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国立国会図書館デジタルコレクションで検索したら、安政6年生まれの曾祖父が明治36年
明治39年の帝国鐵道の職員録に記載あり、
明治23年に三重県にはじめて鐵道驛ができた翌年に亀山の下之庄という驛の驛長でした。
いまは無人駅ですが当時は木造の驛だったそうです。
まだ三重県には数個の驛しかない時代です。
亀山藩の上級士族で槍の指南して、警邏になったと聞いてました。
西南戦争の時、18歳の若者です。
抜刀隊に参加したので、驛長にしてもらえたのかなと思いますが?

質問者からの補足コメント

  • 山口県にある私立防長教育會という西南戦争の後にできた団体の會長のなかにも名前ありました。

      補足日時:2024/08/21 21:16

A 回答 (4件)

御本人に統率力が有って、努力を重ねたからでしょう。

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この回答へのお礼

どうもありがとうございます。
にこやかで人柄もよく、社会貢献の気持ちの強い人だったそうです。

お礼日時:2024/08/22 10:36

よかったですね。


歴史上の人物に成れるとはすごいですね。
英雄じゃないですか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
国立国会図書館に驛長として永遠に保存されるのですから、素晴らしいことですね。

お礼日時:2024/08/27 20:24

明治40年までは私鉄(関西鉄道)だったので官員での地位は関係ないでしょう。


警視庁を辞めて故郷に戻って関西鉄道に就職したのでは。
どちらかと言えば地元の名士だったので駅長になれたのでしょう。
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この回答へのお礼

どうもありがとうございます。
山口県に西南戦争後に山縣有朋氏のつくった私立防長教育會団体設立に出資金をだして會長になりました。それで地元
の三重県で鐵道省驛長や電燈業に力いれたように思います。

お礼日時:2024/08/22 02:34

なんで警察を辞めたんですか?留まったほうが高位に登ったでしょうに。

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この回答へのお礼

コメントいただきありがとうございます。
西南戦争での官軍山縣有朋氏の出身は山口県です。
西南戦争後、山口県出身で優秀な人物に奨学金を与えて育成する団体の會長になっていたようです。これからの鉄道や電燈事業方面で活躍する基礎のようです。

お礼日時:2024/08/22 02:25

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