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扶桑社の歴史教科書に賛成ですか?

A 回答 (46件中21~30件)

初めまして、私は扶桑社の歴史教科書に賛成です。


さて、先の大戦をどのような表記にするかで、少し議論がなされているようですが、私の意見としては、
日本では、大東亜戦争という表記が正しいのであれば、日本の教科書としては、第2次世界大戦と表記するよりも、むしろ大東亜戦争と表記する方が好ましいのではないかと思います。
大東亜共栄圏という侵略計画から出てきた言葉であろうと、それが事実ならば一部の大人の判断や強権によって歪曲しない方が良いと思うからです。
歴史的事実は正しく教えるべきだと思います。
その事実に対する価値観や歴史認識は、各国、各人によって異なると思いますが事実は正確に記述すべきです。
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No.25


> 質問者さんが、回答者同士の討論は歓迎です。とおっしゃっ
> ているので、議論を続行しているまでです。

 その点は私は見落としていたので、ここは撤回します。

No.25
> それに私の回答に議論を挑んでこられたのはNo、2さんの方
> であり、No、5さんの方です。

 「議論を挑んで」かどうかはそれこそ主観ですね。「ここをごらんになっている方」が決める話でどうでもいいことなのですが、実のところ私は事実認識や論理展開の間違いの指摘をしているのであって、議論などしてはいないのです。
 でも、質問者の方が歓迎しているようですし、議論をするのもいいかもしれませんね。

No.25
> それに論破されたかどうか、はここをごらんになっている方
> が決めることだと思います。

 議論もいいかと思ったのですが、どうも思考停止しはじめたのではないでしょうか。自分の発言の自己評価もできなくて、何が「議論」なのでしょう。
 あと、「ごらんになっている方」で、STIgdb さんの言と意見を同じうする人がゼロという事実については、どう考えているのでしょうね。一応述べておくと、「賛成」「反対」という話ではなく、STIgdb さんが挙げた論拠についての話です。

No.24
> と問題提起をしています。この部分を無視して議論を進める
> のはおかしいと思います。

 それに対しては、私が既に答えを出しています。そしてそれに対し、STIgdb さんは何も反論ができていませんが、それについてはどう考えているのでしょうね。

No.24
>  これが事実とすれば、教育委員はその任務を全うしていな
> いとしかいえません。正しいと思ったことをきちんと決める
> ことが教育委員の責任であるはずです。
> 騒ぎが怖いから決定できないとすれば、それは教育委員の方
> に問題がありますね。

 テロリストの要求に屈するのは、テロリストが悪いのではなく脅迫された側が悪いと考えているわけですね。

 それとも、反対運動家が教育委員会のメンバーの自宅住所リストまで作って公開し、採択取り消しをさせたという参照 URL にあるテロ事件を、知らないのでしょうか。

 いずれにせよ、その認識は誤りです。

No.24
> それから杉並区の騒ぎは反対派だけが起こしたものだけでは
> ありません。賛成派も多数押しかけ不穏な雰囲気になったこ
> とも申し添えておきます。

 これも、左翼がよく使う論法ですが、そんなことで採択反対派のテロ行為が相殺されたりはしないのです。反対派の行動は単なるテロで、賛成派の行動はテロからの防衛です。

 反対派がこのようなテロを行うのは、参照 URL にある事件のような「成功体験」があるからで、そのような実力行使をする相手に実力で阻止を図るのは当たり前の話です。テロリストには、所詮言葉は通じないのですから。
 もし賛成派が押しかけなかったら、テロリストたちは暴力で自分の要求を通そうとしたでしょう。それは、暴力で自分の要求を通したテロリストたちの実績から、明らかです。

No.24
> また、いろんな形で反対、賛成を唱えるのは悪いことではないです。

 当たり前のことですが、テロは認められていません。

No.24
> それを封じることこそ戦前の治安維持法の考えにつながることだ
> と思いますが.
> 治安維持法が日本をどのような方向に導いたかは、歴史が証明し
> ていると思います。

