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ん~またイタイ質問っぽいですが…

相手の言っている本質的なことが判ってないのに(または受け入れられない)のに、
相手の言っている表面的な部分だけ理解して、そのような行動をとることを
「わかった『ふり』をする」とします

このような行動って、よくないですか?
相手の言っていることをうけいれるのに、必要な段階ではないかと
こうすることによって、相手の意見を理解できることがあると
私は思っているのですが、それはないのでしょうか…

これって「知らぬが仏」っていってるのと一緒でしょうか…

A 回答 (9件)

ものすごくきついことを書きます。

気に入らなければ読み飛ばしてください。

わかった「ふり」について
(1)相手の言っている本質的なことが判ってない
(2)相手の言っている本質的なことが受け入れられない
この二つは全く異なると思います。

(1)受け入れられないときの「ふり」は、社会生活を営む上で確実に必要だと思います。宗教とか信条とか、自分と異なるものにいちいち反論していては切りがありませんし。
これについては、聞き返したりしなくても、軽く流していればいいと思います。

しかし、(2)わかってないのにわかったふりをされるのは、個人的にはもうむかつくことこの上ありません。
見ればわかりますもん、たいてい目が泳いでますから。バレてないと思ってるのは自分だけです。
「あぁ、こいつわかってないな、私の話なんかどうでもいいんだな」と思うので、その人と真剣な話はしないようにしています。
知らないことなら聞けばいいのです。『聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥』ということわざがあります。もし聞いたときに嫌がられるようなら、相手にはわかるように説明する能力がないんだな、と判断してわかったふりをしても問題ないと思います。

>子供みたいな行動かもしれませんけど、
「やっちゃだめ」といわれた時、どうして悪いかわからないけどやらなくなる
やらないうちに、以前より状態がよくなる
それでなぜ悪いかが判る…

これで許してもらえるのは、それこそ子どものうちだけな気がします。ただし、

>自分が、普通と違うと判っているから
>普通の人のふりをして、生活しているから
ここをみて、なんとなく、質問者さまに自閉スペクトラムの可能性もあるのかなと思います。もしよろしければ検索してみてください。違ったらごめんなさい。

あと、『知らぬが仏』というのは、大辞泉によると
「知れば腹も立つが、知らないから仏のように平静でいられる。また、本人だけが知らないで平然としているのを、あざけっていう語。」
だそうなので、今回の話とはだいぶ違いますね。
私は、知らないことがいいことなんてどこにも無いと思っています。自分の行動を決められるのは自分しかいないのですから。

長々と失礼致しました。

この回答への補足

すみません…長文だと、斜め読みしてしまう傾向があるようです…

自閉の傾向はなきにしもあらずかなぁと
誰でもあることだという話もききますが、
自分はややその傾向が強いかもしれません

知らないことがいいこと……
結果なにも変わらなければ
知らなかったほうが幸せな気分でいられた…
と言われる事も、事によってはあるような気がしますが…
やはりそれはいけない事……なんでしょうね……

補足日時:2005/09/16 13:19
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質問の意図を解釈できず、申し訳ありません。



>例えば、「常識について」とか「人の気持ちを判る」とか

判らないときは、わからないままの行動でいいのでしょうか…

常識はわからないままでは困ります。といっても私も
常識といわれていることの何がどう正しいのかわからない部分もおおいです。何が正しくて、何が間違っているのか、エゴも入って複雑です。
人の気持ちは察する事ができれば一番ですが、本人の口から聞かなければ本当の事はわかりません。そこまでの信頼関係が築けてなければ想像の範疇でしかその人の気持ちがわかりませんし、突っ込みすぎるのも失礼です。
この2つに関しては、きっとこうだろうって思うことが多いのも仕方ないでしょう。完全にわかる事ができにくい事です。「ふり」というより自分がどう解釈するかですね。真相がわからない・わかりにくい部分ですので。


>子供みたいな行動かもしれませんけど、
「やっちゃだめ」といわれた時、どうして悪いかわからないけどやらなくなる
やらないうちに、以前より状態がよくなる
それでなぜ悪いかが判る…

確かにこういうプロセスはあります。
自分で何が悪いのかをきちんと理解できるのであれば何の問題もないですが、誤解が生じる事もあるので、やはりなんで駄目なのかを説明を求めなる・注意した側が説明をするというふうにするのがベストだと思います。
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この回答へのお礼

2度目の回答ありがとうございます

どう解釈し、行動するかってことが、難しいんですよね…
「ふり」という言葉が、よくないのかなぁ
なんだか間違った言葉を使っているような気がしました

誤解が生じやすい……確かにその可能性は高くなりますね…理解していないのですから…
自分の感覚にないものを理解することって非常にむずかしいんですよね……
だから、相手と同じようなふりをしてみて、相手と同じようになりきろうとして理解する

