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教えてgooで質問したら回答には、必ずお礼をしろって言われますが、それは質問者の自由だと思います。お礼をする価値ない回答だって沢山ありますし。真面目な回答には僕は真面目にお礼を書きますよ。だから無理にお礼を書く必要はないでしょう。皆さんはどう思いますか?

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A 回答 (25件中1~10件)

それでいいですね。

何が問題なんですか?
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その通りだと思いますね


ふざけた奴なんか無視でいいですから
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本当にお礼をしたい回答にだけ、お礼をすれば充分だと思います。



逆に、全部の回答に定型文で「ありがとうございます」ってつける人とか、どれか一つの回答に対してまとめて「みんなありがとうございます」って毎回同じ定型文でお礼する人とか見ると、気持ちがこもっていないのが丸分かりで、むしろ不快な感じがします。

いい回答に対しては、本当の感謝の気持ちを伝えれば、お互いに気持ちがいいと思います。
義務感だけのお礼なら不要です。
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あなたが思うようにすれば良いのですよ。


回答してやったんだからお礼もしろよというのは暴論です。
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>必ずお礼をしろって言われますが


言葉をすり替えていますよ。
そんな内容(必ずしろ)は見たことないと言ってよいほど?
お礼も「しない」しない(できない)で・・・言いたい放題・・・
お礼の一つもできずに・・・・・
その他の表現はあっても・・・・・・・・。
真面目な回答には僕は真面目にお礼を書きますよ。だから無理にお礼を書く必要はないでしょう。皆さんはどう思いますか?
そんな考えをもっていること自体がダメなんですわ。
見返りを期待しないのが、親切なら
助かった、よかった、うれしい。と感じただけで。お礼の言葉「ありがとう」が出るかどうかだけ、妙な理屈つけること自体が不自然なだけ。
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貴方が憤っているのは「相手の方が失礼な態度」をとったからですよ。



以下は長いので、興味があれば(他の方も)お読みください。

●五常(仁義礼智信)だけは強すぎるので自由度が無い

貴方は今の自分の憤りを消化できず苦しんでいます。つまりこれは「礼」が人を狂わせるほど「強い力」を持っているという事です。他者に尊重されて「礼」を尽くされた場合、感謝をする用意はあるのでしょう? そういう自分が「可笑しなルートに入り込んだ」と思いませんか?

●「礼」の強さを活用すべきである

「誰に対しても効果がある強いモノ」

があるのだと気が付いたのならば、それはチートスキルであり、活用する方向で考えるべきです。そうした発見の方に着眼するべきなんです。他の回答者の回答など貴方の人生全体には何の影響もないでしょう。無視して結構ですよ。しかし、そこに間違った反応(行動)をしたら、その一回分の間違い分だけ、自分の脳を壊すかもしれません。

●私が「礼」の怖さに気づいた理由

礼に関しては「脳の健康」に直結するので(この世界が滅びようとどうでも良く)、自分のために蔑ろにしては行けないと思っています。メンタル疾患で死にかかったことが在ります。そこから、幸福感を感じる状態まで回復するのに15年掛かりました。この時の苦労を考えれば、今更元に戻される運命だけは、断固拒否したいと思っています。回復を願う中では、「体の健康」と「礼」以外は考えないとする姿勢が(絶大な)効果を発揮しました。

●脳が壊れるとどうなるのか?

「無意識に車道に飛び出そうとする。頭が重く常に体の下を
 虫が這っているような感覚がする。自分は寄生中に侵され
 て脳が虫食いだらけになっている。癌が体中に転移してい
 る。そういう確信が常にあって泣きたくなる。少し動いた
 だけで息切れがする。心臓が痛いと感じるときが多い。
 指が痺れて小銭が握れない。凄く不器用になった気がする。
 怖いし、引退したい。どこかで癒されたい。もうダメだっ
 て気がして仕方ない。頭痛が消えない。頭が熱くて寝むる
 事も出来ない。何をしても楽しくない。早く死にたい」

こんな感じがずっと続き、強くなったり、弱くなったりします。同じ病気に罹った人は「あるある」と言うでしょう。こんな地獄を5年以上味わい続けたら、確かに死ねますよね。

●健康を取り戻すとどうなるのか?