 まず、治安維持法で死刑になった人はゼロです。取調べ中に死亡した人はいますが。
 それに対し、中国では文化大革命、天安門事件と、桁の違う大量殺戮を行っています。ポル・ポトやスターリンも同様です。左翼思想の行き着く先がそれであり、実のところ治安維持法は日本の共産主義者を摘発し活動を抑えることが目的だったので、政策としては正しいものだったということが、結果的には言えます。
 100人が死ぬ政策の方が、1万人が死ぬ政策よりもマシですから。
 そういう意味で、左翼思想の残虐さとそれを防ごうとした先人の知恵を、歴史が証明しているとも言えます。

 しかも、治安維持法が国を何か導いたかのようなことを述べていますが、それは誤りです。既に国が一定の方向に向かっていた中で治安維持法が作られたのですから、因果関係の認識が逆ですね。

 ものごとには、いろんな側面があるということを踏まえましょう。

参考URL:http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Stock/8618 …

この回答への補足

今までの意見をまとめてみました。
賛成派
・検定に合格した教科書ならどこの教科書を採用しようが自由だと思います。
・南京虐殺などが記載されている教科書などよりは、日本人の教育のため適切です。
・大東亜戦争と正しく標記されていること。
・神話から入ることによって日本人と欧米の宗教観の差が解りやすい。
・大東亜戦争と太平洋戦争の表記の差は、国がどのように国民を合法的に納得させたか、あるいは欧米の視点から日本の戦争をどの様に見ていたか考えるのに良い材料
・日本が経済封鎖された背景についても考える必用がある。
・自虐史観で歴史を教える国は他にはない。
反対派
・歴史の教科書に神話を載せる必要がない。
・昭和天皇の記述に重点を置きすぎている。これは、明らかに戦前の天皇中心の体制を支持する内容で、明らかに現在の国民主権の社会と矛盾する。
・戦争があたかも避けられなかったような記述をしていている。
・日本が行った侵略行為について、反省の色がない。
・検定制度に問題がある。
・大東亜共栄圏という考え方を積極的にとらえている。
・太平洋戦争を大東亜戦争という呼称で呼ぶ事はふさわしくない。

先日、NHKの討論番組で町村外務大臣が面白い事を言っていました。学校教育では、先生にマルクスレーニン主義的価値観を多く持っている人がいて、近代史を教えると、どうしてもイデオロギーの問題が出てくるので文部省との間で、近代史はあまり教えないという約束事があったようです。

その番組に出演していた韓国人や中国人は日本人が歴史を知らなすぎると怒っていました。

櫻井よしこさんは歴史の多様性という面から、幅広く日本人に歴史を教える必用がるとおっしゃっていました。

そういう面から考えると選択の幅が広がった今回の新しい歴史教科書は一定の評価をする事ができるのか、もしくは日本の教科書の自虐史観を否定するというところから生まれたこの教科書が、戦前の日本に戻していく引き金になるのか、できればもう少しご意見をお聞かせください。

補足日時:2005/08/19 14:50
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 質問者さんが、回答者同士の討論は歓迎です。

とおっしゃっているので、議論を続行しているまでです。

それに私の回答に議論を挑んでこられたのはNo、2さんの方であり、No、5さんの方です。
 
 それに論破されたかどうか、はここをごらんになっている方が決めることだと思います。
おっしゃる通りここは回答の場ですので私の私見を並べているだけで、これがただしいとか間違っているとかの判断は読者の皆さんにゆだねたいと思います。

 
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#6です


 #2さんへ
 ですから言葉の端々をとらえて反論しないでください。あなたが

 >扶桑社の教科書は日本の教科書です
とおっしゃったので

 >日本の教科書だから日本だけに通じる名称を使えばいいのですか?
 という質問をしたまでです。

 その後私は
 >問題は、世界的に認められ、今まで教科書において定着してきた第二次世界大戦、太平洋戦争という言葉をあえて、わざわざ歴史の表面から消えていた大東亜戦争(これこそ戦前の大日本帝国の亡霊だと思いますが)に置き換えているかというところです。(何度もいいますがこの言葉は大東亜共栄圏という大日本帝国の侵略計画から出てきた言葉です。)

 と問題提起をしています。この部分を無視して議論を進めるのはおかしいと思います。

また、
>>こここそ、この教科書の戦前回帰、全体主義回帰の入り口となる部分であり、決して簡単な言葉狩りなどという単純な問題でかたづけられるものではありません。

 これは私個人の見解で、だから検閲が必要だなどというような議論は全くしていません。
 問題のある教科書を採択するのに反対だということが、なぜ検閲に通じるのですか?そこを明らかにして頂きたいと思います。