自分が、普通と違うと判っているから
普通の人のふりをして、生活しているから
自分がなんだかわからなくなっているっていう現実があって
その中で誤解が生じるからそのたびに修正していく
そんなことをしているうちに、「ふり」をするのが自分になってしまった

……自分ってなんなんでしょう……
この世界の生き物じゃないのかもとも…

あ、回答ありがとうございました

お礼日時:2005/09/09 00:53

「ふり」は良くないです。


相手はわかってくれてると思うでしょうし、なにより失礼でしょう。
わからない時は説明を求めましょう。
「ふり」だけしてると、後々面倒な事になる可能性もあります。

この回答への補足

ん~「ふり」をするのは、最良ではないのは判っています
ただ、本質について聞いても答えられないこと
例えば、「常識について」とか「人の気持ちを判る」とか

判らないときは、わからないままの行動でいいのでしょうか…

子供みたいな行動かもしれませんけど、
「やっちゃだめ」といわれた時、どうして悪いかわからないけどやらなくなる
やらないうちに、以前より状態がよくなる
それでなぜ悪いかが判る…

こういったプロセスってありえないのでしょうか…
こういうのを判った「ふり」といったつもりですが…

どっちかというと、「ふり」っていうのはその表面的な部分だけを
自分の考えと入れ替えるというような感じですね…

補足日時:2005/09/08 02:38
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相手の言う内容によりますが


基本的には「わかった『ふり』」はしない方が
あとあと自分のためになると思います。

『ふり』をしている状態はたしかに「知らぬが仏」(知らないから平気でいられる)状態かもしれませんね。
でもいつも『ふり』をしていると、あとで話がかみ合わなくなるかもしれません。
「話を聞いてなかったの?」と相手を怒らせたり、信用されなくなったりするかも。
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こんにちは。


「相手の言っていること」を
a)知識・情報的なこと、とb)思想信条主義主張のような価値判断的なこと、に分けて考えてみたらどうでしょうか?

前者について分かったふりをすると、相手は分かっているものとして更に話を進める可能性があるので、後々恥をかいたり、信用を失くしたりする可能性があります。「聞くは一時の、聞かぬは一生の恥」と踏まえ、「わからないので、教えて下さい」というスタンスで接しましょう。相手の優越感を満足させてあげるという効用もあります。

後者については、下手に反論すると、大抵の人は気分を害するものですよね。「なるほど」といって肯定も否定もせずに流しましょう。

abとも厳密に分割はできませんが、参考になれば幸いです。
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こんにちは。


ご質問拝読致しました。

いいか、悪いかと聞かれれば「あまり良いこととは思わない」と思います。
が、「わかった『ふり』をする」ことが必要な場面もある、とは思います。

他の回答者様にもありましたが「ケースバイケース」です。
仕事等、客観的に本質を理解した上でないと重大な障害を来す場合には「わかった『ふり』をする」ことは
絶対に避けた方が良いと思います。
かたや、お互いの価値観や主観、好み等答えが一つとは限らない問題については、その場の状況に応じて多少の
「わかった『ふり』」は必要かと思います。
…が、これは「わかった『ふり』」というよりは、ご質問者様がおっしゃる通り、相手を理解する為の
一つのプロセスだと私も思います。

しかし、それでも「わかった『ふり』」を続けていると…。
それが相手に分かったとき「ばかにされていた」という印象を与えかねませんので、
出来れば「ふり」ではなくて「理解する努力」をする方が好感がもてるのではないかと思います。

ご参考になれば幸いです。
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それはあると思います。



私は、相手の意見を聞くときに、相手が間違っていると思える発言をしてても、しばらく「わかったふり」をしてみます。
そうする事で、相手は私を信頼してもっと奥深い根っこの部分まで話してくれたりするからです。
相手も、すべて話しているうちに「私は少し間違っているのかもしれない。」なんて気が付いたりします。
そしたらまた「そうかもしれないなって、私も思っていた。でも、じっくり考えてみないとわからないし黙っていた。」なんて答えています。

相手の話を否定しないで、じっくり最後まで聞いて上げられる人間の方が、私は好きです。
最後まで聞いた上で、相手が間違っていると思ったら、「私の考えはこうだ。」と言います。
否定も肯定もしないで、「私はこうします。」と。
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かる~いおしゃべりなら問題ないでしょうが、話題と相手によっては後々自分に降りかかってくることもありますね。

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それは相づち、ではなくてですか?知ったかぶりだとあとあと自分が痛い目に合うかもしれませんよね。



「この前はこうだって言ったじゃん!」って言われるかも。
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