「目を閉じて考える(瞑想ですかね?)だけで、ジワリと幸
 福感が沸き起こる。頭がすっきりして涼しい。自分は強く
 健康であるという根拠のない自信が沸き起こる。難しいと
 感じることでも直ぐ答えが得られる。何でもできる自分に
 感動し、自分が素敵だと感じる。自分のヒーローだと感じ、
 全ての事が許せる。生きていてよかったと叫びだしたい自
 分が常にある」

健康を取り戻しただけで、こうなります。雲泥の差です。この違いを蔑ろにする人は阿呆だと思います。これだけの差があるのですから、世の中がどうなろうとも、誰がどう行動しようとも、どうでも良いのです。

●命がけで回復のカギを探した

私の場合は、過重労働と任務のストレスが原因ではあったのですが、悪化のスピードや回復のスピードを考えると、何らかの「強い要因」が潜んでいたと思いました。病状が進み、私の中の「まともに考えられる時間」が短くなっていきました。頭が働く時間を使って「回復のカギ」を探しました。私は過去の学会発表や企業勤めでの特許取得など、特定分野においては世界チャンピオンになったことが在ります。なので、自分の命のためにこの力を活用しました(他には音痴を治すときにも使った)。

●研究と分析と言う力

この力・・・と言っても、研究者(学者さん)が当たり前にやっている事をやっただけです。サンプルを探して共通項を調べる。要因と思われる候補を検証する。実験をして相関性を確認する。メカニズムの仮説を立てて、(偶然の効果以上に)効果を高める別の方法を発案するわけです。


●サンプルはどう選ぶのか?

自分の発狂と生命の危機の解決に関して、以下のサンプルを選びました。

・人生が失敗したと言ってネットで暴れる人や凶悪犯罪者の態度
・人生が成功したという評判の経営者や政治家の言動や過去の聖人の記録

●サンプルをどう活用するか?

前者が発狂する人のサンプル、後者が栄達し幸福な人生を歩むサンプル。前者に見られる共通項が、後者のサンプル群で逆になって(共通して)いれば、ほぼほぼ確定でしょう。そして、自分を振り返り、思い当ることがあれば、間違いないでしょう。対策も考えやすくなるはずです。

●その共通項は?

「凶悪犯罪者の殆どが失礼であった。逆に聖人、為政者、成功者
 の殆どが失礼に対して耐性があり、その上で礼儀正しかった。
 つまり一般人が好む愛情や優しさは『発狂』に関して全く関係
 なく、礼だけが要素だった。優しいと言われている聖人は礼に
 関してもシッカリしていたのだ。優しさを尊ぶのはミスリード
 であったという事だ」

自分の思いやりや優しさ、知性やスキル。これらを自慢にしている人も、礼を失えば発狂するという事です。仁義礼智信は独立した要素であり、脳の健康に強く影響しているのは、「仁」や「智」ではなく「礼」だったのです。

●過重労働で疲れてしまい他人に失礼な態度をとっていた

私が加速度的に悪化した原因は「礼を失っては行けない」という精神防御を壊したことです。この妥協により、助からない道(人の道を踏み外した)へ突入したんです。軽々しく妥協しては行けない項目だったという事です。

●死ぬ間際の状態だと如実にわかる

「起きている時間の殆どは苦しくて動けない」

ここまで来ると、自分が「失礼」を働いたとき、激しい頭痛が襲います。この激痛が酷くて「ムキー」とか「クケー」とか叫びたくなるんです。逆に「心を落ち着けて失礼のないように考える」と楽になるんですよ。これを体験して、西遊記に出てくるキンコキョウの意味が分かりました。傲慢と失礼を繰り返して、メンタル疾患に陥った悪漢(孫悟空)を仏教のお坊さんがメンタルケアしたという話だったんです。

●健康な人が「礼」の重要度を体感できない理由

「1億円も資産を持つお金持ちが、500円損をしても
 重要と思わない。しかし、これを毎日、何回も続けて
 いたら、いずれは500円の重みを知る」

つまり、健康な人は「失礼」が脳を壊しているという事実を認知し辛いんです。逆に壊れ切った状態ですと、もう後がないので、激痛として確認できるという訳です。健康であろうと、死にかかっていようと、脳を壊す思考は避けるべきでしょう。逆に「礼」を意識すると、健康を取り戻せます。健康な状態でも続けていると、頭が良くなり、聖人に近づくという訳です(人の道と言われます)

●一般の人が加齢とともに発狂する理由

仏教では(普通の人は)65歳(くらい)で発狂すると伝えているそうです。これは、病気を治すために(研究していた時に)知った情報です。臨済宗のお坊さんが(ブログで)過去の偉大(と言われた)お坊さんが後輩に向けて残した内容が書かれており、そこにあったんです。私の母が統合失調症になったのが同じ65齢です。ドキッとしました。

●母は普通の人だったのか?

