プロが教えるわが家の防犯対策術!

友達が激務に耐えられず鬱病になりました。
現在は仕事を辞め、実家で両親と同居しています。

「毎日楽器を弾いたり、裁縫をしたり、本を読んだりして
苦痛な1日をやっとの思いでやり過ごしている。
できるなら死にたい。いつか会いたいよ。」
とメールはくれるのですが
私にはどうしてもその友達の状況を心から心配し、
励ますことができません。

私だって仕事がしんどかった時期、
必死に出勤の準備をしたものの、どうしてもドアを開けることができず
玄関に立ち尽くして泣いた朝があります。
朝、ベッドの上で目が覚めて
今日がまた始まってしまったことが悲しくて
涙がこぼれた日々もあります。

誰にも会いたくない、何もしたくない、
それでも働かなければ周囲に迷惑をかけるから
必死に会社に出勤し、誰にも依存せずに一人で暮らしていると
友達が甘えているようにしか思えないんです。

誰かが助けてくれるから仕事を辞められる、
庇護してくれる人がいるから家で好きなことをしていられる
私のようにそんな余裕もなければ、
鬱病になんて、なりたくてもなれないと思ってしまう。

『鬱病は病気なんだ』
『怠けている訳じゃないのに社会から誤解されてかわいそうだ』
そんな広告や情報を見る度に
友達を受け入れられない自分が責められているようで辛いです。
鬱病の人は甘えていると憤ってしまうのは人として間違っていますか?
私の心が狭すぎるのでしょうか。

A 回答 (18件中1~10件)

#3の者です。

再度失礼します。
「遊びに行こう」と言ってくるということは、きっと質問者様はご友人に随分信頼されているのですね。
鬱の自分でも、受け入れてくれるだろうと感じているのかもしれません。

「助けてあげよう」とは思わないほうがいいかな、と思います。
鬱になった当本人の私が言うのは変な感じですが、鬱病の人と接するのは、とても重いことだと思います。
私も自分以外の鬱病患者の知り合いもいましたが、「死にたい、(腕を)切りたい」などと言われると、なにを言っていいかわからず、ひどく疲れました。
「なにいってるの、私に頼らないでがんばってよ。迷惑かけないでよ」と、口にはしないけれど思ったりもしました。
それを、「愛情がない」と言われてしまえば、確かにそうなのですがつらいものがあります。

鬱病の本人は、つらいです。でも、それを支えようとすれば、その人もまたつらいです。
悲しみや苦しみが、伝染してしまうとよくないです。
なので、遊びに行こうと思えるときに、行けばいいとおもいます。
対応にも気をつかうと思いますし、ネガティブなことを言われて「私だってつらいのに」という気分に、思わずなってしまうこともあるかと思います。
ただ、「私もつらい」発言は、「がんばって」と同じくらいタブーです;;
普通なら「共感」は大事なんですけど、こういう場合は、鬱の人は「私のほうがつらい!!!」と思ってしまったりするからです。
あえてなにかしてあげるなら、話をただ聞いてあげることだと思います。
「そっか、つらいんだね」など、簡単な相槌でも心が安らぐものです。

私は今でも、鬱が治った頃のことを覚えています。
いつも歩いていた道で、ずっと咲いていたはずの花が、急に目に飛び込んできました。
鮮やかな黄色、ピンク・・・そして目を上にうつしたら、もう何年も忘れていたような、美しい青色の空が広がっていました。
そこにあったはずなのに見えなかった「あたりまえ」の物が急に見えたときの感動は、素晴らしいものでした。
質問者様のご友人も、いつかこんな日がくると信じて、待っていてあげてください。
二回も長々とすみませんでした;;それでは。
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この回答へのお礼

