性格いい人が優勝

「手作りでもお惣菜でも栄養価は変わらない」小児科医が「子どもの食事がお惣菜でも罪悪感は不要」と言うワケ
https://president.jp/articles/-/78479
>『増補 母性神話の罠』によると、三歳児神話のルーツは大正時代にあるようで、むしろ当初は声高に「母親が家で子どもの面倒を見るように」と言わないと定着しなかったそうです。

>それまでの日本は、大家族で、地域ぐるみで子育てしていました。大勢で子育てしていたわけですから、母親ではない人が作った料理を食べることも少なくなかったでしょう。

これを信じるならば母親に育児をどんどんやって貰おう(良いか悪いかはともかく)
として三歳児神話が生まれ、それが極端に広まってしまったのが後の時代という事なのでしょうか?
母親が家で子どもの面倒を見るというのが昔は定着しにくかった理由は、昔の人は後の昭和時代のような専業主婦が多かったわけではなく女性も働いていたから・・というところかもしれません。

そう考えるとこの先の未来の人は「この社会はなんでパパ、パパうるさいんだ?」「平成・令和の父親の育児はあまり定着しなかったからパパ、パパ言うしかなかったんだよ。その時代からパパ、パパ言うようになったんだ」なんて会話しているのでしょうか?

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A 回答 (4件)

大正含め昔の日本人の大半は農家です。


大家族で母ちゃんもお父ちゃんも兄ちゃんもみんな田んぼを耕していて、給料取りなんぞいなかった。
サラリーマンなんてものができたのは高度成長期の頃で、比較的近年の話です。
田舎から大量の若者が都会に出て給料取りになり核家族化が進んだのです。
とここまでくれば分かると思いますが今と昔では職業や家族の形態からして違うのです。
今の家庭の感覚で考えてはいけません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2024/07/26 21:46

明治時代と大正時代に日本の食文化が根底から変化しているのです。


サザエさんのように、ちゃぶ台で家族揃って料理を食べるようになったのが大正時代。
ちゃぶ台の「ちゃぶ」ってチョップスティックの日本語読みであってアメリカ文化の模倣品。
江戸時代からずっと日本人は箱膳で個食で家長と長男から食べ始めて、女性は奥方で男性と別に食事をしていました。

三歳児神話が大正時代に極端に広まったのは、婦人公論や主婦の友など女性誌が生まれて、主婦業の情報化が発生し、料理レシピや家事や子育ての知識の均一化したため。
この流れは1990年代の女性ファッション誌まで女性誌による恋愛至上主義や定型化された結婚観、ブランド信仰の女性のマニュアル化が続き、2000年を境に晩婚化で崩壊します。

この質問内容の根本は、マスコミの発達による女性の口コミの100年史なのです。
だからすでにマスコミが衰退し、ネット化され個人化の噂話が進んでいる未来は、想像と違うものになります。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2024/07/26 21:46

昔の人は偉いよね。

こういうのを経験で知っている。七五三がなぜ7歳で終わるかってのは、7歳まで生きたからだ。死にやすいのを知っていた。これも医学的に証明されている事実。7つの子、「行きは良い良い帰りは怖い」7歳までは死んでも神の子なので神のもとに逝けるが、それ以降は人の子でいろいろなことがあるよという歌だよね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2024/07/26 21:45

脳科学では、性格の形成が3歳で決まることは論証されている。

喜怒哀楽の回路の遣われなかった部分を消していくんだ。で、哀しみに特化しやすいHSPとかが生まれる。これだけ離婚が多くなると納得できると思うし、離婚家系とかも言うよね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
3歳で決まっても、母親が見たほうがいいは別の話のような気がします。母親だから特別、でもないんですよね。

お礼日時:2024/07/26 21:45

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