>戦前の閣議決定を、なぜ戦後60年もたって、わざわざ引っ張り出してくる必要があるのですか

>占領軍に使用を禁じられていました。

その後、その亡霊にとりつかれていたのです。

わざわざ引っ張り出そうが出そまいが執筆者の自由ですがね。

 占領軍が使用を禁じていた事実と期間をはっきりさせてください。
 また、その後その亡霊に取りつかれていたとする根拠を示してください。あなたが書いているようにわざわざ引っ張り出そうが出そまいが執筆者の自由。だったはずですが。


 それから戦争犠牲者の数が不正確というご指摘がありますので1000万という数は取り消します。その上で646万人に訂正します(ソースは日本大百科全書です。)

 家永裁判のあと検定制度がどのように変化したか、きちんと説明してください。
 今でも現場と関係ない政府に任命された審議官が検定を行うという形式は全く変わっていません。


>>採用の現場をご存じないようですね。

実はわたしの友人にある市の教育委員がいます。

彼の元へは各社の教科書が送られて来ます。

彼も他の教育委員も「扶桑社の教科書が最も良く出来ている」ということで意見が一致しました。

それじゃ扶桑社の教科書採用で決定かというとそうではありません。

何故か。

みな騒動が嫌なのです。杉並の例などを知っていますからね。

平和を主張しながら扶桑社の教科書が採用されそうな都市へ押しかけ圧力をかける。

こんな馬鹿な話はありません。

こんなことこそ日本を危ない方向へ押しやるものです。>
 
 これが事実とすれば、教育委員はその任務を全うしていないとしかいえません。正しいと思ったことをきちんと決めることが教育委員の責任であるはずです。
騒ぎが怖いから決定できないとすれば、それは教育委員の方に問題がありますね。

 それから杉並区の騒ぎは反対派だけが起こしたものだけではありません。賛成派も多数押しかけ不穏な雰囲気になったことも申し添えておきます。(もっとも不穏な雰囲気になったのは警察の怠慢です。混乱が予想されることがわかっていたのに十分な警備をしてなかったのですから。)
  
 また、いろんな形で反対、賛成を唱えるのは悪いことではないです。民意を示すというのは、日本国憲法で、言論の自由、表現の自由という形で保証されています。違法行為があれば警察がきちんと取り締まれば良いことです。
 それを封じることこそ戦前の治安維持法の考えにつながることだと思いますが.
 治安維持法が日本をどのような方向に導いたかは、歴史が証明していると思います。
 
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 どうも、いけませんね。

そもそもここは、「議論」の場ではなく、アンケートの回答をする場なのですが、STIgdb さんの頭からはそれすらどこかに飛んで行っているのでしょうか。

 当人の言によると「議論」をしたいようですが、それであれば事実がどうかを論じるべきであって、態度だの姿勢だの気分だのという関係ない話に論点をすりかえるのはどうかと思います。
 そのような観点からアドバイスなど交えつつ。

> その「大東亜戦争」という言葉を使うことに、こういう理由が
> あるので反対だと意見を言うのが言葉狩りですか?それではは
> じめから議論などできませんね。

 実際、議論は成立していません。する必要もないのですが、ただ、議論と言っている人物がそもそも議論をしていないのは矛盾というものでしょう。
 具体的には、例えばその「理由」が全て論破されていて、にも拘らず取り下げるでもなく主張し続けるとかスリカエをしていますよね。とくにスリカエの指摘は、私だけがしているのではありません。
 これは、「議論」とは呼びませんし、もちろん「回答」ですらありません。

> さらに自分と違う意見を持つものに対して

 ここが違います。違う違わないではなく、発言者の姿勢として正しいか間違っているかです。矛盾した発言をし、スリカエを行うものに対して、「愚か」だとか「妙なイデオロギー」だとか「罪深い」という評価は、適切です。

> また、わずかな例をもとに推測的に物事をられつする
(中略)
> というような態度も議論をする上で良い態度でしょうか。

 態度の話にスリカエが行われていますね。むろん、態度の問題ではなくて事実がどうかが問題で、それが一言も無いということは、やはり私の推定は正しかったということでしょう。