>きっと質問者様はご友人に随分信頼されているのですね。

そうかもしれません。。。
だからこそ、100%彼女の期待に応えられていない気がして
苦しいのかなぁと思ったりもします。

>「死にたい、(腕を)切りたい」などと言われると、
>なにを言っていいかわからず、ひどく疲れました。

確かにそうなんです。
「止めなよ!みんな頑張ってるよ!」なんて普通なことは
鬱病の人に言ってはいけないし・・・。

今日、彼女とのメールの遣り取りに疲れてしまって
つい「私も仕事の関係で鬱病の人とたくさん接してるよ。
この間は躁鬱の方にヒステリックに怒鳴られて辛かった。」って
送ってしまったんです。
彼女には何の関係もないのに、「辛い、死にたい」と訴えてくる彼女が
ついその仕事関係者の方と重なってしまって。
最悪だと思いました。

もっと早くここで相談していたらきっと違ったのかもしれません。
でも、2度も書き込んで頂いて、気遣ってくださる方の存在に
とても救われました。私も気長に頑張ります。
本当にありがとうございました。

お礼日時:2005/09/03 00:37

回答とはちょっと違うとは思いますが、


私も以前質問者様と同じようなことを感じたことがありました。
そのとき、自分とその人のキャパが違うのだと思おうとしたこともありましたが、
頭でわかっても心がついてゆかず、ちょっと距離をおいてしまいました。

(キャパって言っても、そのキャパの大きさもその人の努力次第なところがある気がするんですよね。
自分はうまく人生生き抜いていこうと前々から努力して頑張ってきたから、こんな状況でも耐えられるけど、耐えられない人は自分よりその努力が少ないんじゃないか、とか。)

こんな人間も普通に生きているので、
多忙な日々を送っているにもかかわらず、
ここで質問されるほどお友達のことで悩まれているという質問者様は、
心が狭いどころか心の優しい方だと思いますよ。

ここで答えていらっしゃる方々の回答は正しいのでしょうが、
自分も苦しいときにはちょっと責められているような気になったりも…(皆様すみません)

ですから、自分に嘘ついてまで友達に優しくしなきゃと思う必要はないと思います。
今はご自分の心が一番大切な時期ですよ。
心に余裕がでてきたと思えたら、また考えてみてはいかがでしょうか?

ちなみにその友人とは今でも友人ですので、大丈夫だと思いますよー。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
私が思っていたことがそのまま全部書いてあるような気がしました。

私が悩んだ理由は
>自分は生き抜いていこうと努力して頑張ってきたから
>こんな状況でも耐えられるけど、耐えられない人は自分より
>その努力が少ないんじゃないか
この通りです。

言ってはいけないのかもしれませんが
>答えていらっしゃる方々の回答は正しいのでしょうが
>自分も苦しいときにはちょっと責められているような
>気になったりも…(皆様すみません)
この部分もそのままそっくり私の気持ちでした。

いろいろなことを教えて頂いて、気持ちの整理の仕方が見えたような気がしますし
私に必要な情報をたくさん与えて頂いたので
今日の質問は私にとって幸せな機会だったと思います。
でも、yunagreenさんが代弁して下さった気持ちもまた
私の正直な本音です。

そろそろ締め切ろうと思っていたんですが
最後にyunagreenさんにご回答頂けて本当に良かったです。
ありがとうございました。

お礼日時:2005/09/03 01:21

うつ経験者です。



うつはれっきとした病気です。その点だけは理解していただきたいと思います。

精神病はあいまいなようで、はっきりとした判断基準があります。
それは「社会生活に支障をきたすかどうか」です。
精神的に健康な人はつらくなっても、まわりの人に迷惑をかけるからということでなんとかその状況を乗り切ります。社会性が保たれています。
それに対し、うつの人は周囲に迷惑をかけるとわかっていても、朝ふとんから出れなかったりします。この場合社会生活が破綻しているといえるのです。
うつだけではありません。
例えば不眠症。眠れなくても社会生活に支障がないのであれば、病気ではありません。眠れなくて、生活に悪影響が出ているのであれば病気です。

