08:31
  • 欧米の歴史は全然平和じゃないですよ。

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2024/07/21 08:32
  • 良きサマリア人に限らず、何か所かそういう記述がありませんか?

    No.9の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2024/07/21 11:28

A 回答 (13件中1~10件)

「隣人を愛せよ」との戒めは、旧約聖書の律法に記されている(レビ記19章18節)にも拘らず、あなたや私も含めて多くの人がそれを平気で破っているから、イエスによって教え直されたのです。



たとえば、イエスの時代のユダヤでは(マタイ5章43節のイエスの指摘によれば)「隣人を愛し、敵を憎め」と命じられていたのですが、後半の「敵を憎め」について言えば、そんな命令は律法にはありません。つまり、人々は教えを捻じ曲げ、自分勝手に解釈し、「俺たちは隣人を愛せよとの戒めをちゃんと守っているが、奴らは敵なので愛する必要はなく、むしろ憎むべきなのだ」と言い張ったのです。そこでイエスは「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」と教えました。

また、金持ちの青年がイエスに「永遠の命を得るには、どんな善いことをすればよいのでしょうか」と尋ねた際、イエスは十戒を示した後、「また、隣人を自分のように愛しなさい」と付け加えました。そこで青年が「そういうことはみな守ってきました」と答えると、イエスは「行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい」と教えますが、青年は悲しみながら立ち去ります。青年は貧しい隣人への愛よりも自分の持つ財産への愛を優先したのです。そのようにイエスは、熱心な信仰者でも掟を守り切れない弱さを持つことを明らかにすると共に、人はただイエスに依り頼むことを通して救われることを教えました。

そして、ある律法の専門家がイエスを試そうとして「何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか」と尋ねた際、イエスは彼に質問を返し、「あなたは律法をどう読むか」と尋ねます。律法の専門家は律法を引用し、「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また隣人を自分のように愛しなさい、と書かれています」と答えます。このように、神と隣人を愛することは、イエスだけでなく当時の人々にとっても信仰者の生き方の基本であると考えられていました。
ところが、その律法の専門家は自分を正当化しようとして「では、私の隣人とは誰ですか」と質問します。この行動の裏には隣人の範囲を限定し、隣人でない者を愛する必要はないと解釈し、隣人愛の命令を拒む邪な思いがあります。それを見抜いたイエスは、かの有名な「善きサマリア人」の譬え話をして、「誰が私の隣人か」などと問う前にまずあなた自身が誰かの隣人になれと教えたのです。イエスは神の子でありながら地上に下り、罪人たちの隣人となって生きた人です。

まとめて言いますと、「隣人を愛しなさい」との戒めは、モーセの時代からずっと教えられてきたのに踏み躙られてきたという現実があったので、イエスは改めてこの戒めの本質を教えたということです。そしてイエス自身が隣人を愛し尽くし、最後には自分の命すら投げ出したのです。

【補足コメントについて】

昔からキリスト教圏だった欧米の人々が戦争を繰り返しているのは、まさにイエス・キリストによる救いの必要性を示しています。律法を与えられ、正しい道を示されていたユダヤ人も掟を守れず、律法を守っているふりをして自分たちの善行を誇り、律法の精神を蔑ろにしていることをイエスは暴きましたが、同じことが現代の世界にも当てはまっています。違いますか?
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この回答へのお礼

大変詳しく教えていただき、みなさん、ありがとうございました!

お礼日時:2024/07/27 13:59

その方がいいからでしょう。

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4つある福音書の内、「マタイによる福音書」しか読んでませんが、


「隣人を愛しなさい」は出て来なかったですね、後世の布教者が、
布教に都合が良い言葉なので、付け足したのでは・・・?

福音書を読んで判らない所ばかりでした、教会の神父、牧師さんに
尋ねるべきなのでしょうが、興味本位でよんだだけなので、そこまでは、
最初からするつもりはなかったです。

ここに投稿しても、良回答は得られないので、教会に行きましょう。
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同性愛が分かっていたのですね。

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それ、聖書の「よきサマリア人」のくだり、でいいよね?



この時の時代背景は、
キリストの布教場所の地域のメジャー宗教は、ユダヤ教。
サマリア人は、非ユダヤ教徒。

以上の条件の元で、サマリア人のくだりの意味は
・隣人とは、主義主張が同じ者のことではなく、主義主張が違っても
 互いに助け合う者を意味する。

サマリア人は非ユダヤ教徒、という前提がすっぽ抜けると、
>愛すべき隣人は同じキリスト教徒限定
という、真逆の結果になります。
で、現実の世界史、真逆の結果なんだが.....
この回答への補足あり
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畑にできたナスやきゅうりを


時々
持ってきてくれるから
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きっとイエスは勉強家で、中国の墨子も勉強してその兼愛思想に共鳴したのかもしれません。

多分違うと思いますが、その可能性はあります。
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十字架を背負って歩いていたら石を投げられたから

この回答への補足あり
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それが正しい行いだと考えていたから、言ったんですよ。

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歴史的にキリスト教徒の行動を観ていると、愛すべき隣人は同じキリスト教徒限定ですね。

異教徒はブチ殺すことが正義。

だから、「隣人を愛しなさい」と言う言葉は、キリスト教組織の結束を固めるため。
この回答への補足あり
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