> ここにも断定的なものの言い方があり、これでは議論になりません。

 ちなみに実際、何度か述べたように、STIgdb さんの発言において議論は成立していません。する必要もないのですが。
 余談ですが、断定的なものの言い方があると議論にならないなどという法則は、世界中のどこにもないので、これはそもそも間違った発言ですね。

> また、相手の人格を著しく攻撃する文言が含まれており、相手の気
> 分を著しく害する挑発的な文言が並んでいます。

 人格を攻撃する文言などなく、あるのは事実として見られる傾向の指摘です。それで人格を攻撃されたと感じたり気分を害するのは、もしかして心当たりがあるからではないでしょうか。
 ちなみに、No.22 は議論になっていない記述ですから、「議論不可能な人々」という私の判断を自分で裏付けてしまっています。結果として、「議論」としてみてもまっとうな発言でした。論というものの価値は予測性にあり、みごとに予測を的中させたわけですから。

> 私が日本を悪く言いたがっているとなぜ判断できるのですか?

 事実として、「侵略」とか「犠牲者を出した」などと、悪く言っていますよね。子供に自分の国が侵略者だと教えたり、戦争をして犠牲者を出したことの責任を問う教科書など、私の知る限り世界中どこにもありません。文句を言っている当の中国や韓国の教科書を読んだことがあるのでしょうか。
 そのようなことを言いたくもないのに言っているわけでもないでしょう。それゆえに、日本を悪く言いたがっていると判断できます。

> 議論不能なのはどちらでしょう。

 それは、論破されても反論するでなく言い張るだけだったり、スリカエをしたりしている STIgdb さんですが、これもまた新たなアンケートなのでしょうか。

> きちんと議論をするのなら、事実を科学的に表記した上、その上で
> 自分の持論を展開されればいいでしょう。

 ちなみに本題について言えば、既に「事実として当時そう呼ばれていたことを、事実として教育するのは、歴史教育の基本です。」と述べたとおりです。これは歴史教育の基本に対する単なる事実に基づき、教科書もそうあるべきという私の持論を述べた部分です。
 ちなみに、結論としては賛成。これは、No.5 で既に述べたとおりです。

 そして No.22 は、この事実表記と持論の展開に対して何一つ言えていないで、論点をすりかえた記述ばかりでした。やはり、「議論不可能な人々」というのは正しいようです。
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 #6です。


あまりにひどい反論があったのでしつこく登場します。

 まず言葉狩りという言葉ですが、その「大東亜戦争」という言葉を使うことに、こういう理由があるので反対だと意見を言うのが言葉狩りですか?それでははじめから議論などできませんね。

 さらに自分と違う意見を持つものに対して「愚か」だとか、「妙なイデオロギー」だとか「罪深い」だとかいう評価を断定的に下すのは議論をする姿勢として良いものでしょうか。

 また、わずかな例をもとに推測的に物事をられつする

>こういう人は、秀吉の唐入りのことも、朝鮮出兵といまだに呼ぶのでしょうし、飛鳥時代の帰化人のことも、渡来人といまだに呼ぶのでしょうね。

というような態度も議論をする上で良い態度でしょうか。

 >この手の、とにかく日本は悪い国だったと言いたがる人が、このように嘘を振りまいて、それが嘘だと指摘されると往生際悪く言い訳を繰り返すというパターンは、いわゆる「南京大虐殺」のときも「従軍慰安婦」のときも見られたもので、そもそも結論ありきの議論不能な人々なのですよね。

 ここにも断定的なものの言い方があり、これでは議論になりません。また、相手の人格を著しく攻撃する文言が含まれており、相手の気分を著しく害する挑発的な文言が並んでいます。私が日本を悪く言いたがっているとなぜ判断できるのですか?議論不能なのはどちらでしょう。
 
 きちんと議論をするのなら、事実を科学的に表記した上、その上で自分の持論を展開されればいいでしょう。私の意見は先の回答で示したとおりです。

 抗議の気持ちでで再登場しました。
ごらんになった皆さんの判断をお待ちします。
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NO.2です。