個人的な経験で考えても、うつの時と、健康な時とでは脳の状態がはっきり違いました。
私はもともと、プラス思考で楽観的なほうですが、うつの時は、マイナス思考で悲観的で、何をしても楽しくなく、無意識のうちに自殺方法に考えをめぐらせていたりしたこともあります。自分の意思だけでは抗えない状態に脳が陥っているのです。

うつには休養が必要です。通院中も先生から「今は人生の休み時間。だらーんとしてていいんだよ」とよく言われました。

家族も励ましも責めもせず、適度に距離をおきながら、うまく接してくれました。ほんとに今では感謝しています。

個人的な話ばかりでしたが、うつは病気で、本人は本当につらいものだということを理解してあげてほしいと思います。

参考URL:http://www.utu-net.com/
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この回答へのお礼

ただ毎日の仕事がしんどくて何にも楽しくなくて、
何もしたくない、外に出るのもやっと、
(ああやったら死ねるかな)
(こうやったらいなくなれるかな)
と数週間思う時はあります。
ですが私の場合、何週間かそんな状態が続くと
そうでもない時期が来るんです。

だから鬱病の人も何週間か我慢して
人に迷惑をかけないように頑張れば
私のようにそうでもない状態に持っていけるはずだと
思い込んでいたのかもしれません。

今回、ここに相談させて頂いて
いろいろな鬱病の理解の仕方、私の認識が間違っている点を
みなさんに丁寧に教えて頂いてとても楽になりました。
経験者の方から見ると、私の相談は腹立たしかったかなとも思います。
ご回答頂いてありがとうございました。

お礼日時:2005/09/03 01:13

私はh-miserlouさんが心配です。


誰にも会いたくない、何もしたくない。というのは危険信号ではないでしょうか。
あなたもいっぱいいっぱいなのでは?
お友達を救ってあげる場合ではないのではないでしょうか。

今の状態でうつのお友達の話を聞いてあげても、よい言葉は浮かばないような気がします。
鬱病というのは(私は経験は無いのですが)「私なんか居ない方が良い」=「死」をいつも考えているそうです。
そんな重い状況の人にうかつな言葉はかけられないと思います。

それよりあなたが、頑張りすぎていませんか?
あなたの心に余裕が出来たら、そのお友達にも快く会えるかもしれません。
あなたが楽な気持ちになれるよう、一度、頭の中を真っ白にしてみてください。

気持ちが高ぶったり、落ち込んでいたりする時、背筋を伸ばして、姿勢を正すだけでも、スッと気分が変わりますよ。

ちょっと、的はずれな回答かもしれません。お許し下さい。
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この回答へのお礼

>あなたもいっぱいいっぱい

確かにそうです(._.)
「仕事なんかしてたら、みんな人に会ったり
どこかに出かける気力なんて残らないよね?
家を出た瞬間から家に帰りたいと毎日思う。」とこの前発言したら
みんなに変だと言われました。

やってみたいと思うこと、変えたいこと、たくさんあるんですが
実力も金銭的にも今は一歩も動けません。
耐えるしかないところで耐えている辛さが
他人の痛みを分からなくさせているのかもしれないなぁと思っています。

ですが、こうやって心配して頂いたり
鬱病への理解の仕方をみなさんに丁寧に教えて頂いて随分元気が出ました。
ruru24さんも優しい言葉をかけてくださってとても嬉しかったです。
ありがとうございました。

お礼日時:2005/09/03 01:06

人は個性を持っていて同じ人間はいない、ですよね?


