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人を見下すのは最低ですが、しかしこれは仕方ないことなのでしょうか?
人間平等なんてあり得ないと分かってても、そう接しなければならないという倫理観は働く。
それでも自分より容姿も知性も経済力も血筋も劣る相手に対して無意識に格下判定をしている自分が嫌いです。
性格が良いとか悪いとかの問題じゃなくて、とにかくヒエラルキーを意識してしまう、これって仕方ないことですか?
治らないんです。

質問者からの補足コメント

  • 自分が底辺スペックだったらこんなに人を見下すことなんてなかった、色々な人々を尊重できてこんな嫌な奴にはならなかったんだと思う、、、

      補足日時:2024/09/28 12:42

A 回答 (29件中11~20件)

まあ、格下判定と言ってもその基準は生きてるうちにコロコロ変わりますよ。

あなたは人を差別すべきでない、という倫理観をお持ちなようなので、それを前提にお話します。
 私がまず投稿を読んで感じたのは、それは「差別」じゃなく「区別」じやないの?、ということです。「差別」と「区別」の違いはおわかりですか?ググっていただければすぐわかると思いますが、前者は対象を区分けして、不利な扱いをすること、後者は単に区分けをさること、です。なので「心の中で」相手を貶めるだけでは前者にならず、あなたの言動にそれらのニュアンスが反映された時にはじめて「差別」となるのです。あなたが冒頭に挙げられた人たちを心の中でそうした「差別意識」をもってみてしまうことで悩んでられるらしいですが、それは「現在のところこれらの人達からは何も得るものがない」と区別してるだけなのじゃないのかな、と感じています。人間は基本的に脆弱な生物なので、自分の周りの対象を「区別」するのは生きるための本能的な習性なのでやめることはできないと思います。
 ですが、冒頭に書いた通り、その区分の基準はあなたの成長と共に、どんどん変わっていきます。何故なら世の中実際にやってみなければわからないことだらけだからです。少なくともそれらの人達はあなたの想像すらできない世界を生きてこられているのです。うわべの世界だけでなくそうした世界に興味をもったら、彼らへの評価を変わってくるかもしれません。まあ、彼らへの差別意識をなくすために無理にそうしたせかいに興味を持て、と言ってるわけではありません。ただ「世の中、いろんな環境下で精一杯生きているいろんな人がいるんだなあ」くらいにざくっと感じてくれたら少し緩和されるのかなあ、と思います。
 「人みなわが師」と言うことばがあります。自分と違う人生を歩まれてきた人からは必ず学ぶべき点がある、ということです。彼らは決して世の中に不要な存在ではありません。その人にしかできないことをやってるわけでなくても、そこからなにを感じて生きてるかは人それぞれで、唯一無二のものです。だから世の中にあんなに多少フィクションを加えられた小説や映画が溢れているのです。何かのドラマでも言われていましたが 「事実は一つだけどそこに込められた真実は人の数以上にある」のです。こらを知ることが人と付き合う楽しみの根本です。
 失礼しました。話はだいぶそれましたが、そうした人たちはあなたが知らないことを知っている人たち、
だと区別して、目についてイラつくなら当面は距離をおいて、無視するくらいでもいいかと思いますよ。長々と失礼しました。
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愛の視点をもってないから


不幸感覚になるって事じゃないの。

比較は幸や不幸の
判断基準になるけれど

性格が良い見方が
主さんにとって幸福感覚になるって
ことなんじゃないかな。
だから見下す見方を問題視してる
自分がいるんじゃない。
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>人を見下すのは最低ですが、しかしこれは仕方ないことなのでしょうか?