NO.6さんに再々反論です。

>だからすり替えはやめましょう。
>今話しているのは第二次世界大戦と太平洋戦争のことであって、日本海海戦のことに話を広げる必要はありません、

スリカエてるのはあなたですよ。

「日本の教科書だから日本だけに通じる名称を使えばいいのですか?」と言ったのはあなたですよ。

ですから日本の呼称と国際的な呼称が違いながら教科書に日本の呼称を記述している例を挙げました。

それを今更「そういうことを言い出すと、いくらでも例外があります。」などと言われましてもねぇ。

それが分かってるなら「日本の教科書だから日本だけに通じる名称を使えばいいのですか?」などと反論すべきではないですね。

それに、『日本海海戦』も『対馬海峡』も例外ではないですよ。

こんな例は掃いて捨てるほどあります。

例えば、『国連』、国際的には『連合国』です。例えば『サンフランシスコ講和条約』、国際的には『日本国との平和条約』です。『中国』、国際的には『チャイナ』日本語訳は何故か使用が遠慮されてる『シナ』です。

>こここそ、この教科書の戦前回帰、全体主義回帰の入り口となる部分であり、決して簡単な言葉狩りなどという単純な問題でかたづけられるものではありません。

確信犯なのか気づいておられないのか分かりませんが、あなたの主張は一見平和志向のようで実は「検閲の復活」につながるものですよ。

>戦前の閣議決定を、なぜ戦後60年もたって、わざわざ引っ張り出してくる必要があるのですか

占領軍に使用を禁じられていました。

その後、その亡霊にとりつかれていたのです。

わざわざ引っ張り出そうが出そまいが執筆者の自由ですがね。

>厚生省の示す310万という数は朝鮮出身者、台湾出身者などの数を含まず決して正確な数字でないことも重ねてもうしあげておきます。

厚生省発表の数字を正確な数字でないと主張するなら、根拠のない1000万という数字はそれ以上に使うべきではないですね。

>ですから#2さんの言う検定制度に合格した教科書ならどれでも良いという考え方は矛盾していますね

家永教科書裁判以降、検定が大きく変わったのをご存知ないのですか?

>これが何を意味するか言わずもがなですよね。この教科書は、それだけ多くの問題を内包しそれ故、採用されないのです。

採用の現場をご存じないようですね。

実はわたしの友人にある市の教育委員がいます。

彼の元へは各社の教科書が送られて来ます。

彼も他の教育委員も「扶桑社の教科書が最も良く出来ている」ということで意見が一致しました。

それじゃ扶桑社の教科書採用で決定かというとそうではありません。

何故か。

みな騒動が嫌なのです。杉並の例などを知っていますからね。

平和を主張しながら扶桑社の教科書が採用されそうな都市へ押しかけ圧力をかける。

こんな馬鹿な話はありません。

こんなことこそ日本を危ない方向へ押しやるものです。
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 大東亜戦争という名前に対する言葉狩りが行われているようですが、愚かなことですね。



 事実として当時そう呼ばれていたことを、事実として教育するのは、歴史教育の基本です。妙なイデオロギーによって当時の名称を捻じ曲げる方が、よほど罪深いということを、例えば文化大革命の大失敗で学ばなかったとしか思えません。
 こういう人は、秀吉の唐入りのことも、朝鮮出兵といまだに呼ぶのでしょうし、飛鳥時代の帰化人のことも、渡来人といまだに呼ぶのでしょうね。

 端的に言えば、言葉狩りを正当化しようと話をすりかえているのは STIgdb さんの方であり、日本海海戦の話は、それがおかしいという指摘のための事例提供に過ぎません。
 他人は、それほど馬鹿ではありませんし、明らかなごまかしにだまされたりもしないものですよ。

 また、戦争による死者の数の明らかな誤りを指摘されて、開き直ったように「諸説あることも存じております」と言うのは、実にみっともないことです。本当に「存じて」いるのなら最初から 1000万などという数字を出すべきではない話である以上、後からの言い訳としか、他者は見ません。仮に本当だとしたら、他人をミスリードしようとしてでたらめな数字を挙げたということであり、さらに罪深いということを、自覚して欲しいものです。