私は人の『強度』にも差があると思っています。
h-miserlouさんとお友達の強度にはかなりの差があって、きっとh-miserlouさんがお友達の環境にいても
同じ状態にはならないのではないかと思うのです。
ですので、このくらいのことでとか甘えだとか考えないで、お友達はお友達の強度を超える環境にいたのだと思ってあげてください。

鬱病を理解してあげるのは難しいことです。
言ってはいけない言葉、というものがあるそうですが、それを言わなければ何を言っても良いということではないようです。
お友達のことがh-miserlouさん自身のストレスにもなりかねませんので、少し距離を置いたお付き合いにしてみてはいかがでしょうか。

h-miserlouさんのお心が狭いとは思いません。
私の後輩は無断欠勤→退職となりました。
そのとき、『なぜそうなる?その前にやること、言うことあるだろうに。それを実行すれば、このようなことにならなかったのに』と
思いました。
どうしても、自分を基準に見てしまうからです。
『甘えだ』と思うときは、相手と自分の強度にかなりの差があるのだと思ってあげてください。
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この回答へのお礼

>私は人の『強度』にも差があると思っています。
>h-miserlouさんとお友達の強度にはかなりの差があって、

他の方へのお礼にも書きましたが
本当にその認識のなさが今回私を苦しめていた一番大きな原因だと思います。
『鬱病は伝達物質の不具合から生じる病気』だとか
『投薬やカウンセリングを処置しながら時間をかけて回復を目指す』とか
そういう知識だけ拾ってはいても
結局根底の部分でみんなある程度同じレベルの精神力を与えられていて
頑張るも頑張らないも本人の意思と努力だという思い込みがあったんです。

>どうしても、自分を基準に見てしまうから

本当にそうだと思います。
「私だってしんどいしんどい」と繰り返し訴えていますが
貴方の仕事なんて何でもないと言い切ってしまえる精神力の方も
きっといらっしゃると思いますから。

体格も、精神力も、性格や個性も、千差万別ですものね・・・。
どんなに苦しくても、それを忘れないようにしたいと思いました。
ご回答くださってありがとうございます。

お礼日時:2005/09/03 01:00

私が最初に鬱の診断を受けたときは「朝涙が流れる」などのレベルではありませんでした。



私はストレス耐性がないのか、結構すぐに溜め込んでしまいます。最初の職場でかなりストレスをためて、帰りのバスの中で人目に触れぬよう延々泣きながら帰ったり、朝も起きるのが嫌でギリギリまで寝てしまうのでタクシー通勤…なんて日々が続きました。でも何とか仕事に行けてたし、行ったら行ったで何とかなってました。

でも鬱の診断を受けた直前は新しい職場にいたときで、電車のホームで「一番に電車に乗って座りたい」と思って先頭で待っていると、電車が入ってくる瞬間に「あ、飛び込もう!」と思うんです。
横断歩道では車が来てるのに体が吸い込まれていく感じで。
「私、死ぬかも」と毎日思って、通勤方法を変えたりしましたが、ある日本当に体が動かなくなりました。明らかに前の職場で体験した「涙が流れる」とか「ドアの前で立ち尽くす」とは違うものでした。

ちなみにその時は一人暮らしで、自分で働かなければ死んでしまう状況でした。そんな状況でもなってしまうのが鬱病です。

もちろん休暇を取って治療…なんて出来ませんでしたので(さらに当時はお金もなくて通院も出来なかった)、必死で働いて辞めて…の繰り返し。そのうち「転職を繰り替えすなんて、自分はダメ人間だ!」などと思ってしまい、自分を傷つけることを覚えました。リスカではありませんが、とにかく自分を大事に出来ませんでした。

こんな感じで私は適切な時期に適切な治療を受けなかったため、今も心療内科に通院して、日々大変な思いをしながら生きています。確かに彼女が好きなことばかり出来るのは親元で生活してるからでしょう。私は似たような病気を持っていても、子供を持つシングルマザーなので好きなことばかりしていられません。
ただ、なるべく自分が楽になるようにと工夫してすごしています。それを見て同じように「甘えてる」という人は多いのです。