さあ、私には仕方のないことか良くないことかは分かりませんし、もしかしたら偉ぶる、見下す、下を見て優越感に浸るのは本能なのかもしれませんが、少なくとも私は一番イヤらしく感じ、嫌いな類の人間かもしれません。

きっとまだアナタはとてもお若いかたなのでしょうかね……。
おいくつか分かりませんが、人と競い合い、人より抜きん出て、いい学校を出て、良い仕事につき、経済的にも恵まれ、成功者になり……。
そんなことを幸せの象徴だと思い込んでる人は、私はそれだけに一生を捧げて終わるようで、なんだか滑稽で哀れなような気さえしちゃいます。

常に誰かや周囲を意識し、競い続け、1ミリでも自分の暮らしや地位を落とすことに戦々恐々とし、遊ぶ相手も楽しい時間を共有する友人や仲間さえ、あなたの経済力についてこれないので居なくなり、寄ってきてくれる相手には金目当てや下心あるのでは?と疑って掛かるので、人間不信の疑心暗鬼にもなる。

地位が上がれば上がるほど、気持ちが忙しくなり、孤立し、孤独でお金は腐るほど溜まっても楽しく使う暇すらなくなる……。

満足感や安心感の得られぬスパイラルの突入に紛れ込んでしまう虚しさや虚無感を感じないだろうか?
と、私のような学問も知識もなく、ヒエラルキーの底辺にいる人間は、上を見上げ、そんな空想を働かせながら、私はお気楽で良かったわε-(´∀`; )
と、ホッとしています。٩(^‿^)۶

年金の足りなさにため息を吐き、無いものねだりをしながらも、日々、如何にお金をかけずに楽しむか、とか、如何にこの食材で美味しいご飯を作ろうかとか、工夫したりしながら、節約し、偶〜〜〜〜に美味しいものが食べられたり、たま〜〜〜〜に夢だった一泊旅行に行けたりするからこそ、ウハウハ、ワクワクでき、人生ってこんなに楽しかったりする日もあるのね❣️と喜べる気がします。

貧困でもたまの楽しさに感謝でき、喜んで謙虚に生きている人々の方が、笑顔もピュアで、幸せな気がするのは貧乏人の僻みかもですね(^^;;
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見下したい心理は、裏腹な感じですが、相手に羨ましいところがあるときに生じる意識なんだそうです。



だから羨ましいと思う自分はまだまだだなと思って帰ったら筋トレと勉強をがんばる、それだけです。
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悪い癖が、直さずそのままついてしまった状態。


早いうちに気づいて直すよう心がけるべきことだったと思う。
そして、そうなる傾向が少しでも出たなら、日々気をつけて、修正蛇を打ち続けなければいけないこと。
そうしていれば、その悪の心の根底を洗い出し、直し、捨てる願いが湧き出す。
粘り強く丁寧に抽出し、捨て去ること。

虚心から侵入されないように常駐監視すること。

汚悪な心は根こそぎ捨てること。
何度も捨てること。
検出、抽出、捨てる自己手法を磨くこと。
その悪の心の根を、心から要らない、無くそうと思うこと、祈ること、決別すること。
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追記です


奢れるものも久しからず

が、なぜか消えてました
先程の文の中の言葉です
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平家物語の有名な「沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす、ただ春の夜の夢のごとし…」という言葉を思い出しました



知り合いで、他人をここまで言うか?ってほど、蔑んだ言葉を言い続けてた人が、とあることをきっかけに地に落ちた人が、いたんですよ

ご自身で気づかれたなら、これをきっかけに意識改革した方が、幸せになれそうと思いました

他人事を自分事と思えるかどうかがポイントと思います
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人を尊敬する心があるなら、見下す心を持っていて当然です。


人間世界は2つでワンセットです
暑い寒い、大きい小さい、右と左、幸福と不幸
どっちか1つだけというのはありえません
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人を見下すのは自分と同程度の人だから見下しているんです。


高校、大学ならクラスの人。
この場合も学力は差があれど外から見ると同じです。

会社であれば、同じ会社の人物。

世界には、その日食べるものすらない人が15%もいます。12億人。
この人たちを見下したり、自分と比較する人は少ないでしょう。

自分は世界的に有名な会社の社長である。
この場合、年収300万、500万、800万の人たちは、
どうでもいいというか同じくくりなので見下しません。
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だから私はアナーキーとか共産主義とかベーシックインカムとかの方がいいと思うんですよね。

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