 この手の、とにかく日本は悪い国だったと言いたがる人が、このように嘘を振りまいて、それが嘘だと指摘されると往生際悪く言い訳を繰り返すというパターンは、いわゆる「南京大虐殺」のときも「従軍慰安婦」のときも見られたもので、そもそも結論ありきの議論不能な人々なのですよね。

 この Q&A を読む人たちが、まっとうな批判精神を持って、うさんくさい発言をうさんくさいと判断できることを期待します。

 一応述べておきますが、私は No.5 で述べたとおり、消去法的賛成派です。
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 #8さんへ。


 反論ありがとうございます。
 
 ただ、私として納得が行かないのは、大東亜共栄圏という考え方を積極的にとらえて良いのかという部分です。

 大東亜共栄圏という考えかたは、ここまで日本の支配下におこうという軍部を中心とした当時の政府が考えた侵略予定地域を指します。

 その考え方を元にした大東亜戦争という言葉を使うのが良いことかどうかという点でこの言葉を使うことに強い抵抗があります。

 おそらく今までの教科書の執筆者もおなじ考えを持っていたのではないでしょうか。それ故、第二次世界大戦、太平洋戦争、日中戦争という表記がなされてきたのだと思います。

 その中であえて、大東亜戦争という記述を持ち出してきた扶桑社の姿勢に問題を感じるのです。この点ご理解頂きたいと思います。

 また、私は犠牲者の数について議論するつもりはありません。あくまで、問題を犠牲者の数にすりかえようとする攻撃があったのでそれに対抗したまでです。
 
 犠牲者の数については諸説あることも存じております。
 
 ただ、扶桑社の教科書に、これだけの犠牲者が出ているのに、その責任を明確にする部分がないのが、私としては許せません。

 国権の発動としての戦争責任は問えないという考え方があるのもわかっていますが、その戦争を起こしたこと、何百万人もの犠牲者を出したことは真摯に反省しおなじことを繰り返さないという姿勢は大切なことではないでしょうか。

 もちろん、当時の日本がABCD包囲網等の経済的圧力を受けて窮地にあったことは認めます。

 しかし、軍部の暴走に乗って、安易に戦争という国民に大きな被害をもたらす手段を取り、勢いに乗ってむやみに戦線を拡大していったことは明らかに間違った行動であったと思います。

 この点をしっかり反省しこれからの国家運営に生かしていかなければ、日本はおなじ過ちを繰り返し再び多くの犠牲者を出す道を歩むでしょう。

 この点で扶桑社の教科書の記述のしかたには、大きな問題があると思います。

 また、戦争の原因が日本だけにあるといっているのではありません。もちろん両陣営にあるわけですが、だからといって相手を責めるあまり、自国の責任を忘れてはいけないと思います。
 このあたりの記述も扶桑社の教科書からは真摯な反省を読み取ることはできませんでした。

 以上の理由を持って扶桑社の教科書の採択には賛成できません。
 理解してくださいとはいいませんが、こういう意見の人間もいるということをご承知ください。
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すみません、#8です。



>#6さんへ
少しだけ歴史学科卒業生として反論させてください。
中国、アメリカ、そして日本相互に大東亜戦争の正式名称はあり、中国は日本としか戦っていないため、単なる中日戦争と称される様に、アメリカ側から見た太平洋戦争であって、大東亜戦争は大東亜共栄圏内において行われたため、日本はその名称を創るわけです。
以上のように例外ではなく、あくまで各国の意志が現れているため、一概に大日本帝国とかの問題としては取り扱うことをやめたいと思います。
また殺戮人数の問題ではなく、と仰っていますが、東京裁判の結果を鑑みるに、日本・連合国ともに食い違うため、正確な論議は図れません。そういうことになれば、全ての懸案について、検証をやり直す必要性に迫られます。
また、経済封鎖された背景についても考えられるのが然りで、一概にどこの国がいけないという観念は子どもたちにより不利益を被らせます。
その点教科書採択は慎重にならざるを得ないところについては賛成です。
>#14さんへ
人殺しをして反省もしないというのもおかしな話です。戦勝国戦敗国の差はあれど、殺戮行為はどこの国でも国権の発動たる戦争であるが故、どこでも行われざるを得ないものだと考えざるを得ません。
そのため、むやみやたらにこれはあった、なかったというのは難しい話です。


これは中国の教科書を見れば分かります。
以上です。
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