誓って言いますが、若いうちの母は現代の若者よりしっかりしており、良識的でした。その母が徐々に壊れていく姿を見ました。思い当るのは「感情的になりやすく、その時は目上の人にも(報復として)失礼な態度を取る」ことがあったんです。つまりこれが「普通の人」の世界観(失礼な態度で報復してよい)であり、発狂から逃れられない原因なのです。

●蓄積と言う怖さ

失礼を行ったときに脳が壊れます。これが徐々に蓄積し、耐久出来なくなる年齢が65歳という訳です。うちの父が他人に失礼な態度を取った記憶がありません。母は70代で死にましたが、父は90歳を超えてまだ生きています。しっかりしていると思った母(昔の人は道徳にうるさかったので現代人と比較してかなり立派に見える)が65歳でエンドです。

●その仮説が正しければ20歳代でメンタル疾患?

母が65歳で発狂であるならば、道徳(五常:仁義礼智信)が失われた現代では20歳代で発狂している人が多いはずです。まさかと思いましたが、専門医が言うには若者の100%が軽傷・重症のうつ病に罹っているそうです。ここまで行くと疑う余地がありません。

●礼は自分の命をつなぐために採用する道具

「他人の態度など関係なく、自分の脳を学習させるために
 礼の実践を行う。相手がいなければ学習機会がないので、
 充分な学習が出来ないまま年を取る危険がある。加齢が
 襲い掛かかれば、そこでエンドとなる。どんな出会いで
 あっても、一回分の『礼を尽くす』試行をしておかない
 と勿体ないのである。これを一期一会と言う」

自分の発狂を防ぐためだけに出会い(脳学習の一回の試行と捉え)活用するのが一期一会の真実です。誰もが65歳で発狂する(仏教の高僧しか知らない話)という真実を知らない人は、解釈を間違うのです。

●まとめ

「若くして発狂する自由」を選ぶこともできます。それが嫌なら「誰に対しても礼を失わない」と言われる方を選びましょう。その代わり、思いやりがないとか、優しくないとか、誰かに批判されても無視してください。他人の評価はどうでもよいのです。礼の怖さに気が付いてない批判者は「失礼な態度」でポリコレ的攻撃をするでしょう。これらの人は「どうせ助からない」のです。

以上、ご参考になれば。
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その通りだと思います

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お礼、というのは、わざわざあなたの質問にめをとめてくれてきちかな時間をさいて、解凍してくれた行為に対してですよ。

回答の内容に対してではありません。有意義な回答がもらえないのは、なぜそれがしりたいなどその質問の目的が曖昧でわからないからです、何故ってそれによって答え方が違ってきますからね。これは自分の体験からも感じることです。そう反省して補足で情報を追加したらかなり有意義な回答をいただけたことごありますよ。
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礼に始まり礼に終わる


三歩下がって師の影を踏まずとの教え
今は
三歩下がって生徒に殴られずとなっております
教えてgooも
時代に合わなくなりました
Googleの検索で間に合う事になりましたので
御礼をするもしなももう時代から取り残さて
きたという事です
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もう一言。



この手の質問の回答者には、お礼を書くことを「見返り求め」だと思っている人が必ず数人いますが、道を尋ねて教えてもらったら、ほぼほぼお礼はしますよね?

それと同じで、求める方資質や見返り云々の話では無く、尋ねて答えをもらった者としての最低限のルールや資質の有無だと思います。

※喧嘩を売る様な嫌がらせ回答については例外です。
あくまでも一般的なまともな回答に対してです。

中には、真摯な苦言のことも、嫌がらせ回答、誹謗、中傷と一緒くたにしかできない愚かな人もいますので。
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