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私は、いわゆる阿部謹也氏の「世間学」をもっともだと思っているのですが、そうやって「世間」を問題にしても、「世間」の人たちは、そもそも「世間」を問題だとは思っていないようです。また、「世間」に関する死刑などの問題も単なる日本という国の好みの問題に過ぎないと思っているらしく、日本が中世のから近代に移行していないとは考えていないようです。外国人からの批判も単にはうるさいとしか思っていません。「世間」というシステムに内包する差別性などはどうでもよいらしいです。

私は、「世間学」の問題提議はもっともだと考えていますが、「世間学」の今後の展望などを教えて下さい。

よろしくお願いします。

A 回答 (1件)

「世間学」は尤もな学説であると思うが、この世間学は少なくとも日本人の集団としての行動をすべて規定してしまう。


早い話が、世間学でなければ説明が付かないことがほとんどない。ひょっとしたら全くない。

つまり、あまりに扱う範囲が広すぎるため、却って埋没してしまう。

そして、この「世間学」には、社会学の致命的な欠陥である科学的な証明がない。少なくとも多くの社会学的知見が証明方法に採用している統計学的に有意な判定結果があるわけでもなさそうだ。

いくら良くできているように見えても、これでは学問的発展はないだろう。学問的批判に耐えられる学説では無さそうだ。

この手の疑似学問風の説で大成功したものに日本では「血液型占い」があり、世界的にはフロイトの「精神分析学」やアドラーの「アドラー心理学」がある。
「血液型占い」は学問的には噴飯物だったが、今でも廃れてはいないようだ。星占いよりは信じている人が多そうだ。フロイトやアドラーも学問的証明は無い所から多くの学者からは否定されているが、今でも信者は多い。

「世間学」は、上記の疑似学問の成功例ほど、成功するとは思えない。主張している事実そのものに新鮮味が無く、半ば常識化していることばかりなのでインパクトもないからだ。
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