1つだけ過去を変えられるとしたら?

複数人が埋葬されている古墳について、田中良之や清家章による調査結果です。

古墳前期には、「兄弟」(兄妹なども)が埋葬され、
古墳中期には、「父系」が埋葬されているのが、が目立つそうです。

ところで、文献上(記紀)では、7世紀の天智・天武天皇まで、「兄弟」による政権の継承が続いていました。

質問は、「兄弟」から「父系」への政体の移行に関し、古墳と記紀の食い違いについて解説して下さい。

A 回答 (4件)

>文献上(記紀)では、7世紀の天智・天武天皇まで、「兄弟」による政権の継承が続いていました。



かならずしもそうではありません。天智・天武天皇以降でも「兄弟」による政権の継承は普通にあります。

天皇系図(宮内庁)
https://www.kunaicho.go.jp/about/kosei/keizu.html
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この回答へのお礼

質問は、「兄弟」から「父系」への政体の移行に関し、古墳と記紀の食い違いについて解説して下さい。

お礼日時:2024/08/17 10:28

>古墳と記紀の食い違いについて解説して下さい。


古墳への埋葬は、学者先生も詳細は解って居ないと思いますよ。
天皇陵墓と思われる物は宮内庁が調査を許可していません、
その他の古墳は盗掘されていますから、埋葬品が殆ど残って居ません。

古事記は伝承で伝わっていたのを、万葉仮名で取りまとめた巻物。
日本書紀は日本の歴史として編纂された正史で、漢文で書かれています。
日本書紀には古事記に記載されていた出雲の事は記載されてません。

これ以上の事は、歴史学者先生の著作をお読み下さい。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございます。
古墳への埋蔵については、残っている人骨間の分析によります。

お礼日時:2024/08/17 17:16

あまり詳しくありませんが、天皇(昔は大王)継承は当初は兄弟間が普通であったようです。

これは寿命が短かったり疫病など不慮の死が多かったことから、子の世代が育つまでそのようにしていたとも言われているようです。
時代が進むと親子(父子)での継承に変わっていったようですが、日本書紀の記述などでは本来は兄弟間の継承を親子間の継承に書き換えているのではないかといった疑問もあるようです。

ただそれ以上に、記紀の記述から当初は末子継承であったことが考えられています。神武天皇の兄は大阪の戦いで戦死したことになっていますが、これは本来は単に末子継承だったのが、その意味が分からなくなり兄が戦死したことで継承したという話に変わったという説があったりするようです。
末子継承はモンゴルなどの遊牧民に良く見られるもので、これを基に騎馬民族説なども唱えられましたがコレは大ウソですw ただモンゴルとの繋がりは近年明らかにされつつあり(私の感想ですw)、末子継承が日本に残っていた可能性はあると思っています。
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この回答へのお礼

質問は、「兄弟」から「父系」への政体の移行に関し、古墳と記紀の食い違いについて解説して下さい。

お礼日時:2024/08/17 10:27

天智・天武天皇以降も普通に兄弟姉妹継承はありますよ。

今も現天皇の第一継承者は弟です。

ただ、父系相続が優先されやすくなったのは、天武~持統天皇時代の豪族連合国家から律令国家への転換が上手く行き、中央集権官僚国家が非常に上手く出来上がったことが関係しているでしょう。

豪族連合国家の頂点としての天皇家時代は、他の豪族に覇権を乗っ取られる可能性が強かったので、非力な幼い子供や女性を天皇にすることが難しく、ゆえに兄弟継承が主流だったでしょう。

しかし、豪族を廃止して中央集権官僚国家にしたということは、すべての権限が中央官庁に移管されたということですから、天皇を補佐する体制が著しく強化されたことを意味します。つまり、天皇自体が大人の男性である必要もなくなったというか、官僚のトップである太政大臣や左大臣からみれば、むしろ天皇は非力なほうが御しやすいという話にもなるわけです。
それが天武・持統以後は父系継承の割合が増えて行った理由でしょう。
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この回答へのお礼

質問は、「兄弟」から「父系」への政体の移行に関し、古墳と記紀の食い違いについて解説して下さい。

お礼日時:2024/08/16 09:49

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