実家にいようといまいと、鬱病やそれに準じる症状を持った人が、負担を少なくして生活してると必ず「甘えてる」という人がいます。辛いのはみんな同じだって。それを言われるたびに「自分は甘えてるダメ人間だ」と自分を責めてしまいひどくなります。
「甘えてて悪いか!」と開き直れれば、回復も近いのでしょうが…(私は最近少し開き直れるようになりました)。

憤ってしまうのは自分が経験してないからであって、経験してない以上分かりにくいのが鬱病だと思います。心が狭いというよりも、それは仕方ないのではないでしょうか。私も自分があんな経験をしなかったら「甘えてる!」と思ったかもしれません。

「余裕がないから鬱病になりたくてもなれない」ではなく、「余裕があるから辛くても鬱病にならない」と理解するのはどうでしょうか?と言ってもなかなか気持ちを切り替えることは難しいと思いますので、メールをもらった時は「へ~そうか~」くらいで流すのでもいいのではないでしょうか。
体験した私でさえ、そんなメールを貰ったら対処に困ります。
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この回答へのお礼

私が思うことと少し似たような部分があって
他の人もそんなこと思うんだなーって思いました。
私も朝の通勤時、(このままふっとホームの風に巻き込まれたら私はいなくなれるのかな。)
(ぼんやり歩いていたら、車が轢いてくれるかな。)と良く思います。
何が辛いという説明はできないんです。
ただ、仕事をして、一人で暮らして、いろんなことが精一杯なだけで。

でも、鬱病の知り合いが多いんです。
自分自身も必死なのに、何人もの友達や知り合いが
鬱病になっては私に近況報告や気持ちを伝えるメールをくれます。

―頼ってもらっているのに、心から親身になれない自分
―みんなは友達だと思って連絡をくれているのに、鬱病を理解できない自分
―そしていっぱいいっぱいだけど病気には到らない自分

いろんなことを消化できずに余裕がないのかもしれません。

でも「余裕があるから辛くても鬱病にならない」というのは
きっと本当ですね(^_^)
余裕がなくて精一杯戦っても鬱病になってしまった方が言うのだから
それはきっと間違いないと思います。

私も頑張ります。
たくさん回答頂けて嬉しかったです。ありがとうございました。

お礼日時:2005/09/03 00:52

あなたの心が狭いというわけではないと思います。


ただ、その病気に対しての理解が足りないだけだと思います。

心のキャパシティーは本当に個人差が大きくて、あなたが耐え抜けたことでもご友人にとっては耐え難い苦痛だったのでしょう。
鬱病になってしまったのはご友人に非があったからではないということを理解してあげてください。
そして、ご友人にとっては一日過ごすことも苦痛を伴い、外に行きたい・友達に会いたい・・・と思っていても気持ちと体を合致させることが出来ない状態であることを理解してあげてください。

どうしても理解することが難しく、寛容な気持ちを持てないならばご友人との関係はその程度だったということです。
でもご自分を責める必要は無いと思います。
もしもあなたの本当に大切に思う人が同じ状況に置かれたら、きっとあなたはその人の病気や状況を理解してあげたいと思うはずですから。
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この回答へのお礼

>心のキャパシティーは本当に個人差が大きくて、
>あなたが耐え抜けたことでもご友人にとっては耐え難い苦痛だったのでしょう。
>鬱病になってしまったのはご友人に非があったからでは
>ないということを理解してあげてください。

今日、たくさんのご回答を頂いて
私の中で一番間違っていた認識がここだということを悟りました。
心を鍛えるのも本人の努力と義務だと思っていたんです。
体が小さい人を見て「あの人は努力不足で劣っている」とは思わないのに。

自分には自分なりの難題が毎日たくさんあって
きっと今は他者を思い遣る余裕もないのだと思います。
でも、いろいろな方に鬱病の理解の仕方を教えて頂いて
とてもためになったし、私自身が楽になれました。
ありがとうございました。

