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弥生文化は、水田稲作を契機にいております。
稲作は、九州北部から日本の東に広がりましたが、朝鮮半島南部も同時期に普及しています。
両者では土器・金属器もよく似ています。
したがって、弥生文化は、対馬海峡を挟み、朝鮮半島南部から日本列島の東部までを含む、と思いますが、
どうでしょうか?

A 回答 (3件)

弥生文化は、日本列島において紀元前3世紀から紀元3世紀にかけて栄えた文化であり、その特徴的な遺物は土器や金属器です。

 水田稲作の導入が弥生時代の重要な出来事であり、これによって農耕社会が発展しました。

朝鮮半島南部と日本列島の間には対馬海峡があり、両地域の文化交流があったことが考えられています。 具体的には、以下の点が共通しています。

水田稲作:
弥生時代に水田稲作が普及しました。これは、水田での稲作を通じて穀物を生産する方法であり、日本列島全体に広がりました。
朝鮮半島南部でも同様に水田稲作が行われており、両地域で農業技術が共有されていた可能性があります。

土器と金属器:
弥生時代の土器は、特有の形状や装飾があり、日本列島全土で見られます。これには土偶(どぐう)や土器墓などが含まれます。
朝鮮半島南部でも同時期に土器が発展しており、形状や装飾に類似点が見られます。
金属器も両地域で似たような技術や様式で作られていました。

文化交流:
対馬海峡を挟んで両地域の文化交流があったと考えられています。 この交流は、土器や金属器の類似性にも反映されている可能性があります。
したがって、弥生文化は日本列島全体に広がり、朝鮮半島南部とも関連があったと考えられています。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございました。
対馬海峡の両岸はほぼ同じ文化であり、同一の文化(弥生文化)の範囲としてとらえてよいのですね。

お礼日時:2024/08/21 17:14

韓国の正しい歴史では、その事を否定しています。


韓国南部で発見された前方後円墳や刀(日本刀)の技術は、兄である
韓国が弟の倭国に教えたのだと、学校で教えてます。
日本側の調査も拒否しているので、解明は進展支那でしょう。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございます。
両国とも、文化が異なる、と認識しているのですね。

お礼日時:2024/08/21 17:16

紀元前4世紀ごろ、朝鮮半島など大陸から移り住んだ人々によって、稲作が九州北部に伝わり、やがて東日本まで広まりました。

人々は水田に適した場所に村をつくっています。秦の始皇帝に不老不死の薬を探せと言われた人が一族を引き連れて日本に移り住んだとか、朝鮮の戦いに逃げてきた人が移り住んだので高麗の優れた青銅などの技術が持ち込まれています。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございました。
対馬海峡の両岸はほぼ同じ文化であり、同一の文化(弥生文化)の範囲としてとらえてよいのですね。

お礼日時:2024/08/21 17:13

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