お礼日時:2005/09/03 00:41

私も、過去に何度か経験があります。

いや、今、自分の限界を超えて生き残ってきた、ほとんどの方々がこの病の経験をしているのではないでしょうか・・。

自分を励ますことが出来るのは「自分」だけだ。というのが私の実感です。その励まし続けてきたもう一人の自分が、「疲れ果ててしまった」状態が、鬱状態のような気がします。当然、人により程度の差はあります。食べることすら、苦痛になってしまいます。
「心の風邪」とは、よく言ったものだと思います。薬で症状を緩和することは出来ても、直すことは出来ません。自分を励ます力が回復するまで、かなりの時間を要します。
あなたの「受け入れられない」感情は当然です。あなたの友人が社会復帰するとき、周りの気遣いがかえって本人の甘えを生み、辛い現実に対する免疫を作れなくなってしまう事を、私は心配します。周りの余計な気遣いのせいで、人生を棒に振ってしまった人を何人も知っています。
あなたの様に、私もあえて(時には涙をこらえて)普通に接し「まだ、表に出ない様がいいよ」とシグナルを送るようにしています。お互い辛いですが、今はそうするしかない時期と思います。
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この回答へのお礼

>周りの余計な気遣いのせいで、人生を棒に振ってしまった人を
>何人も知っています。

そういう人もいるんですか・・・。
壊れてしまったものって、元通りになるとは限らないし
元に近い形に戻すだけでも膨大なエネルギーと時間が要りますもんね・・・。
またいつか、彼女が元気に社会復帰できる日がくることを
私も願いながらごく自然に友達でいられたらと思います。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/09/03 00:29

#9で回答した者です。



ご友人との付き合い方の参考になるかと思います。

参考URL:http://www.so-net.ne.jp/vivre/kokoro/depfam.html
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この回答へのお礼

私も同じようなサイトを見たことがあり、参考にはしていました。
合っているかどうかは分かりませんが
「辛いよ。会いたいよ。」と連絡をもらったら
「私も頑張ってるよ。いつか会えたらいいね。体には気をつけてね。」
といった感じで返信するようにしています。
気にかけて頂いて嬉しいです。ありがとうございました。

お礼日時:2005/09/02 23:46

専門家ではありませんが、職務上の役に立つ事があるかと若干の知識収得の努力をしている者です。



まず、鬱病に対する認識の点があるかと思います。

>友達が激務に耐えられず鬱病になりました。
正確には「激務に耐えられず」ではなく「激務が引き金になり」と考えてください。

精神と脳は、日々の進歩も早く、未だ解明されていない事の多い分野ですが、鬱病とは脳の思考する(人間的な)部分と、脳幹(睡眠・食欲・性欲をコントロールする原始的な)の信号のやりとりをする、化学物質の不具合が原因と言われています。

友人の方が本人申告ではなく、心療内科・精神科などの専門医での受診結果なら上記の通りです。

非難する訳ではありません。単純に、「胃潰瘍になった」と聞けばどう感じられましたでしょうか。

一般的にどうしても誤解を受けやすい分野なので致し方ない部分があるかと思います。ただ先入観は他の事柄でも良い結果を生むことは無いかと思います。
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この回答へのお礼

心療内科にもカウンセリングにも通院し続けているので
間違いないと思います。

自分だって必死に頑張っているのに、
心が壊れてしまった彼女だけに休養期間が与えられたと思うから
羨ましかったり、友達を思い遣れない自分に落ち込んだりするんですね・・・。

私は強度近視で目がとても悪いのですが
それと同じで彼女の心の強度が生まれつき私より弱めだったのかもしれないと
今delta245さんの回答を読んでいて思いました。

目に見えるものだけが正しくて
強いものだけが勝者だというのは私の小さな価値観です。
間違っていてもかまうもんか!と言い張る気は全く無いので
少しずつ鬱病に対しても、友人に対しても意識を変えていけたらと思います。
アドバイスありがとうございました。

お礼日時:2005/09/02 23:41

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